ソウルクライシス/SOUL CRISIS

なまたまご
なまたまご

2話 解放の足音

公開日時: 2023年8月10日(木) 20:00
文字数:3,360

 目の前で優秋が殺されてしまった。次は、僕の番だ。それが和智が本能的に感じたものだった。自分で死ぬつもりだった時にはなかったはずの恐怖が、彼を襲っていた。恐怖心というものは、頭で理解し、感じるものではない。元々自分の意志で死ぬつもりだったことなど、関係なく本能というものは、勝手に死への恐怖を感じて、体への危険信号を送るのだ。




「大丈夫だ、和智。君は先生が守る」

「それは、強がり。あなたは、死ぬ。私が殺したもの」

「そんなんじゃ死なないよ」

「人は、死ぬ。簡単に」




 その少女はサバイバルナイフを素早く抜くと、もう一度、角度を変えて、心臓を刺した。




「これで、終わり」

「確かに終わりだ。負けるのは君だが」




 優秋はようやく口を開いた。ジャックの腕を左手で掴んだまま、立ち上がった。ジャックは逃げようとするが、その腕は振りほどけない。姿を消すこともできないでいた。ジャックを掴んだまま、優秋は腕を振り上げた。




「私、子供。殴るの、よくない」

「そうだね。安心してくれ。私も子供殴る趣味はない」




 優秋は自分の胸に刺さったナイフを抜き取った。そして、再び、ナイフと共に、腕を振り上げた。




「私の正義は、子供に容赦したり、油断したりするような、程度の低いものじゃないんだよ」




 優秋を貫いていたサバイバルナイフは、今度はジャックの心臓を貫いた。痛みと恐怖でしばらくは暴れていたが、数秒で動かなくなった。そのジャックだった少女の死体は、優秋は投げ捨てることなく、静かにその場に置かれた。




「死んだのか?」

「そうだ。子供だからって同情するなよ? あの姿は実年齢とは関係ない」

「そうなのか?」

「当たり前だ。いくら特殊な訓練を受けても、あの年齢であの動きは普通の人間にはできないんだよ」

「そうだよな。じゃあ、一体……」

「その秘密がこれさ」

「さっきの……」




 先ほど、和智が先生に渡された枝。ジャックも優秋も自らの首をそれで切っていた。いくらバカでも気付く特別な力への入り口。ジャックの姿を消した力。優秋が心臓を貫かれても、今、傷口が回復し、そこに立っている力。その正体はともかく、どちらも、首を切る、ということがその力への入り口であることに違いはない。




「これで自分の首を切るってことか」

「そういうことだ。もし君が選ばれた人間であるならば、英霊と魂が繋がり、私やさっきの少女のように、異能を手にすることが出来る」

「英霊?」

「偉人たちの魂のことさ。本来は実在した人物としか結びつかないのだが、有名な物語だと、それが具現化し、その魂と結びつくこともある」

「もし……選ばれた人間ではなかったら?」

「死ぬ」

「そう……だよな」

「まあ、大丈夫さ。どうせ死ぬつもりだった命だろ」

「上山彩夏にも、選択させたんだよな?」

「そうだよ。彼女は迷わずに、自分の首を切ったよ」

「どうなったんだ?」

「学校に行っていないし、彼女の両親や近しい人には、交通事故で死んだ、と思っている、と言ったはずだ。全部言わなくても分かるだろう」




 気付けば、彼は悩んでいた。死を覚悟して、屋上に来たはずだった。今の現状から逃げるために、死を選んだはずだった。今、この選択に彼が悩んでいる理由は、死への恐怖が少しだけ芽生えて、怖気づいている。というだけではない。むしろ、これよりも重大な理由。それは彼には戦う理由がなかった。生きたいという理由もなかった。死ぬのも怖いのだが、生きるのも、また怖いのだ。


 例えば、選ばれて力を得たとして、辛い日常が変わるとは思えていなかった。戦ってどうする? 僕は自分の親戚を殺すのか? それが隠し切れない自分への疑いだった。力を得たとして、人を殺すなんてこと、彼にはできないと。彼自身が分かっていた。


 これまでの復讐のために、殺したとしても、待っているのは犯罪者としての日々。今の日常から良くなっている、とは言い難いだろう。




「どうした? ビビってるのか?」

「そういう訳じゃない。ただ力を得たとして、僕には戦う理由がない。別にヒーローになりたい訳でもない」

「戦う理由、か。お前の親戚への復讐、じゃ足りないのか?」

「……確かに暴力は酷かった。扱いが酷いのも分かる。でも、両親を事故で亡くした僕を、引き取ってくれたのは事実だ。命がけで復讐するほどのことじゃない」

「なんだ、君、知らなかったのか?」

「知らなかったって、何を」

「君の両親、その親戚夫婦が殺したんだぞ?」

「……そうだったのか。でも、なにを理由に」

「そんなもの金目的さ。君を引き取ることになれば、保険金も代理で受け取れるだろうからね」

「そんなことのために……」

「どうだ? 決意はついたかい?」

「……ああ。何年も経った今、警察も逮捕するのは難しいだろうから。僕が殺すしかない」

「それが君の生きる目的になるなら、死ぬよりはマシさ。生きてさえいれば、意外となんとかなるからね」




 彼は首を切っていた。そこから流れていく血。生暖かい液体が、ゆっくりと首を伝っていく。血が止まらない、どころか、その勢いは増していく。




「なあ、これ大丈夫か?」

「……」

「先生?」

「……大丈夫だ。君は元々、死ぬつもりだったのだろう?」




 その言葉に和智は恐怖を覚えた。徐々に死に近づいていく、恐怖。屋上から飛び降りていれば、死ぬまでの時間はほんの一瞬だ。恐怖を覚える時間もなく、死ぬことができる。しかし、これはゆっくりと死を実感していく。時間だけが経過し、出血量が増えていく。花びらが舞うことなく、時間だけが過ぎていく。

 和智の意識は朦朧とし、立っていられなくなり、その場に倒れてしまう。体温が下がっていき、体が動きづらくなっていくのを、和智は感じていた。




「僕は……死ぬのか?」

『安心しろ。お前は死なない』

「誰……だ?」

『いずれ分かるさ。これはお前と私との契約だ』

「契……約?」

『そうだ。使っただろ? 英知の枝を』




 和智の頭に響く低い声。倒れた和智を見下ろしながら、1人の男が歩いてくる。屋上を歩く革靴の音が静かに響いている。その音は徐々に、和智へと近付いていった。スーツに身を包み、スラっとした初老の男。目つきは悪いが、和智への敵意は感じない。怒っている訳ではなく、どうやら、そういう目つきのようだ。




「お前が英霊か?」

『そうだ。私の名前はー―』

「なっ⁉」

『私の正体は誰にも言うな。異能力の範囲が限られてしまうからな。勿論、お前の先生にもだ』




 和智がはっと気が付いた時には、その姿は消えていた。起き上がって、辺りを見回すと、そこにいたのは、優秋だけだった。




「和智‼ 大丈夫か?」

「……ああ、うん。大丈夫だ」

「傷がふさがって、生き返ったってことは、英霊の力を得たはずだ」

「ああ」

「誰だったんだ?」

「悪い、それは言えないだ。僕と彼との契約なんだ。異能力を使うにあたって、使える範囲が限られてしまうって。彼が言っていた」

「なるほど。秘匿ひとく共有きょうゆうって訳か」

「いや、秘密にしたいとかって事じゃなくて」

「良いんだよ、和智。随分と良い英霊みたいじゃないか。秘匿の共有っていうのは、秘密を英霊と共有することによって、魂の結びつきを強める方法さ。秘密を知っている人間が少なければ少ないほど、その効力を発揮するんだ。敵に情報を開示することによって、強化する方法もあるんだが、それはいずれ、その英霊に聞くといい。きっと教えてくれるさ」

『言っておくが、私の力の場合は、情報の開示は強化には繋がらないからな? 話すんじゃないぞ』

「分かってるさ」

「どうした?」

「なんでもないよ 頭の中で彼が、喋っているだけだ」

「なるほど。君の中のモリアーティ教授が喋っているんだね」

「えっ?」

「おっと、すまない。口を滑らせてしまった。でも、君は悪くない。彼とは少し話がしたいんだ。ちょっと変わってくれるかい? 昔の知り合いなんだ」

『ちっ、変われ』




 頭の中で再び低い声が響く。和智の意識をそこで奪われたと一目で分かった。目つきは少し悪くなった。和智の滲み出る人の良さはなくなってしまった。




「久しぶりだね、教授」

「私は会いたくなかったよ。ホームズ」




 心の底から毛嫌いしているような、否、恨んでいる相手への敵意が、彼からは滲み出ていた。それを受けて、優秋は不敵にも笑顔を見せて、話している。その感情は敵に対するものではなく、まるで、旧友と久々に再会した時のそれだった。



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