七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第5章 楽毅ちゃん御用心

第1話 さすがにそれはちょっと

公開日時: 2021年1月14日(木) 17:18
文字数:2,504

 中山国ちゅうざんこくは中華大陸の北東──河北かほくに位置し、その西と南北を包みこまれるような形で趙と隣接し、東はえんに接した小国である。


 中山国ちゅうざんこくの歴史は浅く、独立国家として樹立したのは楽毅がくきが生まれる数十年程前であった。

 しかし、中山国ちゅうざんこくは当時隆盛を極めていた中原ちゅうげんの雄・によって攻め滅ぼされてしまう。

 その中山ちゅうざん遠征を見事に成し遂げたの将軍が楽羊がくようであり、彼こそが楽毅がくきの先祖にあたる人物であった。


 ちなみに、楽毅がくき達がちょう兵をあざむく為に用いた偽名の“よう”は彼の名から取られたものである。


 楽羊がくよう魏王ぎおうから霊寿れいじゅの地を所領としてたまわり、そこに移り住んだ。


 さて、それからしばらくすると今度はちょうが、中山ちゅうざん領を結ぶ地を盛んに侵略し始めた。このまま中山ちゅうざん領を維持するのは困難と感じたは遂にこれを放棄し、一度は滅んだ中山国ちゅうざんこくは、周王朝しゅうおうちょう公子こうしを君主として迎え入れ、再び独立を果たした。

 元々はの臣下だったがく一族もそのまま中山国ちゅうざんこくに仕え、代々将軍の要職を努めることとなったのだ。



 霊寿れいじゅの目抜き通りを東に入ってすぐの所に、がく氏の邸宅はある。


 その門前に、八台にも及ぶほろ馬車の群れが乗りつける。

 先頭の馬車の中から、燃えるような紅い髪をなびかせ、宝石を思わせるきらびやかなあおい瞳を備えた少女が、ふわりと羽のように軽やかに降り立つ。


「ようやく帰ってきたのね……」


 以前と変わらぬ自宅の在り様に、紅毛碧眼こうもうへきがんの少女──楽毅がくきは感慨深げにつぶやいた。


楽毅がくきお姉様がここをたれてから、もう一年半にもなりますからね。どうですか? お懐かしいでしょう?」


 彼女の後から馬車を降り立った黒髪の大柄な少女──楽乗がくじょうが彼女の肩に手を置き、そうたずねる。


「ええ……」


 門の傍らで存在感を放ち悠然とたたずむ一本の箱栁はこやなぎの巨木。

 幼いころは父親の言いつけで屋敷に軟禁状態だった楽毅がくき。そんな彼女を元気づけようと、楽乗がくじょうは彼女を連れ出し、あの木を登って邸宅の外へと脱走した事がある。


 ──ホント、懐かしいわ。


 一年半という歳月が長いか短いかはその者の感性によるところが大きいだろうが、少なくとも臨淄りんしへ出立する前に見上げた情景と今目の前にある情景は同じであるはずなのに、楽毅がくきの胸に去来する感情は全く異なるものであった。


 随行した人夫達が、門閾もんいきに積み荷である楚鉄そてつを降ろし終える。


楽毅がくきどの。これで私共の仕事は終わりましてございます」


 隊商キャラバンリーダーであるよう商会の少女──すいがうやうやしく拱手こうしゅを向ける。


すいさん、ありがとうございました。アナタ方のおかげでこうして無事に帰国する事が出来ました」


 楽毅がくきは名残惜しそうに小柄な商人の娘にねぎらいの声をかける。


「いいえ、私は商人としての努めを果たしたまでです」


 淡々とした口調で答えるすい。しかし、初めて会ったころよりもいささかではあるが顔の表情から硬さが消え、年相応の少女らしさが垣間見られるようになっていた。


「大したおもてなしは出来ませんが、どうかわたしの家で休んでください。よろしければ、好きなだけ滞在なさっても……」


 そう言いかけた楽毅がくきであったがすぐにかぶりを振り、


「そういうワケにもいきませんでしたね。そちらにもご都合があるでしょうし」


  今が戦時下である事を思い出し、自重する。


「……あのッ!」


 すいが珍しく大きな声量で言葉を発すると、


「ご厚意に甘えさせていただくついでに、もうひとつお願いを聞いていただきたいのですが」


 細いが力強い眼差しで楽毅がくきを見すえる。


「何でしょう?」

「私を……このまま楽毅がくきどののもとに仕えさせていただくワケにはいかないでしょうか?」

「え?」


 思いも寄らぬ提案に、楽毅がくきは一驚する。


「今回の旅で楽毅がくきどのからとても不思議な魅力を感じました。温かくて、まぶしくて、まるで陽だまりの中で微睡まどろんでいるような……そんな充足感です。私は、その魅力の正体を知りたいのです」


 いつに無く熱のこもった言葉が楽毅がくきに向けられる。


「わたしには、そんな魅力を持っているという自覚はないのだけど……」


 楽毅がくきは思わず苦笑した。


「それに、本来のお仕事の方はどうするの? 楊星軍ようせいぐんどのが何とおっしゃるか」

よう様には休暇という事で、人夫の方々に伝えていただきます」

「そう……。そこまで考えているのなら、分かったわ。これから毎日のように戦場を駆ける事になると思うけど、ぜひアナタの力をお貸しください!」


 許諾の意を告げ、すいの手を両手で包みこむ。


「ありがとうございます」


 すいは深々と頭を下げ、楽毅がくきの手を同じように両手で包む。


「私はアナタの事はあまり好きではないが、お姉様がそうお決めになったからには歓迎する」


 少しふてくされている感も否めないが、それでも楽乗がくじょうはスッと手を差し伸べ、彼女を受け入れる。


「それでいい。よろしく頼むわ、楽乗がくじょうどの」


 すいは小さく笑ってそれに応えた。


「今日からすいさんもわたし達家族の一員ね。妹が出来たみたいでうれしいわ」


 にこやかな笑みを浮かべる楽毅がくき


 妹ならここにいるではありませんか、という言葉が喉から出かかった楽乗がくじょうであったが、実際はただの従妹いとこに過ぎず、なおかつ自分の方が段違いに長身でこれっぽっちも妹要素が無いという現実を痛感して泣く泣くそれを呑みこむのだった。


「あの、楽毅がくきどの……。どうかこれからはすいと呼び捨てになってください」

「それもそうね。わかったわ、すい


 そう呼ばれて、すいは少しだけ照れ臭そうにはにかんだ。


「じゃあ、わたしの事もこれからは、お姉ちゃん、て呼んでね?」


「「……え?」」


 楽毅がくきのこの提案には、すいだけでなく楽乗がくじょうも戸惑いの色を隠せなかった。


「ほら、呼んでみて」

「いや、さすがにそれはちょっと……」


 にこやかな笑顔を近づけてそう迫る楽毅がくきに、すいはたじろぐばかりだった。


「ダぁ~メッ!  そう呼んでくれなきゃ置いてあげないんだから」


 なかなかその言葉を口にしてくれないすいに、楽毅がくきは不満そうに口を尖らせる。


「お……お、おね……」


 どこか理不尽なものを感じながらも、すいは顔を赤らめながら恥を忍び、必死にそれを口にしようと試みるが、


「お……お姉……さん。楽毅がくきお姉さん」


 口の端をヒクヒクと引きつらせながらそう言うのが限界であった。


「……ま、いいわ。よろしくね、すい


 やや渋い表情をしていた楽毅がくきも、納得したように再び笑顔に戻る。

 すいはホッと安堵のため息をくのだった。

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