七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第2話 ただいま、父上

公開日時: 2021年1月15日(金) 17:26
文字数:2,178

「それじゃあ、さっそくわたしの家族を紹介したいんだけど──」


 その時、邸宅内からひとりの壮年男性が血相を変えて飛び出して来る。


「ちょうど向こうからいらしたようです」


 男性のあまりの周章しゅうしょうぶりに、楽毅がくきの口から思わず笑みがもれる。


「お久しぶりでございます、父上。ただいま臨淄りんしより帰還致しました」


 しかし、彼が側に来るやいなや、すぐに毅然とした姿勢で拝礼を向ける。


 楽毅がくきに向けて何か言おうと口を開いたその男性──楽峻がくしゅんは気勢をがれた形で、うっ、と言葉を呑みこんだ。


楽乗がくじょう、これはどういう事だ⁉︎ 私は楽毅がくき臨淄りんしに留めておくようお前を遣わしたのだぞ?」


 代わりにその隣りに立つ楽乗がくじょうへと、怒色を含んだ言葉が向けられる。


「はっ。その理由はどうかご本人の口からお聞きになってください」


 楽乗がくじょうは顔色ひとつ変えず、胸の前で右拳と左手の平を合わせ、慇懃いんぎんな口調で返した。

 むっ、と顔をしかめた楽峻がくしゅんは仕方なく楽毅がくきの方へ向き直り、


「なぜ帰って来たのだ、楽毅がくきよ?」


 怒りを押し殺した低い声で問う。


「娘が実家に帰郷する事にいったい何の問題がありましょうか?」


 しれっとした口調で逆に問う。


「現状をわきまえろ、と言っておるのだ! この非常時にのこのこと戦地を横切って帰って来るなど、危険だとは思わなかったのか⁉︎」


 完全に怒りの色をあらわにする楽峻がくしゅん。約一年半ぶりの親子の対面とはとても思えない光景である。


「危険だから……わたしだけは安全な場所でのうのうと暮らしていろ、と?」


 しかし、楽毅がくきは父の顔をまっすぐに見すえ、無感情な言葉をもって静かに返す。

 今まで見た事の無い娘のその様相に楽峻がくしゅんは、むぅ、と言ってややたじろいだ。


「ひとりだけ蚊帳かやの外に置かれて得られた安息に、わたしが満足するとお思いですか? 遠い空の下でただみんなの無事を祈る毎日がどれ程の心痛をもたらすか、父上にはお分かりでしょうか?」


 悲しみに顔を伏せ、楽毅がくきはそう訴える。


 楽峻がくしゅんは戸惑った。その言葉に感じ入ったのもあるが、以前は素直で物静かだった娘が、こうも堂々と父に反抗して意見を述べている姿を、まるで別人のように感じてしまうのだった。


「未熟者ではありますが、わたしは臨淄りんしで兵法を学び、それをかす為に戻って参りました!」


 楽毅がくきは真剣な面持ちで顔を上げると、楽乗がくじょうと同じ様に胸の前で右拳を納めてそう言明した。


 楽峻がくしゅんはしばらく無言のままじっと考えこんでいたが、


「……楽毅がくきよ。どうやらお前は兵法だけではなく、硬骨こうこつさまで身につけたようだな」


 やがて諦めとも取れるため息をつくと、すまなかった、と頭を下げ、


「前言を撤回する。よく帰って来てくれた」


 そう言って自嘲じちょう気味に笑った。


「はい……。ただいま、父上」


 楽毅がくきは涙ぐみ、ようやく父親らしい感情を示した楽峻がくしゅんの胸に飛びこみ顔をうずめる。

 彼女がこれまで抱いていた父へのわだかまりは、この時すっかり霧散していた。


「美しくなったな。母にますます似てきた」


 楽峻がくしゅんは、そう言って胸の前にある夕陽のごとく紅々と燃え上がる楽毅がくきの髪を優しくなでる。

 楽毅がくきはその言葉を、少し照れ臭そうに受け止めた。それと同時に、父の口から数年ぶりに母の事が語られたという事実を、何よりもうれしく感じた。


 その光景に楽乗がくじょうも、グスンと鼻を鳴らして涙ぐむ。

 はじめは楽峻がくしゅんを冷徹と見ていたすいも、その光景に安心したようにホッと胸を撫で下ろす。


「父上にぜひご紹介したいコがおります」


 涙を手で拭った楽毅がくきすいの隣りに立ち、


「商人のすいです。彼女の援助のおかげで、わたし達はこうして無事に戻る事が出来ました」


 楽峻がくしゅんに紹介する。


「商人? すると、この大量の荷物は……?」

「はい。すいの所属するよう商会から購入しました、楚鉄そてつです」


 楽峻がくしゅん門閾もんいきに積み上げられた木箱の山の見て感嘆を漏らした後、


楽峻がくしゅんと申します。このたびはウチの娘達が世話になったそうで。感謝致します、すいどの」


 楽峻がくしゅんすいの手を握り、礼を述べる。


「い、いいえ。私共はただ荷物を運んだだけで、大した事はしておりません」


 すいは突然の握手に戸惑いながらも、その温もりを心地良く感じた。


「それで、父上に二つばかりお願いがございます」

「何だ?」


 楽毅がくきの言葉に、楽峻がくしゅんは向き直る。


「まず、人夫の方々の今晩の宿を手配していただきたいのです」

「ふむ。ちと多いようだが、このような非常時に客はいないだろうから街中の宿に声をかければ何とかなるだろう」


 任せておけ、と言って楽峻がくしゅんは自分の胸を力強く叩いてみせた。


「ありがとうございます」

「それで、もうひとつの願いとは何だ?」

「はい。すいを当分の間ウチでお預かりしたいのですが」

すいどのを?」


 驚きの色がすいに向けられる。


「私の心願でございます。突然の申し出で大変恐縮ですが、どうかこちらに置いてはいただけないでしょうか?」


 深々と頭を下げて懇願するすい

 楽峻がくしゅんはさらに困惑した面持ちで、あごひげをさする。考えこんでいる時の彼の癖である。


「……これからここは戦火に巻きこまれるかもしれぬ。それでも良いのか?」

「はい。私も共に戦う所存です」


 すいは真剣なまなざしを向けてそう答えた。

 その瞳に並々ならぬ覚悟を感じ取った楽峻がくしゅんは大きくうなずき、


「分かった。喜んでお迎えしよう」


 了承を下すのだった。


「ありがとう、父上。よかったね。これから一緒よ、翠」


 楽毅がくきが喜びをあらわにすいの手を握る。


「はい。よろしくお願いします、楽毅がくき姉さん」


 すいは細い目をさらに細め、控えめに笑うのだった。

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