七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第2話 お前がゆけ

公開日時: 2021年2月9日(火) 17:12
文字数:2,253

「気にいらぬな」


 ムッとした面持おももちで玉座から楽毅がくき達からの報告に耳をかたむけていた中山王ちゅうざんおう姫錯きさくであったが、聞き終えるやいなや吐き捨てるようにそう言い放った。


ちょうごとき弱兵に我が領内を好き勝手にされるとはな。これは太子たいし姫尚きしょう。総大将であるお前の不手際と言わざるを得まい」

「面目次第もございません」


 実の父親から向けられる冷酷なる言葉に一言も反論せず、姫尚きしょうは深々とこうべを垂れてそう述べた。


「いいえ、この度の不手際は作戦立案者であるこのわたしにあります」


 このに及んでなおも敵をあなどり、危機にあるという現状を決して認めようとしない愚昧ぐまいな王にいきどおりを感じた楽毅がくきであった。しかし、姫尚きしょうが恥を忍んで大人しく平伏しているのに、家臣である自分がわざわざ波風を立てるような発言をする訳にはゆかず、平静を装って頓首とんしゅする。

 楽峻がくしゅんもそれに習い、三人は霊寿れいじゅを護りちょう軍を撤退させたにも関わらず何のねぎらいの言葉も受けられず、まるで罪人のごとく様相をさらすのだった。


 中山王ちゅうざんおうは功労者達を冷眼をもって見下すと、


楽毅がくきに関してはもうひとつ気にいらぬ事がある。余はお前に東垣とうえんに向かうよう兵を授けた。にも関わらずお前は余の命を無視して手前の砦に入り、あまつさえ大事な山道を塞いで新たな砦を築き、交通を妨げた。さて、この事実をどう言い訳するのだ?」


 ネチネチとなぶるように問責を向けた。


「それは、先程も申し上げた通りちょう軍が本気で東垣とうえんを落とすつもりが無いと判断した為であり、山道に砦を築いたのはちょう軍の霊寿れいじゅ侵攻を少しでも遅らせる為で──」


 楽毅がくきはうやうやしく述べた。

 が、分からぬのはそこよ、と言葉をさえぎる者がいた。王の隣りに控える白髪の宰相さいしょう司馬熹しばきであった。


「お前はなぜ、ちょう軍の狙いが霊寿れいじゅであると判断した? この度はたまたまそうであっただけで、一歩間違えればみすみす東垣とうえんちょうに明け渡す事になっていたのだぞ?」


 中山王ちゅうざんおうと同じ粘質を帯びた言葉が彼女を責め立てる。


 楽毅がくきは決して安易な想像で兵を動かしたり、偶然に身を任せる様な無策な戦いはしない。考慮に考慮を重ねて敵の胸裏を読み取り、それを基に相手の裏をかくというのが彼女の戦い方である。

 楽毅がくきは、これまでの戦で武霊王ぶれいおうがどのような采配を振るったのか、その情報を蒐集しゅうしゅうし事細かに分析した結果、武霊王ぶれいおうという人間の思考やクセを徹底的に掴んでいた。そんな彼女からしたら実は、武霊王ぶれいおうという堅固な威武によって率いられたちょう軍の動きを読むのはさほど困難な事では無かった。


 しかし、その様な事を説明したところでこの暗愚な王やその脇にはべ佞臣ねいしんの理解を得られるとは思えない。いや、かえって不興をこうむるだけであろう。

 そう考えた楽毅がくきは、


「わたしが浅慮あさはかでございました」


 そう言って不本意ながら頓首とんしゅし、許しを請うしかなかった。

 ふん、と鼻を鳴らして中山王ちゅうざんおうは、


「まあ、よい。それよりも武霊王ぶれいおうから講和の書簡が届いておる。返答の使者は楽毅がくき、お前がゆけ」


 吐き捨てる様にそう告げる。


 突然湧いて出た『講和』という言葉に、楽毅がくき達はそろって驚きの声を上げる。


「まさか父上は、ちょうと講和なさるおつもりなのですか?」

「……そうだ。三つのまちを差し出せば奴らは完全撤退するとの事だ」


 姫尚きしょうの問いに、中山王ちゅうざんおうは不快をあらわにして答える。

 それはなりません、と姫尚きしょうは強い口調で父である中山王ちゅうざんおうに食ってかかった。


ちょう軍は思うような戦果を挙げられずに冬を迎え、武霊王ぶれいおうは内心では焦っているはずです。それなのにみすみす敵に領土を裂くなど、愚の骨頂です。それに、武霊王ぶれいおうが約定を守った試しの無い事をお忘れですか?」


 楽毅がくきも彼と全く同じ見解だった。

 ちょう軍の足を止めて冬まで持ちこたえた時点で、武霊王ぶれいおうの目算は完全に崩れたのだ。佳良かりょうの成果と言っても過言ではない。

 しかし、それを理解出来る者が愚昧ぐまいな王の面前にいる三人しかいないことは、中山国ちゅうざんこくにとっての不幸であり、趙国ちょうこくにとっての幸運であった。


「黙れ黙れッ! 無様な負け戦を演じておきながら王であるこの余に口答えするなど言語道断。よもや反逆を企てておるのではあるまいな、太子たいしよ?」


 まるで駄々っ子のような口調で、ギョロリと蛇のごとく陰湿で瞋恚しんいに満ちた視線を向ける中山王ちゅうざんおう


「反逆など滅相もございません」

「さて、どうだかな。最近そこの者達とよく逢っているらしいな。結託して余を追い出す為の算段でもくわだてておるのではないのか?」


 顔を背けて邪推を述べる。

 もはや忠誠も親子の情も、猜疑心さいぎしんり固まった中山王ちゅうざんおうにはわずかばかりも届かない。それでも必死に説得を試みる姫尚きしょうと、まったく聞く耳を持たない中山王ちゅうざんおう。両者の心が通じ合うはずも無かった。


「分かりました!」


 たまらず楽毅がくきが叫ぶ。口論がピタリと止まり、視線がそちらへと注がれる。


「講和の使者、たまわりました。明日、さっそく武霊王ぶれいおうのいる本陣へと参ります……」


 絞り出すようなか細い言葉に、姫尚きしょう楽峻がくしゅんは驚きの面持おももちを向け、中山王ちゅうざんおう司馬熹しばきはニヤリとほくそ笑む。


「しかし楽毅がくきよ。それでは──」

「大丈夫でございます、太子たいし。たとえ三邑さんゆうを献上しようとも、必ず挽回の策を講じてみせます」


 不安に満ちた姫尚きしょうの言葉を穏やかな笑みで制し、楽毅がくきは自信をこめて言うのだった。


 本当は策など全く無い。しかし、姫尚きしょうの辛い身の上を直接聞かされていた楽毅がくきは、これ以上親子の関係がこじれる事だけは避けなければと思ったのだ。


「ふん。せいぜいしくじるなよ」


 吐き捨てる様にそう言い残すと、中山王ちゅうざんおうは肥えた体を揺らして立ち上がり、楽毅がくき達に一瞥いちべつもくれる事無く奥の間へと下がってゆく。のしのしと歩く中山王ちゅうざんおうのすぐ後ろを、司馬熹しばきが続いた。

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