七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第3話 アナタとお話がしたい

公開日時: 2021年1月4日(月) 17:33
文字数:2,165

 楽毅がくきはおもむろに前へと移動し、ほろをめくる。

 牧歌的な光景と共に、馭者ぎょしゃとして手綱たづなを握るすいの背中が映る。


 彼女も含め楽毅がくき達の着ている服も同じ白だが、どちらかというと蒼色がかっており、決して【墨家ぼっか】が用いるような白装束では無い。とはいえ、全ての【墨家ぼっか】が白装束であるとも限らないのだが。


「ねぇ、すいさんもこっちで一緒にお話しない?」

「……私は馭者ぎょしゃですので。それに見張りも兼ねておりますので結構です」


 楽毅がくきの呼びかけに、翠は背中を向けたままつっけんどんに答える。


「じゃあ、わたしが馭者ぎょしゃを交代しましょう。そろそろ疲れたでしょう?」

「……こういった仕事には慣れております。お気づかいは無用です」


 何とか会話の糸口を掴もうとしているが取りつく島がない、といった感じである。


「そう……。じゃあ、このままお話しましょう。それくらいなら良いでしょう?」


 それでも、楽毅がくきはめげる事無く声をかけ続ける。


「お姉様。あの者に気を許すのは危険です」


 見かねて楽毅がくきの側にやって来た楽乗がくじょうが、耳元でそうささやく。

 楽毅がくきは、分かったとばかりにコクリとうなずくと、


楽乗がくじょうさんも、アナタとお話がしたい、と言っているわよ」


 と、さらに声を張り上げて言った。


 ええっ、と困惑する楽乗がくじょう


 すいはひとつため息をき、


「……私と話をしても、何もおもしろくありませんよ?」


 諦めた様に言うのだった。


「わたしもあまりおしゃべりは得意じゃないわ。だから気にしないで」


 楽毅がくきはうれしそうに笑い、楽乗がくじょうは、はぁ、と諦めのため息を漏らす。


「ねぇ、すいさん。歳はおいくつ?」

「十四です」

「じゃあ、わたしの方が二つ上なのね。生まれはどちら?」

「私は三年程前によう商会に拾われてから、その一員として各国を転々としておりました。ですので、私にとっての国はよう商会です」

「拾われた? では、ご家族の方は?」

「……おりません。と言うか、私にはよう商会に拾われる以前の記憶が無いのです」

「記憶が……。イヤな事をいてしまって、ごめんなさい」

「いいえ、別に悲しいとかいう感情も無いので、お気になさらずに……」


 涼やかなその口調からは、確かにそういった負の感情は感じられなかった。それは言い換えれば、彼女にとってよう商会が家族であり、かけがえの無い大切な場所なのだろう。


 しかし、それでも楽毅がくきすいに同情の念を禁じ得なかった。

 彼女も、幼いころにはもう母の姿は無かった。その面影をしのぶものは無く、わずかに記憶の片隅にある母の顔はかすみがかったようにぼやけていた。


「そういえば、ようさんは儒家じゅかなのかしら?」


 ここで楽毅がくきは、聞きたかった事を迂遠うえん的にたずねる。


「……なぜ、そう思われたのですか?」

「ほら、服に太極図たいきょくずが刺繍されてるでしょう? 儒教じゅきょう陰陽いんよう説も取り入れてるから、そうなのかなぁって思ったの」

「確かに陰陽いんよう説は儒家じゅかにも大きな影響を与えております。しかし、儒教じゅきょうは仁義礼智をむねとした道徳観を伝えるもの。儒家じゅかに武器商人は務まりません」

「それもそうよね。おかしな事聞いちゃったわね」


 そう言っておどける楽毅がくき

 しかし、そんな事は彼女は百も承知であった。


「……よう様は道士どうしです」


 そしてついに、すいの口から答えを引き出した。


道士どうし……?」


 道士どうし道教どうきょうの修道者を差し、道家どうかとほぼ同義である。

 たしかに、陰陽いんよう説は道教どうきょうにも多大な影響を与えている。しかし、楽毅がくきはその教義について詳しく知っている訳ではなかった。


道教どうきょうとは一体どのような教えなのでしょう?」

道教どうきょうは、古来より伝わる巫術ふじゅつ鬼道きどういしずえとしております。そこに虚無自然を真の道と説く老子ろうしの思想、儒家じゅかの哲学、陰陽五行いんようごぎょう説、さらには【墨家ぼっか】の思想などあらゆるものを取りこみ発展しました」

道教どうきょうには【墨家ぼっか】の思想も含まれているのですか?」


 楽毅がくきは思わず説明をさえぎる。


「ええ。とは言っても、上帝じょうてい鬼神きしんといった形而上学けいしじょうがく的なもののみですが」


 上帝じょうていは天上の神、鬼神きしん神霊しんれいや霊魂を指し、いずれも中華大陸に古来から伝わる思想である。


「はぁ……」


 分かった様な分からない様な、曖昧あいまいなため息を楽毅がくき。こと楽乗がくじょうに至っては、先程から苦虫を噛み潰した様な渋い顔で何度も首をひねっていた。


 ようやくすいは後ろを振り返ると、


「まあ、要するに宇宙の真理をひとつの道──これを【タオ】と呼びますが、【タオ】を極めて宇宙の真理に近づく、というのが教義の根本にあり、その為の手段として不老長寿になり世界と一体化する、というのが道教どうきょうです」


 苦笑交じりに説明を続ける。


「なるほど。つまり、人間を超越した存在を目指そうと?」

「ええ。そんな感じです」


 すい楽毅がくきの理解の早さに感心した様にうなずき、視線を前方に戻した。


 ──儒教じゅきょうとは違う、むしろれいさんの陰陽道おんみょうどうに近いのかもしれない。


 儒教じゅきょうは身近な道徳を学術的・宗教的に昇華させたものであり、儒家じゅかの祖である孔子こうしの教えをまとめた『論語』には、“怪力乱神かいりきらんしんを語らず”とある。決して道教どうきょうとは相容あいいれないものだ。


 一方、以前れいが語っていた陰陽道おんみょうどうとは宇宙観が似ており、共に真理を有している。


 しかし、れい陰陽道おんみょうどうには【大いなる意思】という神のごとく存在は認めても、人が神に近づくという選択肢は無い。


 【天輪てんりん】という唯一絶対の真理の下、人は【大いなる意思】によって定められた運命を享受きょうじゅするという受動性の陰陽道おんみょうどう

 真理を求めて自らを神の領域にまで高めようとする能動性の道教どうきょう


 両者の相違を、楽毅がくきはその様に理解した。

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