七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
チーム奇人・変人

第2話 わたしはただの敗北者です

公開日時: 2021年3月26日(金) 12:12
文字数:2,161

 楽毅がくきは、扉替わりにとって付けたようにしつらえられたボロボロの麻布をめくり、中へと入る。  

 窓とおぼしき壁をいただけの穴から陽光が射し込み、土や木材があちこちに散乱している部屋の様子がうかがえた。  

 それら障害物をまたいで先に進むと、別の部屋へと通じ、ぐるりと屋内を一周すると、部屋の数が全部で四つあることが判明した。


「部屋の数はちょうどですね。それでは、わたしたちが暮らせるように掃除と修繕を行いましょう!」  


 楽毅がくきはうれしそうに両手の平を重ねると、弾むような口調で言った。


「えっ、今からですか?」  


 楽乗がくじょうの問いに、楽毅がくきは大きくうなずく。


「せめて、小間使いの者が来るまで待ちませんか?」

「自分たちが住む家なのですから、なるべく自分たちの手でやりたいではありませんか」

「……分かりました。お姉さまがそうおっしゃるのなら」


 子供のように爛々らんらんと目を輝かせて迫る楽毅がくきに、楽乗がくじょうあらがうことが出来なかった。


「それでは力仕事をお任せください」


 楽乗がくじょうはひとりで太い木材を軽々と持ち上げると、それを肩にかついで外へと運び出して行った。  

 こうして、楽乗がくじょう楽間がくかんが力仕事を、楽毅がくきすいが清掃を担当し、作業は着々と進んでいった。

 そして、一時間ほどが過ぎたころだった。


「もしや、中山国ちゅうざんこく楽毅がくき様ではございませんか?」


 いかにも好々爺こうこうやといった風情をしたひとりの老人がやって来ると、家の前で休憩を取っていた楽毅がくきたちに声をかける。

 楽毅がくきはすぐに立ち上がり、


「はい。楽毅がくきはわたしでございます」


 ゆうの礼法をもって老人に答えた。


「おお、噂通りの方をお見かけしたので、もしやと思ったのですが、やはりそうでしたか」


 彼女の正体を知ると、老人は顔をほころばせて満足げにうなずいた。


「わたしのことをご存知なのですか?」

「国中で噂になっておりますよ。中山国ちゅうざんこくに赤い髪をした美しい戦女神がいると」

「戦女神……ですか?」

 誇大な評価だ、と楽毅がくきは気恥ずかしさと同時に心苦しさを感じた。


「わたしはただの敗北者です。女神とは程遠い存在です」

「とんでもございません。楽毅がくき様は最後まで中山国ちゅうざんこくを見限らず、傲慢不遜ごうまんふそん武霊王ぶれいおうを相手に真っ向から立ち向かった英雄でございます」

「そのようなことを申されては──」


 自国の王に対する暴言を堂々と述べるこの老人を心配した楽毅がくきであったが、彼はまったく意に介さず、


「よいのです。不毛な戦を繰り返し、我々民衆の苦しみなどこれっぽっちもかえりみようともしない王を慕う者など、この辺りにはおりませんから」


 そう言ってのけるのだった。


「我々は、そんな暴君に辛酸をめさせた楽毅がくき様のご活躍ぶりを噂で耳にするたびに胸を踊らせておりました。こうしてその楽毅がくき様がちょうにお越しくださり、あまつさえ我々と同じ区画に居を構えられることは、これ以上無い幸運でございます。街の者にも手伝わせますので、お待ちくださいませ」

「そんな……悪いです。こちらが勝手に押しかけているのに、周辺の方々にご迷惑をかけさせるワケにはまいりません」


 しかし老人は笑みで返すと、


「お気になさらずに。皆もきっと喜びます」


 そう言って、もと来たみちを戻って行くのだった。


「まさか、敵国だったちょうの民にまで慕われておられるとは。さすがです、お姉様」

「わたしも驚いております」


 しかし、それはこの国の危うさを象徴しているように楽毅がくきは思えた。

 国は王と民が共存して成り立つものであり、そのどちらかでも欠けてはならない。だが、この趙という国はすでに民の心は王から離れつつあり、このまま武霊王ぶれいおうがむやみやたらに戦をくり返せば、近い内に国政はたち行かなくなるだろう。

 そんなことを考えている内に、先ほどの老人が二十人ほどの街人を率いて再びやって来る。


楽毅がくき様、街の若い衆を連れて参りました。どうかお手伝いさせてくださいませ」

 老人がそう言って頭を下げると、街の者達もそれにならい頭を下げる。

 楽毅がくきは少々戸惑ったが、せっかくの申し出を無下には出来ず、


「ありがとうございます。それでは、お手伝いをお願い致します」


 深々と頭を下げて、それを受け入れた。

 街の者達は喜び、そしてよく働いた。みるみる内に屋内のがらくたは片付き、補修と模様替えが行われ、当初数日はかかると思っていたすべての作業行程がたったの三時間で終了したのだった。


「これで何とか、戦女神さまのお住まいとして恥ずかしくないものになりました」

「微に入り細を穿うがつお心づかい、真に痛み入りまする」

 楽毅がくきたちは手伝いをしてくれた街の者たちに深々と頭を下げ、感謝の意を示した。

 実際、着の身着のままで邯鄲かんたんにやってきた彼女たちは生活に必要な物を何ひとつ持参しておらず、哀れに思った街の者たちが余っていた調度品を分け与え、その結果、当面の生活に不自由しないだけの物品が揃ったのだった。

「感謝には及びません。ただ──」

 老人はそう言っておもむろに楽毅がくきの側に歩み寄り、

「どうか、武霊王ぶれいおうには仕えないでいただきたい」

 ポツリと、そう告げた。

 他の街の者たちも、訴えかけるような真剣な眼差しを彼女に向ける。


「我々は公子こうし趙何ちょうか様に忠誠を誓っております。趙何ちょうか様は疲弊しきった国の現状を憂え、我々民草の元までわざわざ参られ、慰めのお言葉をかけてくださいました。趙何ちょうか様こそが次の王に──」

 刹那、饒舌じょうぜつだった老人の口がピタリと止まる。

 楽毅がくきたちの背後から近づいてくるひとりの男の姿に気づいたのだ。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート