七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
チーム奇人・変人

第9章 落日の霧

第1話 一万……ですか

公開日時: 2021年3月15日(月) 10:42
更新日時: 2021年3月25日(木) 11:44
文字数:2,851

 十日間の休戦を経たちょう軍は、新しく中山王ちゅうざんおうとして即位した姫尚きしょうが立てこもる昔陽せきようの城を攻め立てた。


 中山ちゅうざん軍は、趙奢ちょうしゃの開発した攻城兵器──搭天車とうてんしゃと、鉄球を飛ばす飛び道具──火砲かほうと、一回で複数の矢が射出できる──連弩れんどを封じるために、城の周囲全方向に大きなほりを幾重にも張り巡らせ、その内側では湿った倒木を高く複雑に積み上げて備えた。容易に城に近づけなくなったちょう軍は、趙奢ちょうしゃの開発したこれらの兵器を使用出来なくなったばかりではなく、アリの巣のように張り巡らされた抜け穴からの奇襲攻撃に悩まされ、思うように攻略が進まなかった。


 それでもちょう軍は地道にほりと抜け穴を埋めてゆき、ひと月後には遂に昔陽せきようを陥落させた。

 これにより中山国ちゅうざんこくはすべての城を失い、残存した三千の中山ちゅうざん軍は戦前に山中に築いていた砦に移り、ゲリラ戦を繰り返した。その砦は昔陽せきようの東──呼沱水こたすいのすぐ北側にある、自然を大いに利用した天然の要塞だった。

 複雑に入り組んだ山中では大軍や攻城兵器が思うように展開できず、ここでもちょう軍は苦戦を強いられていた。

 戦力差を考えれば中山ちゅうざん軍の健闘と言えるだろう。


 しかし、楽毅がくきたちにはひとつの懸念があった。

 それは、食糧の問題であった。城も領民も持たない中山ちゅうざん軍には定期的な食糧調達は見こめず、交代で兵士が山中へ出て狩りをしたり、山菜や果実を採集したりして何とか食い繋いでいるという状況だ。このままでは近い内に食糧が枯渇し、飢えるのは時間の問題だろう。

 ちょう軍もそれを狙っているのか、今では両軍はいたずらに睨み合うだけの日々が続き、ジリ貧の状態が続いていた。



 砦内の天幕テント──

 簡易な地図が描かれた大きな白布を足元に敷き、楽毅がくきはある一計を案じていた。


「ただいま戻りました、楽毅がくき姉さん」


 じっと座して思案していた彼女の元に、ひとりの少女が音もなく現れる。


「ご苦労様でした、すい。ご無事で何よりです」


 少女の方に向き直り、ねぎらいの言葉をかける。


「はい、ありがとうございます。ちょう軍の配置、掴んで参りました」


 すいは側に置いてあった筆をり、


「──こうなります」


 地図上に×印を付け、ちょう軍の点在する箇所を示した。


「それで、敵の本陣なのですが──」

「発見出来たのですか?」


 すいはコクリとうなずき、地図上に大きな○印を記した。そこは、この砦から呼沱水こたすい沿いをずっと西に行った先の隘路あいろだった。

 楽毅がくきは気持ちが高揚するのを実感しながらも、何とか冷静を装い、彼女から詳しい報告を聞く。


「本陣の兵力は如何いかほどでしたか?」

「およそ……一万かと」

「一万……ですか」


 楽毅はそうつぶやいたきり、しばらく神妙な面持おももちで考えこんだ。


 ちょう軍は、大軍を展開出来ない現状と食糧の事情から、兵の大半をすでに本国へと返しており、それはすでに彼女たちの知るところであった。

 とはいえ、それでもちょう軍は三万の兵力を有しており、数の上での劣勢は決して揺るぎないものであった。


 そこで楽毅がくきは一計を案じた。それは、残存兵すべてを投じてちょう軍の本陣を奇襲し、武霊王ぶれいおうを討つ、というものであった。

 ちょうの絶対的権威で武の象徴でもある武霊王ぶれいおうのみに標的を絞り、これを排除することによってちょう軍の指揮系統を壊滅させるのが狙いである。


 それは正しく一か八かの捨て身の作戦だった。しかし、このまま座して兵糧が尽きるのを待つよりは生存の可能性がある。楽毅がくきは、その一縷いちるの望みにすべてをけることを決めていた。

 しかし、まだ本陣の位置と勢力が判明しただけであり、それを実行に移すには大きな障害があった。それは、移動である。一万人を相手に奇襲を仕掛けるには、やはり残存兵力のすべてを投じなければ簡単に返り討ちにされてしまう。しかし、人数が多ければ多いほど極秘裏の移動は困難となり、本陣に到達する前に他の敵部隊に発見される可能性が高くなるだろう。


 敵に発見されること無く、三千の兵を敵本陣まで移動させる。

 これが完遂出来なければ、奇襲など夢のまた夢。ただの絵空事に過ぎないのだ。


 しかし、具体的な打開策が得られないまま、楽毅がくきはひたすら地図を見つめながら試行錯誤を繰り返すのだった。


 やがて夜も更け、楽毅がくきはいつの間にかその場で眠りにいた。



「──さま。が…きお姉…ま」


 微睡まどろみの中、誰かが耳元で呼びかける。


「……ん」


 ゆっくりと覚醒する楽毅がくき。その体に一枚の毛布がかかっているのに気づく。


楽毅がくきお姉様、おはようございます。仕事熱心なのは結構ですが、キチンと休んでおかないと体がもちませんよ」


 寝ぼけまなこ楽毅がくきを見守りながら、長身の少女──楽乗がくじょうがやや呆れたような口調で苦笑した。


「この毛布……楽乗がくじょうさんがかけてくださったのですか?」

「ええ。だいぶ暖かくなってきたとはいえ、夜はまだ冷えますから。風邪など召されぬよう、ご自愛くださいませ」

「すみません。ありがとうございます」


 楽毅がくきは眠い目をこすりながら、ゆっくりと立ち上がった。

 外に目を向けると、透き通るような青の色彩が広がっている。


「今日も暖かくていい天気ですね。外を散歩したくなりますわ」


 もちろん、砦から少し離れた山の中腹にはちょう軍の軍旗がはためいており、叶うことは無いのだが。


「そういえば昔を思い出しますね。丁度今くらいの時期、お姉様と二人でやしきを抜け出し呼沱水こたすいの付近を朝方に散歩した時のことを。あの日はもの凄く冷えて、河から濃い霧が立ちこめて。すぐに迷子になってしまって、その場で泣きじゃくってしまったのですよね」

「ええ、そうでしたわね。結局、霧が晴れるまで身動きが取れなくて。後で父上や大人の方たちが心配して迎えに来てくださったのですよね」

「ホントに、あの時はいつもの通い慣れた場所がまるで異世界のように感じられて、怖かった思い出があります」


 二人は昔話に花を咲かせる。

 その刹那、楽毅がくきはハッと何かに気づくと、


「そうです、霧ですよ! 霧が発生する時間帯をあらかじめ予期できれば、敵の本陣に奇襲出来ます‼」


 楽乗がくじょうの手を取り、興奮気味に言った。

 突然のことに動揺した楽乗がくじょうは、その言葉をすぐに嚥下えんか出来ずにいた。



 楽毅がくきはすぐに、兵士の中から気象の先読みが出来る者を探した。すると、ひとりの中年男性兵が彼女の前に現れた。


りょうと申します」


 男は名乗った。


「ご苦労様です。アナタは気象の先読みが出来るそうですが、本当ですか?」

「先読みと呼べるほどのものではありませんが……。オイラは昔から空を見上げるのが好きで、雲の動きや湿度の変化からある程度の天気の予測が出来るようになりました」

「それでは、霧が発生する条件などもお分かりですか?」

「はい。霧は、大気が急激に冷えて湿気が多くなると発生しやすくなる傾向にあるようです」

「なるほど……。それで、先読みが的中する確率は如何いかほどでしょうか?」

「そうですね……およそ、七割といったところでしょうか」

「七割……」


 それだけあれば、すべてを賭けるのに充分だと思った。


「それで、近い内に霧が発生するとすれば、いつくらいになるでしょうか?」

「そうですね。過去の経験から推測すると恐らく……明後日の未明あたりかと」


 りょうはおもむろにそらを見上げ、そう言った。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート