七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
チーム奇人・変人

第8話 戦わずして勝つ

公開日時: 2020年12月24日(木) 18:20
文字数:2,257

「いずれこうなると予想しておりました。ただ、その予想よりも早くちょう軍が動いた。それだけの事でございます」


 気を取り直し、楽毅がくきは真剣な面持おももちで伝える。


「ほう、すでに想定内であったか」


 孟嘗君もうしょうくんの口から感嘆かんたんが漏れる。


武霊王ぶれいおうは蛇のごと狡猾こうかつな人物ゆえに……」


 楽毅がくき武霊王ぶれいおうに対する印象を率直に述べた。


 実際、武霊王ぶれいおう狡猾こうかつであり、そして野心家であった。

 彼は若くして王位に就いてからこれまで盛んに兵をおこし、ちょう版図はんとを着実に拡げてきた。

 せい湣王びんおうも野心家ではあるが、彼の場合はとにかく力押しの戦い方を好む。しかし、武霊王ぶれいおうという人物は慎重に慎重を重ねてとことん理詰めてゆき、ここぞという時に一気に相手を併呑へいどんするという戦法を用いるのだ。


 兵をおこす前にはすでに大局は決しており、気づいた時にはもう彼のたなごころにある。ここに湣王びんおうとの大きな違いがあった。


 実際に、今回の中山国ちゅうざんこく遠征への過程プロセスをたどってみればなお分かりやすいだろう──



 そもそも、ちょうという国は昔から中山ちゅうざんの地を欲していた。中山国ちゅうざんこくの北にあるだいという大きな地を、ちょうは領土として治めているが、国都である邯鄲かんたんからだいへ往来するにはどうしても中山国ちゅうざんこくをぐるりと迂回しなければならない。

 中山国ちゅうざんこくを落とせばだいへ直進できる、との思いが常に巡っていたのだろう。


 さらに、中山国ちゅうざんこくがまだせいとの交誼こうぎを保っていたころ、このせいと組んでちょうを攻め勝利した事があった。

 楽毅がくきがまだ赤子だったころの出来事だが、その時の恨みは武霊王ぶれいおうにもしっかり継承されているのだ。

 ながきに渡る宿願を果たすべく、まず武霊王は最初に中山国ちゅうざんこくせいとの同盟を切り崩すことを目論もくろんだ。


 まだ中山王ちゅうざんおうが王号を称する前のことである──


 中山公ちゅうざんこう傲慢ごうまんで何よりも名誉を重んじる性格である事を突き止めた武霊王ぶれいおうは、諜報員を用いて中山ちゅうざんの重臣を丸めこみ、


中山ちゅうざんは立派な大国になられたのに、なにゆえ君は王を称されないのか」


 と盛んにおだてあげた。

 すぐにその気になった中山公ちゅうざんこうは、同盟国であるせいにうかがいを立てた。傲慢ごうまんさでは引けを取らないせい湣王びんおうは、小国が図に乗るな、と激怒。決してこれを認めようとはしなかった。中山公ちゅうざんこう斉王せいおうを恨んだが、この時点ではまだ、せいの機嫌を損ねる訳にはいかぬ、という自制がかろうじて働いていた。


 しかし、そこに武霊王ぶれいおうがすかさず、


「貴殿が王を名乗られるのであれば、ちょうは賛同致す」


 と甘言かんげんささやいたのだ。

 これによって中山公ちゅうざんこうの迷いは霧散し、ちょうとその同盟国であるえんの賛同の下に中山王ちゅうざんおうを正式に名乗った。当然せいはこれを認めず、ついには中山国ちゅうざんこくとの同盟を完全に破棄した。


 せいという大国とのよしみより王個人の独善を選んだ中山国ちゅうざんこくは、まんまと武霊王ぶれいおうの策略にはまったのだった──



「ならば楽毅がくきよ。その狡猾こうかつなる蛇に対抗するにはどうすべきか、オヌシの見解を聞きたい」

「……戦わずして勝つ。これが最良でございます」


 楽毅がくきよどみ無く答える。

 孟嘗君もうしょうくんは、ふむ、とうなずき、


「オヌシであれば、すでにその為の道筋を思い描いておる事じゃろう」


 そう言って足を組み替える。


武霊王ぶれいおうが東を眺望ちょうぼうした時、その視線は果たして中山国ちゅうざんこくのみにとどまっていたでしょうか? いな、必ずその先にあるせいを次なる標的として見据えていたに違いありません」

「そうであろうな」

「ならば、地理的に見て中山国ちゅうざんこくせいを護る盾となる。そうは思いませんか?」

「以前であれば、みなそう考えていたであろうな」


 以前とは言うまでもなく、中山国ちゅうざんこくせいが同盟関係にあったころの事を指す。


中山国ちゅうざんこくと結ぶ事は結果、ちょうに対する牽制となっていた。しかし、今の斉王せいおうにはそれが利とは映らなかったようじゃ」


 苦々しい口調で孟嘗君もうしょうくんは語った。


斉王せいおうの目は今、南に向いておる。中山ちゅうざんが存続しようが滅しようがどうでもよいのじゃろう。いや、憎き中山ちゅうざんの危機をむしろよろこんでおるのかも知れぬ。武霊王ぶれいおうの底知れぬ野心にも気づかず、のんきなものじゃ」


 その武霊王ぶれいおうの野心に気づいている者は、ちょうの重臣以外ではこの二人と孫翁そんおうくらいであろう。


中山ちゅうざんが滅したならば、我がせいの首元に匕首ナイフを突きつけられるようなもの。そんな状況はご免こうむりたいものじゃ」


 そう言って懐から何かを取り出し、側に控えるふうに手渡す。ふうの手から楽毅がくきに差し出されたそれは、一枚の竹札であった。


「これは?」

「ワシの名と花押かおうがある。何かあった時、それを見せれば多少の融通がくであろう」


 それを受け取った楽毅がくきがよく見てみると、確かに本名である田文姫でんぶんきの名と桃の花をかたどった花押かおうが記されている。桃の花型は、彼女が好んで用いている印である。


宰相さいしょうという地位にありながら、ワシは何の力も持ち得ぬ。してやれる事といえばその程度しかない」

「とんでもございません。ここまでお心を砕いていただき、大変恐縮であります」


 楽毅がくきは床に頭をつけて礼を返した。


 楽毅がくき孟嘗君もうしょうくんに述べた、戦わずして勝つ──その最善の方法はせいとの国交回復であった。

 しかし、その為の最低条件として斉王せいおうは恐らく、中山王ちゅうざんおうの王称撤回と謝罪を要求するだろう。そして、何よりも名誉を重んじる中山王ちゅうざんおうがそれを呑むとは到底考えられなかった。


 それをいさめ説得するのが臣下の努めであるが、残念ながら楽毅がくき孟嘗君もうしょうくんも、その言葉で驕慢きょうまんな主君の心を動かすのは途轍とてつも無く困難である事を悟っていた。


 ──やはり、孟嘗君でも斉王せいおうを説得するのは難しいようね。


 思い返してみれば彼女は事あるごとに湣王びんおうへの悪言を吐いていたし、両者の仲の悪さは巷間こうかんの噂にまでなる程なのだから無理も無い。


中山国ちゅうざんこくせいの盾となれるよう、尽力致します」


 やはり自分が中山王ちゅうざんおうを説得するしかない、と感じた楽毅がくきはその決意を胸に力強く言った。

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