七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第5話 楽乗さんはわたしの次です

公開日時: 2021年1月6日(水) 17:11
文字数:1,783

 翌日──


 楽毅がくき達はこの日、丘陵を越えた先にある柏人はくじんというまちを目的地と定めた。柏人はくじんまで来ればもう中山国ちゅうざんこく領は目と鼻の先である。

 ただし、それは楽毅がくきがまだ中山国ちゅうざんこくにいた頃の話で、今頃はちょう軍によって南西の領域はかなり削り取られたはずだ。


 ──まだ霊寿れいじゅには至ってないと思うのだけど……。


 楽毅がくきの心に焦りは無い。しかし、楽観出来ないのも事実であった。


 楽毅がくきほろから顔を出し、外の景色を望む。そこは相変わらず、木々と原野がどこまでも広がる荒涼の世界であった。

 今度は車内前方に移動し、前方を見やる。そこには今日も相変わらず黙々と手綱たづなを握り続けるすいの背中があった。


「ねぇ、すいさん。そろそろ馭者ぎょしゃを交代しましょう?」

「……結構です」


 楽毅がくきの言葉に、すいはやはり振り返る事も無く無感情な声で答える。


「でも、毎日ずっとそこに座っていて、いい加減退屈じゃない?」

「大丈夫です。どうか私の事は気になさらずに」


 やはり取りつく島が無かった。

 しかし楽毅がくきは、ふぅ、とひとつため息をくと、


「ダメよ。年上の言うことは素直に聞かなくちゃ」


 たしなめるような言葉と共に馬車を抜け出し、馭者ぎょしゃ席へと身を乗り出す。


「お、お姉様ッ⁉︎」


 止めようとして楽乗がくじょうが慌てて立ち上がるが、その時馬車が大きく揺れ、足元がぐらつく。


「な、何をしているのですか?」


 楽乗がくじょう倉皇そうこうとした声もあいまってすいはようやく振り返り、すぐ側まで楽毅がくきが近づいていた事にようやく気がつく。


「こ・う・た・い。ね?」


 楽毅がくきはにこやかな顔でそう言って、戸惑うすいの手を取り手綱たづなを奪うと、体をすり寄せてその場所にムリヤリ陣取る。


「……それでは私が困ります」


 結果押しのけられたすいが、うらめしそうな眼差しを楽毅がくきに向ける。


「困る事なんて何も無いわ。中で楽乗さんとお話しながら休んでてくださいな」


 手綱たづなを握った事で気持ちがたかぶ楽毅がくき


「お姉様、私が変わります! お姉様は中へ」


 平衡感覚バランスを取り戻し、ようやくほろから顔を出した楽乗がくじょうが呼びかけるが、


「ダ~ぁメ! 楽乗がくじょうさんはわたしの次です……よッと!」


 楽毅がくきはそう言って手首を素早くを上下させ、鞭の様にしならせた手綱たづなで馬の背中に気合いを入れる。

 馬はみるみる速度を上げ、すい楽乗がくじょうはたまらずぐらつく。


「危険ですので、二人とも中へお入りくださいね~ぇ!」


 やたらと上機嫌な楽毅がくき

 もう何を言っても聞かない、と悟ったすい楽乗がくじょうは戦々恐々と馬車の中へと引っこんでゆくのだった。



 夕刻──

 楽毅がくき達一行は本日の目的地である柏人はくじんに到着。そこの宿へと入った。


「お姉様、ただ今戻りました」


 楽乗がくじょうすいと共に、楽毅がくきの待つ部屋へと戻る。


「ご苦労様です。いかがでしたか?」


 二人を出迎えた楽毅がくきは窓際の寝台ベッドに腰かける。


「はい。まちの人の話によれば、ちょう軍は東垣とうえんを囲んだまま特に目立った動きは無いそうです」

「おかしいですね。これまでのちょう軍の勢いなら、東垣とうえんを抜いてすでに霊寿れいじゅに迫っていてもおかしくないと思ったのですが……」


 楽乗がくじょうの報告を聞いた楽毅がくきが、渋い顔で首をかしげる。


中山ちゅうざん軍の抵抗を受けて力押しを控えたのでしょうか?」

「いいえ。どうやらちょう軍と中山ちゅうざん軍は東垣とうえんでまだ一戦もまじえていないようです」


 楽毅がくきの問いに今度はすいが答える。


「という事は……中山ちゅうざん軍の意識を東垣とうえんに引きつけたまま、ちょう軍の別動隊が他の場所へ廻っている可能性が高いですね」


 楽毅がくきは自身の紅い髪を盛んにいじりながら、真剣な顔つきで熟考する。小窓からしこむ茜色の西日もあいまって、その髪は燃え上がるような深みを帯びていた。


「多方面から同時に攻めこむつもりなのでしょうか?」

「そう考えた方が賢明かもしれません」


 楽毅がくきの答えを受け、楽乗がくじょうは頭の中に絶望的な光景を思い浮かべ、憂苦に顔を歪めた。


「まあ、今わたし達があれこれ考えたところで事態は好転しません」


 楽毅がくきは慰めるように笑って言う。そして立ち上がり、


「それより、みんな一緒にお風呂に入りましょう。昨日入れなかった分、しっかりキレイにしなくちゃ」


 そう言って楽乗がくじょうすいの背中を押す。


「お、お姉様とご一緒など、お、恐れ多い事でありまして……」


 楽乗がくじょうが顔を赤らめながら言えば、


「け、結構です。ひとりで入りますから!」


 すいもさかんにかぶりを振りながら拒否の意向を明らかにする。


「ダメよ。三人仲良く入るの。ね?」


 しかし、楽毅がくきは満面の笑みで二人を押しきる。


「……はい。分かりました」


 ついに楽乗がくじょうすいは折れ、結局この日は三人そろって入浴したのだった。

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