七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第3話 わたしとは大違いだわ

公開日時: 2020年11月22日(日) 21:40
更新日時: 2020年11月23日(月) 11:52
文字数:1,653

 臨淄りんしの土壌は農耕には適さない。

そのために製塩・製鉄などの工業が昔から盛んで、今では中華大陸屈指の工業都市となっている。


 まち内は井字型せいじがたに大きなみちが走り、工業区や商業区といった区画整備が成されている。

 実に整然かつ合理的に建造されたその大都市は、もはや芸術的とも言える。


 ──不完全で、何ひとつ誇れるものの無いわたしとは大違いだわ。


 自嘲する楽毅がくき

 そんな彼女の事情などお構い無しに、通りは商売人や通行人でごった返し、活況かっきょうていしていた。


 商人の活動の動機は単純明解である。彼らは常に利にもとづいて生きている。それはひいては家族を養う為、つまり愛に生きる事にも繋がる。

 中には巨万の富を得て、それを武器に権威を買おうと野心を抱く者もいるかも知れない。

 また、かつて商人でありながら資産を投じて治水事業を行った伯翁はくおうを習い、義に生きようとしている者もいるのかもしれない。


 いずれにしても楽毅がくきの目にはそんな商人の姿をたくましく思うと同時に、自分にはああいう生き方は出来ないと達観するのだった。


「そういえば、孟嘗君もうしょうくんがまたせい王様とケンカされたそうだ」

ちょうでは何でも胡服騎射こふくきしゃという制度が正式に採用されたらしい」

しんかん宜陽ぎようの地をついに落としたぞ」


 喧騒が夾雑きょうざつする中でよく耳をすましてみると、商人達のそんな会話が聞こえてくる。

 楽毅がくきは今まで彼らの会話を意識して聞いた事は無かったが、よくよく考えてみれば中華大陸の各地を回っている商人は、最先端の情報源である事に今さらながら気づくのだった。


 ──孟嘗君もうしょうくんせい王は、やっぱり仲がうまくいってないんだわ。


 孟嘗君もうしょうくん──

 それはせいの現在の女性宰相さいしょうであり、三千人もの食客ファンを抱える言わずと知れた中華大陸一の偶像アイドルの事である。

 本名は田文姫でんぶんき孟嘗君もうしょうくんはいわば芸名でありまた、また限られた偶像アイドルにのみ与えられる称号でもあった。

 また、せつという地を自領としてたまわっている為に、せつ公とも称される。


 楽毅がくきせいにやって来てからひと月ほどになるが、いまだに孟嘗君もうしょうくんを拝見した事は無かった。

 噂によれば容姿端麗ようしたんれいにして才色兼備さいしょくけんび八面玲瓏はちめんれいろうにして頭脳明晰。年齢不詳だがとても若々しく、運良くその姿を拝見出来た者は寿命が三年延びるとか、彼女のおデコをさすると幸福がもたらされる、とさえ言われている。

 もちろん噂はくまでも噂であり、どこまでが本当の事なのかは分からない。


 そして、現在のせい王である湣王びんおう傲慢ごうまんかつ強欲な性質で、王である自分よりも大きな影響力を持つ孟嘗君もうしょうくんうとましく思い、政治の中枢から遠ざけたがっている、ともっぱらの噂であった。先代や先々代の王と違い、国が繁栄を迎えた時期に生まれ育っただけに苦労を知らず、国の隆盛を己の人徳によるものと盲目しているような男なのだから、これも仕方の無い事なのだろう。


 ──ちょう胡服騎射こふくきしゃを取り入れたという噂、本当だったんだ。


 胡服こふくとは、ちょうの北方に暮らす胡人こじんの服装のことで、騎馬民族である彼らは騎乗に適した脚衣パンツを着用している。騎射は馬上からの射撃のことで、北方民族の基本的な戦闘形態ファイトスタイルだ。


 しかし、中華民族は伝統衣装に誇りを持ち、馬に直接またがる事を蛮行と見なしている。それでも今のちょう王──武霊王ぶれいおう──は合理的という理由で異文化であるこの胡服騎射という形式の採用を決断し、反対する家臣を粘り強く説き伏せたのだった。


 これからちょうは騎馬を中心とした軍事編成を行うのであろう。

 果たして、武霊王ぶれいおうが思い描く仮想敵国はどこなのか?


 中山国ちゅうざんこくちょうに囲まれる様に隣接しており、今はまだ友好的な関係を保てているものの、いつかその獰猛な牙を向けて来るのでは、と楽毅がくきの胸に一抹の不安が宿るのだった。


 ──しん宜陽ぎようを落とすのに半年もかかった。かんしん疲弊ひへいしているでしょうね。


 しん武王ぶおうかんを攻撃していた事は、まだ中山国ちゅうざんこくにいたころ楽毅がくきは父から聞いていた。いや、正確には父とその家臣が話しているのを偶然耳にしていたのだ。


 いずれにしても他国人があまり通わない中山国ちゅうざんこくでは、このような比較的鮮度の高い情報が市井しせいで飛び交う事はまず無かった。

 その点からも中山国母国ここはあまりにも違い過ぎるのだ。



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