七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第10章 流離い人

第1話 こちらで我慢していただきたい

公開日時: 2021年3月25日(木) 11:29
文字数:1,384

 ちょうの国都・邯鄲かんたん──


 “中華大陸一の雅”と称され、都人の優雅な歩き方を真似まねるために他国人が訪れるほどであったが、武を好む武霊王ぶれいおうが統治する今では武人や武器商人の姿が多く目立つようになっていた。


 昨年の初秋にも訪れたことがあるそのまちの中を、楽毅がくきたちはちょう兵と共に歩いていた。


「そういえば、すいと初めて会ったのもここでしたわね。まだ一年も経ってないのに、何だか遠い昔のように懐かしく感じますわ」

「……本当に、そうですね」


 露店が多く立ち並ぶ中央通りの喧騒けんそうに目をやりながら、楽毅がくきすいはその当時のことをふと思い返していた。


「戦に使うための鉄とを、ようどののご厚意で破格の値で売っていただいたのでしたね」

「本当にあの時は驚きました。正直、よう様のお考えが理解出来ませんでした。でも、今ならその商売人の勘が正しかったのだと、ハッキリわかります」

「そうです。お姉様の奮闘振りは、きっと中華大陸中に響き渡るはずです。何せ、あの武霊王ぶれいおうを相手にこれだけ善戦したのですから」  

 楽乗がくじょうが力強く同調する。

 すると先導する兵士たちが、不快に満ちた渋い顔で彼女たちを一瞥いちべつする。


「ですが、わたしは中山国ちゅうざんこくを護れませんでした……。誇れるようなものは何もありません」  

 楽毅がくきはかなげな笑みを浮かべて言った。  

 実際、彼女の胸に達成感のようなものは微塵も無く、ただ、心にぽっかりと穴が開いてしまったかのような、そんな喪失感と虚無感だけが支配しているのであった。

 

 そんな彼女の気持ちを何となく察した楽乗がくじょうたちは、これ以上何も言わなかった。


「それでは、正式な通達があるまではこちらをお使いください」  


 そう言って兵士たちに案内された場所は、宮殿よりかなり離れた路地の一郭にたたずむ、一軒のみすぼらし家だった。


「こんなあばら家に住めと言うのか? せめて楽毅がくきお姉様だけでももう少しマシな邸宅に移ることはできないのか?」

「はい。ただいま空き家が不足しておりますゆえ、こちらで我慢していただきたい」  


 しかし、と言ってごねる楽乗がくじょうを制して、


「いいではありませんか。みなさんとご一緒出来るのですから、これ以上望むものはございません」  


 楽毅がくきは穏やかな笑みを浮かべて言った。


「姉上がそうおっしゃるのなら」  


 楽間がくかんがそう言うと、楽乗がくじょうすいも同調してうなずく。


「それでは、後ほど小間使いの者が参りますので、何かありましたらその者にお申しつけください」  


 案内役の兵士は事務的な口調で言うと、結局最後まで楽毅がくきたちを卑下したまま、ドカドカと荒々しい足取りでその場を去って行った。


「無礼なヤツめ」  


 その後ろ姿に向けて、楽乗がくじょう憮然ぶぜんとした面持おももちで言い放つ。


「仕方ありません。つい数日前までは敵同士だったのですから」  


 なだめるように楽毅がくきは言う。 

 しかし、これが武霊王ぶれいおう楽毅がくきたちに対する気持ちの表れであることは、そこにいる全員が感じていた。

 

 以前に交渉のために武霊王ぶれいおうと面会した時も、彼は楽毅がくきが女であるという理由だけで、男と同等の官職を与えることを嫌った。 その例からも、たとえ武霊王ぶれいおうにその才を認められたとしても、楽毅がくきに出世の見こみがあるかといえば、かなり厳しい状況であると言わざるを得ないだろう。

 

 それでも、楽毅がくきはこの待遇を甘んじて受け入れた。  

 これまで国の存続のみに腐心してきた彼女にとって、今のように何をすればいいのかわからない状況下で、とりあえず大切な仲間と穏やかな時を過ごすのはいいことなのかもしれない。そう感じて。

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