ソウルクライシス/SOUL CRISIS

なまたまご
なまたまご

序章

1話 絶望と自由

公開日時: 2023年8月9日(水) 20:00
文字数:3,096

 3月1日。この日、卒業式を行う高校はかなり多いだろう。小学校や中学校と違い、高校の卒業式というのは大きな意味を持つ。大学に進学するにしても、就職するにしても、年齢も成人に達した彼彼女らに待ち受けるのは、中途半端には大人として扱われる絶妙に生きづらい世の中だ。


 まして、高校の時に既に、その生きづらさを既に感じていた者からしてみれば、その先の未来など絶望でしかないのだ。この高校にも1人、未来に絶望し、その命を自ら絶とうとする者がいた。彼の名前は家永いえなが 和智かずとも。彼は卒業式が終わると、屋上へと重い足取りで向かっていた。卒業式のおめでたムードの中、彼の行動を気に留める者などいない。彼には気にかけてくれる友など一切いなかった。

 ほとんどの生徒は、首から花を咲かせる花咲かじいさんが出没するという都市伝説や、近頃近所で起きている通り魔事件など、自分とは程遠いものだと平和ボケしながら、それをネタにしてふざけ合いながら帰っている。本来であれば、高校生というのは、これくらいフワフワして生きていて、むしろ、深い絶望に囚われ、自殺を考える方が、異常なのだ。

 和智は屋上のフェンスの外側に立っていた。その表情には未来への絶望だけが刻まれており、死への恐怖などは微塵も感じさせなかった。むしろこれでようやく終われる、という安心感に満たされているように見える。




「幸せに、なりたかった」

「まだ手遅れじゃないだろ」




 声が聞こえ、和智は振り向いた。背後に1人の女性。彼女は和智の担任の教師であった。彼女の名前は、森亜 優秋。その不真面目さと親しみやすさから、生徒人気は割と高い先生だ。タバコをくわえ、火をつけている。ちなみに、この学校は敷地内全面禁煙である。




「なんだ、先生面でもしにきたか?」

「もう卒業式は終わっただろ。私と君は、互いにただの他人だ。お前はずっと私の生徒だ、とか臭いことは言うつもりはないさ」

「じゃあ、何をしに来た。無関係な人間でも、見殺しにはできない正義感か?」

「いいや、校内は基本的に禁煙なんでな。隠れて一服でもしようかと来てみたら、たまたま君がいたんだ。だから、一服のついでに話しかけてるだけだよ。どうせ死ぬなら、一本くらい、君も吸って逝くかい?」

「……吸わねえよ」

「つまらないやつだなあ。どうせ死ぬなら、君の命、世界を使うために使ってみないか?」

「断る」

「なんだよ、ツレないなあ。少しは詳しく話を聞こうとしろよ。ヒーローになれるかもだぜ? 男の子なら憧れるだろ?」

「そんなものに憧れて死ぬの断念するくらいなら、ここには立ってないよ」

「そんなもんかなあ。そもそも私には君が死ぬ理由が分からないんだよ」

「先生には分からないよ」

「まあな。推薦で高校に入り、大学も特別推薦と奨学金で入学を決めた優等生が、小さい頃に両親が死んで、親代わりになった親戚からの暴力が絶えず。学校で禁止されているバイトを密かにやりつつも、実はそのバイト代を全額、その親戚に渡している。その親戚たちに虐げられる生活は一生変わらない。それくらいの未来に絶望して死ぬなんて、私には分からないな」

「知ってたのか?」

「それくらいは普段の君を見ていれば、分かる」

「分かっていて、知っていて、放置してたのか」

「まあ、先生の立場でできることっていうのは、限られるものでね。バイトのことを密告して、停学や退学にでもしたら、良かったか?」

「……」

「そう黙るなよ。私は君の実情を知っていて、黙っていた。君が耐えて隠そうとしていたからだ。でも、今日の君を見て、死のうとしているのが分かったから、私はここに来た」

「やっぱり止めに来たんじゃないか」

「止めに来たんじゃない。選ばせに来たのさ。数か月前、君と同じ場所に立っていた上山かみやま 彩夏さやかと同じように」

「上山彩夏って……自殺したんじゃなかったのか?」

「確かにそんな噂も流れてたな」

「噂も知ってたのか。じゃあ、否定するなり、説明するなりしろよ……」

「それは難しい問題だな。彼女の両親も警察関係者も、彼女が轢き逃げの交通事故で亡くなったと思っているからね」



 全てを見透かしているような青い瞳を彼女は和智に向けて、不敵に笑った。どういうことだ、と問い詰めようとしている和智を制止し、彼女は手のひらサイズの何かを和智に渡した。それは1枚の葉がついた枝だった。なんだよこれ、と彼が文句を言うとしたとき、彼は枝を握りしめた手に異変を感じた。




「痛っ」

「気をつけろよ? それよく切れるから」

「なんだよ、これ」

「それは、人を殺す凶器、だよ」

「詳しい説明をしてあげたいところだけど、それどころじゃないみたいだ」



 その枝を凶器と呼んだ声の主は新たに屋上に入って来たのは幼い子供だった。生徒の親と一緒に来た子供、という訳ではなさそうだ。その子は、今、和智が持っているものと同じものを手に持っている。そして、彼女は自分の首をそれで切ってしまった。血が流れる。ことはなかった。血の代わりに、赤い花びらがその傷口から現れ、宙を舞っている。




「なんだ、あれ……」

「説明は後だ。君は危ないからフェンスのこっち側に。先生の後ろにいたら、守ってあげるから」




 危ないも何も本当は死ぬ気でそっち側に立っていた和智だったが、先生のいつもとは違う雰囲気に気圧けおされて、大人しくフェンスの内側へと戻った。その時、和智は先生の手にも、自分の手にある枝と同じものが握られていることに気付いた。

 次の瞬間、先生も自分の首を切り、そこからは同じように赤い花びらが舞っている。




「花びら、だよな? これ」

「まさか、こんな近くに混ざり者が潜んでるとはね。春樹の差し金かい?」

元首げんしゅ様の名前をそんな軽々しく口にしたら、駄目」




 その女の子は怒り狂い、優秋へと走って突っ込んできた。その手には先ほど、自分の首を切ったものは別のナイフを持っている。刃渡り20センチほどのサバイバルナイフ。胸に刺されば、確実に心臓を貫通し、使い慣れた人間であれば、容易に首を切断できるであろう殺すことを目的とした凶器だ。

 和智は途中までその女の子を目で追っていたはずだが、途中からその姿が見えなくなってしまった。




「消えた‼」




 しかし、その少女は消えたなどいなかった。その凶刃が、優秋を襲っている。前腕をその少女の腕に当てて、うまくいなしている。和智には何がなんだが分からなかった。目の前で見知らぬ少女が消えたり、出てきたりして、自分の担任の先生を襲っている。それだけが事実だった。




「君か。噂のジャック・ザ・リッパ―の混ざり者は。私がもし、あの時のロンドンに実在していたなら、君のこともちゃんと捕まえられてあげれたろうに」

「誰も私を、捕まえられる訳、ない」

「確かに君の異能力『見えざる影ブラインド・シャドウ』があれば、捕まらないのだろうね。でも、"事実"として、君の異能力は気のせいで片が付く。君は本当に消える訳じゃない」

「どうして、私の異能、知ってる? でも、気のせい、じゃ、ない」




 優秋は彼女を捕えようとするが、その手元から少女が消えた。その時、凶刃が優秋の胸を貫いていた。その少女は、優秋の懐へと潜り込んでいる。その小さな体は優秋の腕の中だ。




「言った、でしょ。気のせい、じゃ、ないって」

「先生‼」

「心臓、貫いた。もうじき、死ぬ」




 優秋は喋らなかった。動かなかった。彼を、和智を守ると言った背中からは、胸を貫通したナイフの先が出てきていた。先生の足元には胸から滴る大量の血が流れていた。それは赤い花びらなんかではなく、確実に間違いなく、赤黒い血液であった。




「魂は、解放された。これで、自由」




 優秋を刺した少女は一言だけそう言った。彼女はまだ、優秋の腕の中だった。


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