――お帰りなさいませ、ご主人様。
翌日の昼休み。
ふたりでサンドイッチなどを齧ったあとで、わたしは咲にスタンガンを1泊2日で返却した。
「――どうだった、使い心地は?」
咲がいつものように冗談めかしてそう聞いてきたのでドキッとしたけど、まさか初日から使用したなんて言えない。いろんな理由で。
「改造ガス銃のほうが良ければ、次からそっち貸すけど」
「……咲はいったい何者なの……?」
咲は、“清楚なお嬢様”という概念を3Dプリンタで出力したような容姿をしていて、手足も人形のように細くて白い。黒と白のメイド服は、わたしなんかよりきっと彼女のほうがよく似合うだろう。
「……まぁでも、護身用の武器とかべつに必要なさそうなんだっけ。と言うか有紗としてはむしろ、手を出してくれたほうが嬉しいって感じ?」
紙パックのヨーグルト飲料を口にしようとしていたわたしは、思わずむせかけた。
「な、なんでそうなるの」
「だって……イケメンで、お金持ちで、しかも有紗が前からずっと憧れてた作家なんでしょ。運命じゃん。拒む理由なくない?」
――あと、『メイド好きの変態』というのも付くけどね。
「わたし、そこまで単純じゃ……」
実際、昨日のことがあって、本当は自分でもあまり自信がなくなっている。
そんなわたしの心を見透かしたかのように、咲はわたしの言葉をさえぎった。
「あのさ、ベタだけど……自分で気づいてない? 有紗ってば、その先生の話してるとき、ずっと口の端がニヤけてんだもん。そんなの見たことなかったし、わかるよ」
黒目がちな瞳でじっとこちらを見つめながらそう言う。
言われて反射的に唇を指で押さえたわたしに、咲は畳みかけるように言った。
「その先生だって、そんなにメイドにうるさいのに、有紗をぜひ雇いたいって言ってるってことは、けっこう気に入ってるってことじゃないの?」
……もしそうだとしたら、嬉しいなとは思う。
でも六堂先生がわたしに求めているのは、あくまで『ご主人様とメイド』という関係だけだ。そこに性愛の要素が入る余地なんて、たぶんない。
たった一日で何がわかるのかと思われるかもしれないけど、ずっと六堂先生の小説を何度も繰り返し読み込んできたわたしの感覚は、そう間違っていないと思いたい。
「いろいろ疑わしいところはあるけどいちおう向こうは大人で、歳の差だってあるし……」
「年上と恋愛するのだって立派な経験だよ? 社会人になってから上司と不倫したりするよりずっといいでしょ」
「経験って、ゲームじゃないんだから……そんなふうに、いつか別れる前提で付き合うみたいなの、わたしは嫌なの」
咲はため息をついた。
「もったいない」
本気で残念そうにそう言ってから、咲はまた明るい調子に戻って言った。
「……でも、こんなふうに有紗と恋バナできるなんて思わなかったなー。ほんと、モテそうなくせに全然そういうのないんだもん」
「わたし、女子の言う『かわいー』と『モテそう』は信用しないから。たとえ咲でもね」
……それに、ここ数年間はとても恋愛どころじゃなかったし。
咲は、マイボトルから紅茶を注ぎ、手を添えてカップを上品に口に運ぶ。
今度、紅茶の銘柄や淹れ方についても教えてもらったほうがいいかもしれない。
そんなことを考えていると、咲は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ほら、今この教室の中で、何人の男子が有紗の話にこっそり聞き耳立ててると思う?」
そう言われてつい周囲に視線を向けると、男子たちが急にノートを広げたり喋ったりし始めた。
やっぱり男ってみんな、そんなにメイドに興味あるものなのかな。
ともかく、状況を整理しよう。
当座のわたしの目的は、まずアルバイトでお金を稼ぐこと。
次に、六堂鏡哉先生に『ガランドーア軍国記』の続きを書いてもらうこと。
それ以外のこと――わたしの気持ちだとか恋バナだとかそういったことは、とりあえず後回しでいい。
本当ならその二つの目的は両立するはずだったのだけど――
問題は、どうやら六堂先生は、わたしがメイドとして働いている間は仕事をしてくれそうにないということだ。
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