七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第9話 おキレイです、お姉さん

公開日時: 2021年1月26日(火) 17:14
文字数:1,229

 太子たいしとの謁見えっけん当日──


 楽毅がくきは姿見の大鏡の前で悪戦苦闘していた。


「あの、楽乗がくじょうさん。さすがにこれはちょっと華美過ぎるのではありませんか?」


 赤を基調とした布地に花柄や蝶柄がたくさんあしらわれた上衣じょういをまとった自分の姿に、戸惑いと恥じらいを禁じ得ない。


「いいえ、とてもお似合いですよ、お姉様。すいもそう思うだろう?」

「……はい。おキレイです、お姉さん」


 着付けを手伝っている楽乗がくじょうすいが笑顔で励ます。


 楽乗がくじょうは昨晩工人達から、楽毅がくき逢引きデートをするらしいと伝え聞いて大暴れしていた。一体どこの馬の骨がお姉様をたぶらかした、と凄まじい剣幕であったが、相手が太子たいしと知るやいなや怒りのやり場を失い、今はこうして大人しく楽毅がくきを応援するのだった。


「そ、そうかしら? ありがとう……」


 楽毅がくきはぎこちなく笑った。


 下着も含めればもうかれこれ十着以上の試着をこなした疲れもあるが、やはり緊張感による精神的疲労の方が大きかった。

 太子たいしという高貴の者に拝謁はいえつするだけでも神経を使うのに、その太子たいし眉目秀麗イケメンと評判の若い男性だ。歳の近い異性とろくすっぽ話もした事の無い楽毅がくきにとって、これはかなり難易度の高い試練と言えるだろう。


 それに──


太子たいしを堕とせ』


 という昨日父から言われた言葉がずっと頭をもたげて離れなかった。


 ──そう言えば、齋和さいかにも言われたっけ……。


『オヌシが中山国ちゅうざんこく太子たいしの正妻となってこれを操り、愚昧ぐまいな王を放逐させるしかないのう?』


 この前の夏、黄海こうかいの海岸で海水浴をした時に齋和さいか趙奢ちょうしゃ田単でんたんの三人に茶化された事を思い出し、自然と笑みがこぼれる。


「その笑顔、いいですね。とてもステキです、お姉様」


 楽乗がくじょうの言葉に、視線を正面に戻す。鏡に映る少女の唇に今ちょうど薄い紅がされ、淡い桃色に染まる頬とあいまって楚々そそとした彩りを添えるのだった。


 化粧を終え、すべての身仕度は整った。


「そろそろ準備は出来たか?」


 その時、楽峻がくしゅん楽間がくかんが部屋を訪れた。

 楽毅がくきは立ち上がり、ゆっくり振り返ると、


「はい。すべて整いましてございます」


 涼やかな声で答えた。

 艶やかな娘の姿に、楽峻がくしゅんは思わず言葉を失い、しばしの間ぼうっと見惚れていた。


「どうか致しましたか、父上?」

「……あ、いや、とてもキレイだ」


 娘の言葉にハッと我に返った楽峻がくしゅんが、心からの賛辞を送る。


「ええ、本当におキレイです、姉上!」


 楽間がくかんも、姉の艶姿あですがたに心を躍らせる。


「ありがとうございます。でも……何だか照れてしまいます」


 気恥ずかしさに頬をさらに赤く染める楽毅がくき


「まるで赤蘭せきらんが帰って来たみたいで驚いた」


 まるで何かを懐かしむかの様にゆったりとした口調と慈愛の眼差しで、楽峻がくしゅんは娘をじっと見すえる。


 赤蘭せきらんは、楽赤蘭がくせきらん──楽毅がくき楽間がくかんの母の事である。


「その上衣じょういも、昔、赤蘭せきらんが着ていたものなんだ……」

「母上の?」


 楽毅がくきは赤が映える上衣をフワリとひるがえす。

 おぼろげな記憶の中にしかいなかった母と触れ合えた様な気がして──母のかいなに包まれている様な気がして、楽毅がくきは胸の中に温い光が降り注いでいる様な、そんな夢心地になれたのだった。

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