真夏の休暇からひと月以上が経過した。
灼けつく様な暑さは和らぎ、そよぐ風からも少しずつ秋の香を感じる。
楽毅は日課となっている清掃活動を終え、ひと息吐く。
今日は学び舎の教室をくまなく掃除した。しかし、彼女の心は一向に晴れない。
その時、他にまだ誰もいない早朝の教室に大きな眼鏡をかけたひとりの少女が現れる。
趙奢である。
「あっ……」
目が合い、互いの口から気まずそうな声が漏れる。
「……おはよう」
「……おはようっス」
義務的な朝の挨拶を一言交わすと、趙奢はさっさと自分の席に座る。
楽毅は清掃に使用した布を洗う為、外にある水場へと向かった。
「あっ……」
しかし、そこにもひとりの少女が佇んでいた。
不意に目が合い、気まずい雰囲気のまま沈黙が続く。
──田単……。
青みがかった美しい長髪をなびかせながら、
「おはよう……」
田単は吐き捨てるように一言告げると、顔を伏せたまま楽毅の横を逃げるように素通りした。
「……おはよう、田単」
誰もいなくなった水場で、楽毅はひとり呟いた。
湧き水を木桶に汲み、布を濯ぐ。その桶の中に、ポツポツと涙が混じる。
あれから──澪に運命を視てもらってから、三人は挨拶以外まったく口を利く事は無かった。
同じ班で寮では同室なのにも関わらず、登下校から食事、就寝に至るまで三人はそれぞれ意識的に時間をずらし、意識的に顔を合わせることの無い様に努めているのだ。
その原因は無論、澪が最後に告げた言葉にあった。
『少なくとも誰かひとりは隣りにいる親しき友によってその野心を挫かれる』
それは仲の良かった三人の心に疑心をもたらし、やがてそれは精神的な溝となった。
その溝はひと月以上経った今でも埋まる事は無く、三人はすれ違いの日々を送っていた。
楽毅は斉に来てからたくさんの友人を作ったが、その中でも趙奢と田単とは特にウマが合っただけに悲しかった。
こんな事になるくらいなら、運命など視てもらわなければ良かった。
齋和が最初に忠告したとおり、後悔する結果となった。
楽毅には、発明家として名を馳せたいという趙奢や、国を護る為に知識を活かしたいという田単と違い、特に具体的な目標がある訳では無かった。
──食い潰されるのはわたしで良い。
そう思ったところで後の祭である。
あれだけ大見得を切って野心をさらけ出したのだ。今さらそう告げたところで誰も信じるはずがないだろう。
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