三日前から降り始めた雪は、ようやく止み終えた頃にはすでに膝下を覆うまでに積もっていた。
趙与率いる趙軍の部隊が完全に前線を脱し、遠方に停滞している事を確認した楽毅は、砦に三千の兵を残し、粛々と雪を踏みしめながら国都・霊寿への帰還を果たした。
およそ三倍もの敵軍を相手に善戦し、これを退けたのだ。凱旋といっても過言では無いだろう。実際、霊寿の民はこの美しき女将をまるで女神を崇めるかの如く熱狂的に迎えたのだった。
楽毅達は笑顔で声援に応えながら、王宮の門をくぐった。
衆目から逃れるとすぐに、ふぅ、と脱力する。まるで偶像の様な扱いに慣れていない楽毅達は、その対応に苦慮していた。
「これは結構キツイですね」
やや引きつった笑みを崩して、楽乗はため息交じりにそう漏らした。
「孟嘗君はきっとどこへ行ってもこんな風に熱烈な歓迎を受けるのでしょうね。わたしにはとてもマネできません」
楽毅は同調し、それと同時に、いついかなる時にも超偶像であり続ける少女の偉大さを改めて痛感するのだった。
「なかなかの人気振りだな」
王宮の庭園で囃す様に楽毅にそう言ったのは、彼女の父である楽峻であった。
その隣りには太子の姫尚もおり、
「さながら戦女神と言ったところだな」
楽峻に同調する様にそう述べるのだった。
「もう、からかいはおよしになってください」
顔を赤らめ、はにかんだ楽毅は、二人の方へ歩み寄ると、
「ご無事で何よりです」
喜色を浮かべて再会を祝した。
二人は静かにうなずく。
「すまぬ、楽毅。楽峻。そなたらは見事に趙軍を釘づけにしたにも関わらず、私は踏み留まる事が出来ず、北はかなりの領土を削られてしまった」
悔恨をあらわに姫尚はそう述べ、二人に頭を下げる。
「何をおっしゃるのです。今回の戦の目標は飽くまでも敵の作戦を阻止する事。霊寿まで敵の手が及ばなかったという事は、わたし達はそれを達成したということです」
楽毅はそっと姫尚の手を取り、
「それに、太子が対峙したのは武霊王自らが率いた精鋭部隊だったと聞いております。それを相手にここまで持ち堪えてくださったのですから、妙々たる結果でございます」
賞揚を惜まなかった。
実際、中山国の北部の半分近くが趙軍の手に落ちたものの、相手の虚を衝き一気に霊寿を落とす腹づもりであったはずの武霊王は、備えられていた護りの厚さに驚き首をかしげた事だろう。
それに楽毅は、姫尚が生きてさえいれば負けではないと思っている。王とは国そのものであり、たとえ領土を失おうとも、王の血胤が生き続ける限り国はそこにあり続けるのだ、と。
「そう言ってもらえると気が楽になる」
姫尚は愁眉を開いて微笑した。
「春になれば武霊王は再び全力をもって攻めてくるでしょう。わたし達はその時に向けて対策を練らなければなりません」
あくまでも楽毅の思考は未来へと向けられていた。
「とりあえず今は王に報告を済ませ、仔細は後程話し合いましょう」
楽毅と楽峻、そして姫尚はそれぞれ配下を待機させて王宮内へと入っていった。
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