七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
チーム奇人・変人

第10話 大変失礼を致しました

公開日時: 2020年11月26日(木) 19:01
文字数:2,638

 やがて二人は大通りを抜け、小さな路地へと入ってゆく。

 そこに雑然と立ち並ぶ家屋のほとんどは古く色あせ、大通り沿いとはまるで別世界のようであった。


「ねえ、齋和さいか。ここって……?」

「まあ、どこの国にもあるいわゆる貧民街というやつじゃ」


 齋和さいかは淡々と答えた。


 楽毅がくき中山国ちゅうざんこくの貧民街を一度だけのぞいた事がある。そこでは誰もが貧困にあえぎ、路傍で膝を抱えたままうずくまっていた。


 しかし、臨淄りんしの貧民街にはそういった陰鬱いんうつさが無かった。

 まず、路地は隅々すみずみまで清掃が行き届いておりゴミひとつ落ちていない。繁華街よりよほど清潔である。建物は確かにボロボロなのだが、きちんと修繕は為されていてつつましく暮らす分には何の問題も無い。そして何より人々の表情は明るく、誰一人として己の現状を悲観している者などいなかった。


 楽毅がくきはこんなところでもせい中山国ちゅうざんこくとの違いを思い知らされるのだった。


 顔見知りなのだろうか、人々は齋和さいかを見ると盛んにあいさつし、彼女も彼らと時々談笑する場面もあった。


「ずいぶんお知り合いが多いのね?」

「うむ。ワシは昔、ここで育った。みな家族のようなものじゃ」


 その言葉に、楽毅がくきは首をかしげる。


 ワガママなお嬢さまのように振舞いながらも、貧民街で育った、とも言う。高貴な雰囲気を有しながらも、言動は俗人そのものだ。


 ──一体どっちなのかしら?


 その疑問を口にするより前に、


「着いたぞ」


 と齋和さいかが立ち止まりそう言った。


 視線を戻すと、そこには小さな庭を備えた一軒の木造家屋があった。柵などはなく、庭といっても数本の木々と猫の額程度の畑があるだけ。家屋も所々に亀裂が走り、それを補修した跡などが見られる。


「ここがお友達の家?」

「うむ。みな驚くぞ。何しろ、このワシが突然やって来たのじゃからなぁ」


 齋和さいかはうそぶき、勇んで玄関の前へと進む。

 しかし、彼女が玄関の戸に手を掛けるよりも早く内側から戸が勢い良く開かれ、


「いらっしゃ~い☆」


 先程競馬場で見かけた黒ずくめの男女が、手ぐすね引いて待ってたと言わんばかりに、笑顔を浮かべて待ち構えていたのだ。


「ほわぁぁぁぁぁッ⁉ な、なぜオヌシらがここにおるのじゃッ⁉」


 逆に驚かされる結果となり、思わず腰砕けとなってその場に座りこむ齋和さいか


「街の人達から貴女らしき人物が食材を買い込んでいるという話を聞いて、恐らくここにやって来るのでは、と山を張っていたのですよ」


 黒ずくめの女性が、どうだ、とばかりに腕組みをして齋和さいかを見下ろした。


「おのれェ、主君であるこのワシを見下ろしおってからにィ……」


悔しさをこめて強く握りしめた手をプルプルと震わせる齋和(さいか。


「おいたわしい限りでございます」


 と、もうひとりの黒ずくめの男性は懐から小さな布を取り出し、それを目頭に当ててさめざめと言う。しかし、その実、言葉に全く感情がこもっておらず完全に空涙であった。


「あら? 貴女は確か競馬場でお会いした方ですよね? なるほど、孟嘗君もうしょうくんに振り回されていた被害者だったワケですか」


 背後にいる楽毅がくきの姿に気づいた女性は、やれやれとため息をく。


「被害者とはなんじゃ、人聞きの悪い。ワシは詐欺師か何かかッ⁉」


 齋和さいかはようやく立ち上がり、拳を突き上げて憤慨する。

 女性の方も、似たようなものではありませんか、と憎まれ口で返す。


「あ、あの……ちょっとよろしいですか?」


 キョトンとした面持おももちで事の成り行きを見守っていた楽毅がくきであったが、彼らの会話の中に看過かんかできない単語が含まれていた事に気づき、


「先ほど、このコの事を“孟嘗君もうしょうくん”と呼んでおられましたが……」


 視線で齋和さいかの方を示しながら黒ずくめの女性に問う。


「もしかして……気づかずにずっと一緒にいたのですか?」


 女性が齋和さいかの方に目をやると、彼女はふくれっツラをプイッと背ける。

 彼女はもう一度ため息をもらし、


「このコは──もとい、この御方はせい宰相さいしょうにしてせつの領主、田文姫でんぶんき。すなわち、天下の超偶像スーパーアイドル孟嘗君もうしょうくんです」


 威厳をふくんだ声で言った。


 その言葉を聞いた途端とたん楽毅がくきは頭が真っ白になり、軽い眩暈めまいを覚えた。


 まさか、先ほどまで一緒に行動を共にしていた少女が──

 競馬に熱狂していた少女が──

 自意識過剰にして他者を慈しむ優しさを持った少女が──


孟嘗君もうしょうくん!」


 楽毅がくきは思わずその場に膝を突き、深々と叩頭ぬかずく。


「い、いきなりどうしたのじゃ、楽毅がくき?」

「知らぬ事とはいえ、大変失礼を致しました!」


 突然の態度の変化に驚く齋和さいか

 楽毅がくきはなおも畏縮し、決して顔を上げようとはしなかった。


「確かに、正体を明かさずにいたのは悪かった。しかし、ワシは悲しいぞ、楽毅がくきよ。オヌシとは良き友になれると思うていたのに、身分に応じて態度を豹変させるのか? 高貴な者と知った途端にそうやってへりくだるのか?」

「それは──」


 楽毅がくきは何も言えなかった。

 確かに先程までは和気あいあいと話をしていたのに、今ではあからさまに卑屈な姿をさらしている。失礼な事だと分かっている。相手が気分を害する事も理解している。しかし、それでも孟嘗君もうしょうくんという人物は遥か雲の上の存在であり、軽々しく言葉を交わす事など出来ない。してはならない。それが超偶像スーパーアイドルなのだ。


「……この齋和さいかという名はな、ワシの育ての親である伯翁はくおうがつけてくれたのじゃ」


 なおも卑屈な態度を崩さない楽毅がくきに、齋和さいかは静かに語り出す。


伯翁はくおうとは、大商人でありながら私財を投じて治水事業を行った、あの伯翁はくおうですか?」


 楽毅がくきの問いに、彼女はコクリとうなずいた。


 この中華大陸に暮らす者で伯翁はくおうを知らぬ者はいないだろう。商才に長けた彼は一代で巨万の富を得ながら、そのほとんどを公共事業や福祉に費やしたという異例の商人である。


「ワシはこの名が好きで、私的プライベートの時は常に齋和さいかで通しておる。だから、今のワシは田文姫でんぶんきでも孟嘗君もうしょうくんでもなく齋和さいかじゃ。これまで通り気兼ねなくそう呼んで欲しい」


  齋和さいか楽毅がくきの前で膝をついてポンと彼女の肩に手を置き、羽のように柔らかな声でそう言った。


「さい……か」


 楽毅がくきはゆっくり頭を上げ、少女の顔を見やる。

 それでよい、と齋和さいかは穏やかな笑みを浮かべた。


「ありがとう……齋和さいか


 まだ多少の硬さが残るものの、楽毅がくきはそう呼んだ。


 ──ああ、このコは人の痛みがわかる人なんだ。


 公族でありながら、偶像アイドルでありながら、齋和さいかはこうして市井しせいに身を投じて多くの人達と触れ合っている。

 孟嘗君もうしょうくんの人気は容姿や才能だけではない。人を求め、人を愛する心がある。だから多くの人が彼女を愛し、彼女に付いて来るのだ。


 楽毅がくきは目の前にいる少女の魅力と底知れぬ器量を、身をもって再確認するのだった。

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