七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
チーム奇人・変人

第7話 それは冗談です

公開日時: 2021年1月22日(金) 17:19
文字数:1,560

 数十年前にえんで生じた内乱──

 それに乗じて侵攻してきたせい軍によって燕王えんおうは討たれ、太子たいしも行方不明となった。えんの大半を制圧したものの、これを維持するのは困難と考えたせいはその対処に苦慮した。


 そこに武霊王ぶれいおうが、かんに遊学していたえん公子こうしを招いて彼を玉座にえる事を提案。せいはこれを受け入れてえんから兵を引いたのだ。


 結局、それよりも先に行方不明であったえん太子たいしが国都に帰還して王を名乗った為に武霊王ぶれいおうの提案は白紙となってしまったが、彼はえんせいの両国に恩を売る事には成功したのだった。



「父上。武霊王ぶれいおうの巧妙な外交術によって中山国ちゅうざんこくが孤立無援となるのも時間の問題です。それを避ける為に、せいとの交誼こうぎを早急に回復させるべきではありませんか?」


 鋭い眼差しで楽毅がくきはそううながす。


「それが難しい事くらい、お前にも分かっているだろうに……」


 楽峻がくしゅんは憂鬱の色をあらわに嘆息した。


「王号の一件から我が君はせいを嫌っている。憎んでいると言っても過言ではない。そして私とて、王号を称する事に反対した一員だ。我が君やその周囲にはべる側近達から冷眼を向けられておる。聞く耳など持たぬだろう」


 その言葉から苦渋がありありと感じられた。

 それでも、と楽毅がくきは居住まいを正し、


せいに使者を遣わすべきです。たとえ斉王せいおうから助力を得られずとも、孟嘗君もうしょうくんすがれば彼女はきっと義をもって立ち上がり、三千の食客ファンを率いて助けに来てくれるでしょう」


 熱意をこめて訴えた。


孟嘗君もうしょうくんといえど、わずか三千で中山国ちゅうざんこく救援すくえるとは思えぬが」


 そう言う楽峻がくしゅんの言葉は、どこか冷めていた。


「父上。孟嘗君もうしょうくんは天下の頂点偶像トップアイドルです。彼女が動けば万民がその動向に注視し、彼女が働きかければ万民を動かす事も可能なのです」


 それでも楽毅がくき滔々とうとうと語り続けた。


「万民を動かすとは、また大風呂敷を広げたものだな、楽毅がくきよ」


 その様な事が出来るはずがない、と言わんばかりの口ぶりで楽峻がくしゅんは笑う。


「……わたしは実際に孟嘗君もうしょうくんにお逢いしました。その人格を肌で感じました。だからこそ分かるのです。あの方は弱者の懇請こんせいを決して無下むげには致しません」


 楽毅がくきはここに至ってようやく孟嘗君もうしょうくん──齋和さいかとの邂逅かいこうの事実を口にする。


「何だと⁉︎ お前は本当にあの孟嘗君もうしょうくんと逢ったのか?」


 ピタリと笑いを止めた楽峻がくしゅんは、思わず前のめりになる。


 はい、と楽毅がくきは事も無げに答えた。

 信じられない、といった顔で呆然とする楽峻がくしゅん


臨淄りんしつ前に、私もご一緒に拝謁はいえつしたので間違いありません」


 楽乗がくじょうが補足をかねて報告する。


「それに、孟嘗君もうしょうくんは父上の事を謹厳実直きんげんじっちょくと褒めておいででした」

「な、なにィ? なぜ孟嘗君もうしょうくんが何の面識も無いはずの私の事を知っているのだ?」


 驚きが畳みかけるように押し寄せ、楽峻がくしゅんは混乱した自身の心を整理しきれずにいた。


孟嘗君もうしょうくん食客ファンは中華大陸全土に及び、彼らが孟嘗君もうしょうくんの目となり耳となっております。だから、この会話もきっと……」

「な、何だと⁉︎」


 含みをこめた楽毅がくきの笑みに、楽峻がくしゅんは思わず周囲を見回した。もちろん、楽毅がくき達以外には誰の姿も見当たらなければ気配すら感じない。


「それは冗談です。しかし、実際に孟嘗君もうしょうくん情報網ネットワークは正に千里眼ともいうべき早さとひろさを誇っているのは確かです」


 楽毅がくきは涼やかな声で言った。

 楽峻がくしゅんはひとつ大きなため息を吐き出すと、


「分かった。明日、我が君に献言けんげんしてみよう。そのついでに、お前の役職もたまわるつもりだ」


 その決意を伝える。


 ありがとうございます、と楽毅がくきは深々と頭を下げた。

 可能性は極めて低いと理解しながらも、万が一その献策が受理された時は自分がその使者となって孟嘗君もうしょうくんと対面しよう、と楽毅がくきは淡い期待に胸をふくらませる。


 一方で、本当に孟嘗君もうしょうくん食客ファンが見聞きしている可能性を感じて深淵を彩る闇に目を向けた楽毅がくきは、


 ──孟嘗君もうしょうくん食客ファンが黒ずくめなのは、実は闇と同化する為なのでは?


 ふとそんな風に考えてしまうのだった。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート