七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第6話 龍が潜んでいるのかも知れませんね

公開日時: 2020年12月22日(火) 17:11
更新日時: 2020年12月23日(水) 20:03
文字数:2,375

 目的の宿へと近づく。


 眼鏡を掛けている趙奢ちょうしゃ程ではないが視力があまり良くない楽毅がくきの目にも、その建物の前で直立不動の姿勢を崩さない長身の人物の存在をハッキリと確認できた。

 相手の方も楽毅がくきの存在に気づいた様で、すぐに駆け寄る。


「お待たせしました、楽乗がくじょうさん」


 その長身の少女──楽乗がくじょうに会釈する。


「もう、お別れのご挨拶はお済みですか? 出発はもう少し後でもよろしいのですよ」


 楽毅がくきの心情をおもんぱかった楽乗がくじょうは、あえてかす様な事はしなかった。


 昨日までに楽毅がくきは、仲蓮ちゅうれん元達げんたつなど臨淄りんしの友人に別れを告げていた。

 しかし唯一、まだ別れを告げていない──告げる事が出来ていない人物がいた。


「……ではお言葉に甘えまして。最後に出立前のご挨拶に参りたい方がございます。ご一緒していただけますか?」

「喜んでお供つかまつります!」


 楽乗がくじょうの勇ましい返答。

 楽毅がくきはそれを頼もしく思うのだった。



「こちらになります」


 商業区を抜けて王宮のある行政区へと足を運んだ楽毅がくき達は、その中でもひと際きらびやかな屋敷の前へとやって来た。

 それを見上げた楽乗がくじょうは思わず、はぁ、とほうけた声を漏らす。

 何しろ敷地が広く、屋敷を囲む塀の端がかすんでしまう程なのだ。


「ずいぶんと立派なたたずまいですが、一体どなたのお屋敷ですか?」

せい宰相さいしょう……孟嘗君もうしょうくんです」

「ああ、孟嘗君もうしょうくんですか。どうりで……って、孟嘗君もうしょうくんッッッ⁉︎」


 思わず頓狂とんきょうな声を上げてしまう楽乗がくじょう


 孟嘗君もうしょうくんこと田文姫でんぶんき──

 その愛らしい外見ルックスと絶大な人望カリスマ性から多くの食客ファンを抱える偶像アイドルせつという地を所領としてたまわっている事から薛公せつこうとも称される。

 彼女の演奏会コンサートは必ず人垣で埋め尽くされ、会場は観客達の熱狂と阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図と化す。

 とにかく中華大陸で一番の有名人と言っても差し支えない程の超大物であり、当然彼女もその盛名せいめいは耳にしていた。


「お、お姉様はあの孟嘗君もうしょうくんとお、おお……お知り合いなのですか?」


 楽乗がくじょうは興奮し、大きな体を目一杯使ってあたふたとばたつく。


「……共通のお友達がおります。その縁でお会い出来たら良いのですが……」


 ひとり言のようにつぶやき、楽毅がくきは門の方へと向かう。

 その後を、楽乗がくじょうは慌てて追った。


 門は重厚な扉によって堅く閉ざされており、その両端はほこたずさえた二人の門番で固められていた。


「すみません。孟嘗君もうしょうくんにお目通り願いたいのですが」


 何の躊躇ためらいも無く、楽毅がくき拱手こうしゅ──両手を胸の前で組み合わせる敬礼──と共に門番のひとりにそう告げる。よりにもよって強面こわもて容貌魁偉ゴリマッチョの男の方であった。


事前約束アポイントメントかどなたかの紹介状はありますか?」


 外見にたがわぬ迫力を帯びた銅鑼声どらごえが返る。


「そのどちらもございません」

「どちらも……無い?」


 あまりにあっけらかんとしたその言葉に、門番は思わず虚をかれたようにほうけてしまった。


「……失礼ですが、孟嘗君もうしょうくんはご多忙の身。事前約束アポイントメントや紹介状が無い方と面会なさる事はまず無いと思われますが?」

「存じ上げております。お目通りが叶わずとも構いません。どうか、『中山国ちゅうざんこく楽毅がくきが参った』とだけお伝え願いたい所存です」


 なおも引き下がらない少女に、男の眉がわずかに吊り上がる。


 中山国ちゅうざんこくせいの敵国である事は、もちろん門番は知っていた。しかし、その敵国の者が白昼堂々何の用で孟嘗君もうしょうくんに面会を求めるのか、彼はそれを看破かんぱ出来ずにいた。

 一方で孟嘗君もうしょうくんは出身や貴賤きせんに囚われず、身元の確かな者であれば誰でも喜んで対面する度量のひろさを持った人物である事も理解している。


「……分かりました。お伝えするので、少々お待ちください」


 逡巡しゅんじゅんの末、男は楽毅がくきにそう言い残し、すぐ脇の塀に設えられた小さな扉をくぐって敷地中へと消えていった。


 涼やかな面持ちでそれを見送る楽毅がくき。しかし、実際に会えるかどうかは、正直分からなかった。何しろ、齋和さいかとしての孟嘗君もうしょうくんとは面識があっても、孟嘗君もうしょうくんとしての齋和さいかに会うのは初めてなのだから。


 そして五分程の時が経ち、先程の門番がまるで狐につままれたような面持おももちで戻って来た。


孟嘗君もうしょうくんが貴女との面会をご所望です。どうぞこちらから──」


 そう言って、男は門の片側を押し開ける。

 ゴンっという重低音と共に開かれた扉の先で、さらに大柄な体躯たいくのひとりの青年がたたずんでいた。


「……ご案内致します」


 深々と頭を下げるとその男はきびすを返し、静かに歩き出した。


 どうやら面会が叶うようなので心の中で密かに安堵し、楽毅がくきは門をくぐる。

 その後を、まるで白日夢でも見ているかの様に浮ついた足取りの楽乗がくじょうが続いた。



 石畳の道が連なる庭園を歩いているとすぐに、 金木犀きんもくせい柘榴ざくろといった秋の香が鼻をくすぐる。

 庭園にあるものは木々や花々だけではない。左に目を向ければ、湧き水を溶々ようようと留めた池があり、右に目を向ければ優雅な空間を形成している東屋あずまやがあった。


「あの池、鯉とかたくさんいそう……」


 楽乗がくじょうが何気無くつぶやいたその時、ちょうど池の中からバシャバシャという大きな水音が発せられる。


「もしかしたら、龍が潜んでいるのかも知れませんね」


 楽毅がくきが冗談めかしく言うと、まさか、と楽乗がくじょうが苦笑いする。

 しかし、五十万もの人工を内包した大都市である臨淄りんしのただ中にありながら、その喧騒とはかけ離れたこの屋敷はまるでひとつの別世界を──いうなれば孟嘗君もうしょうくんという傑物の底知れぬ器をそのまま顕現けんげんしているかの様でもあった。


 ──ここが孟嘗君もうしょうくんの描いた世界だとすれば、龍が潜んでいてもおかしくない。いいえ、孟嘗君もうしょうくんが龍そのものなのかもしれないわ。


 楽毅がくきはそんな風に思い、


「わたし達はこれから、龍の懐に飛びこむワケか」


 ポツリとつぶやいた。


 さらに五分程歩いてようやく庭園を抜けると、白亜に彩られた邸宅が目の前に現れた。その荘厳な建造物を見上げた楽毅がくきは、顎門あぎとを開けて待ち構える大蛇のごとく威圧感を感じてわずかにひるむ。


 ──この邸宅はさしずめ頭。わたし達はその口内へと飛びこんでゆくのね。


 ひとつ呼吸を整え、楽毅がくきは意を決して中へと足を踏み入れた。

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