それから数日が過ぎた頃、軍備に負われる楽毅の元に思わぬ来客が訪れた。
それは楊商会の頭である楊星軍と、その一団であった。
「お久し振りでございます、楽毅どの。ご健勝でなりよりです」
太極図の描かれた白衣の袖をひらりと翻し、楊は低い声と共に拱手を向ける。
「これはこれは、楊どの。その節は大変お世話になりました」
「お役に立てて何よりです。やはり、わたくしの勘は当たりましたな。アナタは想定していた以上の幸運をわたくしにもたらしてくださいました」
「何か良い事でもありましたか?」
おおありです、と楊は口の端をニヤリと吊り上げ、
「アナタ方が趙軍に善戦してくれたおかげで、それを支援したわたくし共の商会を懇意にしてくださる顧客が増えまして、良い事ずくめでございます。アナタはわたくしにとって正に幸運の女神です」
喜色を余す事無く語る。
楽毅は、恥ずかしげに目を伏せた。
「それより、今日はどうしたのですか? 以前立て替えていただいたお金でしたら、ご覧の通りとてもお返し出来る状況にありません」
「いいえ、あれはもう成立した商談です。アナタがこれ以上お支払いいただく必要はございません」
「しかし、それではこちらの気がすみません」
申し訳無さそうに恐縮する楽毅に、楊は苦笑し、
「女神がそのようなことを気になさらずに」
と冗談めかして言った。
「今日わたくしがこちらに参りましたのは、実はさるお方からアナタへの援助を申しつかりまして、あちらをお持ち致しました次第です」
そう言って楊は後ろを指し示す。楽毅が目を凝して見るとそこには、十台にも及ぶ荷車がずらりと列をなしていた。
「あれは?」
「斉で調達した弩を中心とした武器でございます。どうかお役立てくださいませ」
楊の言葉に楽毅は、あっ、と開口する。
「お代の方は先方からいただいておりますので、どうぞご安心ください」
「いけません! これ以上のご厚意は、かえって心苦しく感じてしまいます。こちらは何ひとつお返し出来るものが無いのです」
「先方がおっしゃるには、『楽毅どのが生きてさえくれれば他には何も望まない』との事でございます」
楽毅は怪訝そうに首をかしげた。
「一体、どこのどなたがそのような酔狂な事を?」
「先方からのご希望により、それを明かす事は出来ません。ですが、身分卑しからぬ貴人である事だけはわたくしが保証致します。ご安心くださいませ」
確かに、これだけ大量の武器を揃えて、挙げ句には無償で提供する程だ。それなりに財を成した貴族か王族でもなければ、出来ない芸当だろう。
──先程、武器を斉で調達したと言っていた。もしかしたら、あのお方が?
ふと、楽毅の脳裏にひとりの人物の姿が浮かぶ。それは、斉の宰相にして天下の超偶像・孟嘗君──齋和だ。
楽毅と彼女は友であり、臨淄で別れた際には互いに涙した仲だ。その時も齋和は楽毅の事を気にかけ、いろいろと配慮してくれた。斉王の目を盗んで中山国を陰助したとしても、不思議ではない。
それならば、その恩に報いる為にも、尚さら負けられない。
楽毅は強い思いを胸に、
「分かりました。今回もありがたく使わせていただきます」
楊に深々と頭を下げた。
「それは良かった。わたくしもこちらに来た甲斐がありました」
楊はかすかな笑みを浮かべる。
「そういえば、翠は元気でやっておりますよ」
「そうですか……」
その名を聞き、楊は糸のように目を細める。
「なにぶん、無愛想な娘ですから。ご迷惑をおかけしてはいませんか?」
「とんでもございません。いつも助けていただいて感謝しております。それに、みんなと仲良くやっておりますよ。特にわたしの弟などは実の姉のように慕っており、こちらが少し妬けてしまうくらいです」
ほう、と楊は意外そうな顔を見せた。
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