七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第7話 この胸に響きましたわ

公開日時: 2021年2月16日(火) 11:04
文字数:2,284

 ──これが運命だというのなら、わたしは……。


 ひとつ深呼吸を入れて落ち着きを取り戻した楽毅がくきは、もう片方の手で武霊王ぶれいおうの大きな手をそっと外して、


「ありがとうございます。ですが、わたしが貴方と共に同じみちを歩む事は決してありません」


 ほほ笑みを浮かべながらかぶりを振った。


「ほう。俺では役不足だという事か?」


 そう言う武霊王ぶれいおうの口振りは穏やかだが、その実、目はとても冷ややかであった。

 楽毅がくきはもう一度かぶりを振ってから言った。


「貴方は天下を地に求め、孟嘗君もうしょうくんは人に求めている。生き方が根本的に違うのです。そしてわたしも孟嘗君もうしょうくんを敬愛しながらも、それとは違う生き方を模索している身なのです」

「俺が孟嘗君もうしょうくんに勝てぬとでも言うのか?」

「それは分かりません」

「貴様を力づくで俺のものにしてもよいのだぞ?」

「どうぞ、ご自由になさいませ」


 武霊王ぶれいおうの高圧的な問い攻めを飄々ひょうひょうかわ楽毅がくき

 楽乗がくじょう達も武霊王ぶれいおうの家臣達も、息を呑んで事の成り行きを見守っている。


 それからしばらくの間沈黙が続いた後、武霊王ぶれいおうせきを切った様に哄笑こうしょうし、


「俺の負けだ、楽毅がくき。さっき言った事は全て忘れてくれ」


 立ち上がると、元いた場所へと戻り、どっかと椅子に腰かけた。


「フラれた腹いせに女を斬ったとあっては、趙家ちょうけの名折れだからな。今回は見逃してやる。このまま黙って帰るがよい」


 ひらひらと手を振る武霊王ぶれいおう

 しかし、その真横から一人の青年が足早に前に踏み出ると、


「お待ちください、父上! その女には苦汁を呑まされた恨みがあります。黙って帰られては私の気が済みませぬ」


 粘質を含んだダミ声で、そう訴える。


趙章ちょうしょう、か……」


 武霊王ぶれいおうは青年を瞥見べっけんするやいなや無感情な声色で、自分の息子でありいずれは趙王ちょうおうの座を継承するであろう太子たいしの名を、ため息と共に吐き出した。

 その青年──趙章ちょうしょうは先の戦で楽毅がくき率いる中山ちゅうざん軍に完敗し、それが原因で部隊の指揮権を剥奪はくだつされた経緯がある。気位がやたらと高く、お坊ちゃま気質が抜けないため、楽毅によって自尊心プライドを傷つけられた、という憎しみの念にり固まっているのだ。


「ああ、殺したい、殺したい……。八つ裂きにしても飽き足りない。どうか……どうか私にこの女を斬らせてください!」


 まるで激情の詩でもぎんじるかの様に、武霊王ぶれいおうの前で怨嗟えんさをさらけ出す趙章ちょうしょう


「……太子たいし趙章ちょうしょうよ。俺は貴様が王としての資質を身につけられるようにと、経験を積ませる為に一軍を与えた。俺の貴様に対する期待は分かるな?」

「はい。私はその期待を裏切ってしまいました……」

「そうだ。貴様はそこにいる楽毅によって敗北をきっした」

「面目次第もございません」

「負ける事自体は何ら恥じるものでは無い。それも、覇道を志す者には必要な経験だ。だがな──」


 武霊王ぶれいおうは一度目を伏せ、一拍置いてから、


「戦で受けた屈辱は戦でしかぬぐえぬのだ。使者として丸腰の状態で面前に現れた者を斬ったところで、それはただの腹いせにしかならぬ。それは軟弱者のする事であって、覇者のすべき事ではない!」


 語気鋭く叱咤しったする。


「は、はい……。しかし、父上」


 それでも納得がいかない趙章ちょうしょう

 しかし、獣のさがをまとった男の鋭い眼光に居すくまり、了解しました、とか細い声で答えると、すごすごと後ろに下がるのだった。


 武霊王ぶれいおうは息子の頼り無さげな背中を見送ると、ひとつため息を漏らし、


「見苦しいところを見せてしまったな。今のやりとりも出来れば忘れて欲しい」


 楽毅がくき達に苦笑を向ける。


趙章ちょうしょう様と交戦したわたしとしては複雑な心境ですが、『戦で受けた屈辱は戦でしかぬぐえない』、という趙王ちょうおう様のお言葉は、この胸に響きましたわ」

「あれはかなり貴様に入れこんでいるようだからな。まあ、見ての通り出来の悪い男だが、俺はつい甘やかしてしまう。悪いクセだ」


 その刹那、武霊王ぶれいおうの瞳が憂愁の色を帯びるのを、楽毅がくきは見逃さなかった。子を心配する父親の心情かと思ったが、それとは違うとても悲しげな雰囲気も同時に感じられた。


 ──何か複雑な事情があるのかしら? 


 楽毅がくきはふとそう思い、もしかしたらそれが武霊王ぶれいおうの弱みなのでは、と推察してみた。

 

 いつの時代も、偉大な王の子が必ずしも偉大になるとは限らない。これまでの歴史をかんがみるに、人の性質というものは血筋ではなく、周囲の環境によって大きく左右されると言っても過言ではないだろう。


 楽毅がくきの目から見れば、趙章ちょうしょうという男は現在の中山王ちゅうざんおうによく似て傲慢ごうまんである。とても王の器では無いというのが正直な印象だ。それは恐らく武霊王ぶれいおう自身も感じている事であり、大国の王として冷酷に切り捨てる事も出来ず、ひとりの父親としての情との間で板挟みになっているのではないだろうか。


「意外ですわ。天下に名立たる趙王ちょうおう様にもそういう一面がおありだったなんて」


 楽毅がくき忌憚きたんの無い感想を述べれば、


「そうだな。手のかかる子程かわいいのかもしれんな」


 武霊王ぶれいおうもそう答え、苦笑を漏らした。


「さて、いろいろと要らぬ話をしたな。残念ながら交渉は決裂だ」


 武霊王ぶれいおうはすぐに真剣な面持おももちに戻り、


「覚えておく事だな、楽毅がくき。俺の要求をこばんだという事は、中山国ちゅうざんこくは延命の機会チャンスを自ら放棄したという事だ」


 すっくと立ち上がり、楽毅がくきを射すくめるように上から見下ろす。


「心得ております」


 しかし、楽毅がくきは臆する事無く悠然と返し、立ち上がり、拝礼を残して武霊王ぶれいおうに背を向ける。


 今は雪が大地を覆い尽くしている為にちょう軍は動く事が出来ないが、雪解けと同時に再び中山国ちゅうざんこくに進軍するだろう。

 最後の武霊王ぶれいおうの鋭い眼光は、次に戦う時はこの前の様にはいかない、と示唆しさしている様に楽毅がくきは感じた。


「失礼致します」


 周囲の冷ややかな視線と囂々ごうごうたる非難を浴びながら、楽毅がくき達は幕舎を後にした。

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