七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
チーム奇人・変人

第7話 大変感銘した

公開日時: 2021年3月23日(火) 13:17
文字数:2,907

 翌朝──


 山中で夜を明かした中山ちゅうざん軍は、ちょう軍の本陣へ──武霊王ぶれいおうの待つ場所へおもむくために身支度を整えていた。


「お知らせします! 虎皮の衣をまとった男が数名の兵と共にこちらに向かって来ております‼」


 その時、ひとりの兵士が慌ただしく駆けこんで来ると、やや狼狽ろうばいした口調で告げる。


「虎皮の衣……まさか、武霊王ぶれいおうが⁉」


 楽毅がくき武霊王ぶれいおうと何度か対面しており、彼が虎皮の衣を好み常にそれをまとっているのを知っていた。


「はい。使者の旗を掲げさせ、およそ十人の兵士と共に確実にこちらを目指しております」


 その場が一斉にどよめき立つ。


 なぜ、武霊王ぶれいおうが使者として自らおもむいて来るのか?

 それも、たった十人だけを伴って。


 これから向かおうとしていた矢先に出鼻をくじかれた形となり、様々な推測が飛び交ってその場は喧々囂々けんけんごうごうとなる。

 中にはこれを好機チャンスとらえ、武霊王ぶれいおうを襲撃すべし、との声も挙がったが、すでに降伏の意を固め、何よりも卑劣な手段を嫌う姫尚きしょうはそれをよしとしなかった。


武霊王ぶれいおうが自ら出向いて来るのだ。こちらも恥ずかしく無いよう誠意をもって迎えなければなるまい」


 姫尚きしょうのその言葉により中山ちゅうざんの兵士たちは誇りを胸に整列し、武霊王ぶれいおうの到来を待った。



「ほう……。悲壮感の中にも威風堂々とした佇まいを感じる。中山ちゅうざんの君はよき配下をお持ちだ」


 先頭を切って現れた虎皮の衣をまとった男──武霊王ぶれいおうは、中山ちゅうざん軍の心が決して折れていないことを察し、素直に賛辞を贈る。


「お初お目にかかります、中山王ちゅうざんおう姫尚きしょうです。名にしおちょうの英傑にお褒めいただき、光栄に存じます」


 姫尚きしょう拱手こうしゅと共に返す。


 この期に及んでまだ王を称するのかと、ちょう軍の兵士たちから嘲笑ちょうしょうが漏れる。

 しかし、武霊王ぶれいおうは眉ひとつ動かさず、


中山国ちゅうざんこくのこれまでの戦い振り、大変感銘した」


 更なる賛辞を惜しまないのだった。

 これには中山ちゅうざん兵もちょう兵も、驚きを禁じ得なかった。


「正直、俺は甘く見ていたようだ。貴殿との戦いはとても学ぶところが多かった。これは決して嫌味ではなく、俺の本心だ」

「……大変恐縮です。しかし、それはすべて配下の者たちのおかげです。何も出来ない私を、彼らが支えてくれた。だから、ここまで戦えたのです」

「配下に信頼され、その力を存分に発揮させることが出来る。それこそが王の資質だ。貴殿は充分に王としての資質を備えているのだよ」


 そう言う武霊王ぶれいおうはふと、自身はどうなのか、と考えてみた。

 たしかに彼の周りの家臣達は優秀であり、彼に対して畏怖の念を抱いている事だろう。しかし、心から慕われているかといえば、それはやはり違うのだろう。

 国に帰れば何万もの兵士が──そして何十万もの民がいるが、果たしてどれだけの者が主君を思い、国のために命を賭して戦ってくれるのだろうか?


「いかがなさいました?」

「いや……何でもない」


 武霊王ぶれいおう自嘲じちょうし、かぶりを振った。


「さて本題に入るが、俺がここまでやって来た理由は、貴殿らをちょうに迎え入れるためだ」

ちょうに……迎え入れる?」


 武霊王ぶれいおうの思わぬ言葉に、中山ちゅうざん軍の者たちはどよめき立つ。


「そうだ。貴殿らの奮闘振りに俺はいたく感銘を受けた。是非とも配下に迎え入れたいと思い、交渉に来たのだ。どうであろうか?」

「それは……本当なのですか?」


 姫尚きしょうの問いに、武霊王ぶれいおうはゆっくりとうなずいた。


 中山ちゅうざん兵は歓喜に湧いた。

 たしかに中山国ちゅうざんこくの名はこの中華大陸の版図はんとから消滅してしまう。しかし、強国であるちょうを苦しめ、堂々と渡り合い、そして稀代きだいの英傑である武霊王ぶれいおうに認められたことは彼らにとって紛れも無い誇りであった。


「ただし、姫尚きしょうどの。貴殿は官位を剥奪し、平民としてちょうで暮らしてもらうことになる」


 しかし、その言葉で明るい雰囲気が一変し、中山ちゅうざん兵の間に動揺が広がる。


「なぜ、姫尚きしょうどのだけが平民に落とされなければならないのですか? 一国の王に対し、あまりにも無礼ではありませんか⁉」

 

 憤慨ふんがいする楽毅がくき


姫尚きしょうどのに官位を与えるのは、虎に翼を授けるに等しい危険な行為だ。オレは、姫尚きしょうどのの威徳カリスマ性を恐れている。それゆえの裁断と理解して欲しい」


 冷静な口調で、武霊王ぶれいおうは言った。

 よどみの無いその言葉は、偽りない彼の本心であると、楽毅がくきは察した。


姫尚きしょう様を恐れている、ということは、たとえ平民になったとしても常に監視の者がつく……ということでしょうか?」


「そうだ。有りていに言ってしまえば軟禁だな。申し訳無いが、それだけはこちらとしては譲れない。その条件が呑めないのであれば……心ゆくまで戦い尽くすことになる」

「そんな……」


 楽毅がくきはこれ以上何も言えなかった。

 敬愛すべき主君にはずかしめを受けさせるのは耐え難い煩悶はんもんではあるが、正直、これ以上の抵抗は無意味とまでは言わないが、玉砕することは身勝手な美学にすぎず、せいぜいその功名がひと時竹帛ちくはくに垂るくらいだろう。


「私は、それでよい。みなが広い世界へと羽ばたけるのならば、その条件を甘んじて受けよう」


 姫尚きしょうはそう言って武霊王ぶれいおうの前に歩み寄ると、


武霊王ぶれいおうどの。どうか、我が家臣をお頼み申す」


 その場に片膝をつき、受諾の意を伝えた。


姫尚きしょうどの……。本当にそれでよいのですか?」

「……ああ。これで、よい」


 楽毅がくきの問いに、ほのかな笑みで返す姫尚きしょう


 ──本当に、このままでいいの?


 その笑みに悲哀の色を感じ取った楽毅がくきは、彼のために何が出来るか必死に思惟しいを巡らせた。


『母の生まれ育った臨淄りんし。私も是非自らの脚で訪れたいものだ』


 ふと、彼女の脳裏に、かつて姫尚きしょうが目を輝かせながら語った言葉が蘇る。


 ──そうか。そうだわ!


 楽毅がくきは決心し、


「ならば……ならば、せめて姫尚きしょうどののご母堂の故郷であるせいに移してはいただけないでしょうか? ちょうせいは同盟国。貴方様のご意向はせいにも伝わるはずです。どうか……どうか姫尚きしょうさまをせいに住まわせてくださいませ!」


 武霊王ぶれいおうの前で叩頭こうとうし、精いっぱい情熱をもって要望を伝える。

 これには武霊王ぶれいおうをはじめ、周囲の者は面食らってしまうのだった。


楽毅がくき……私のことはもう良いのだ」

「いいえ、良くありません! このままちょうで一生を終えるようなことになれば、姫尚きしょうどのは必ず後悔します。行きたい場所にいけない辛さは、一生つきまとうものなのです」


 なだめようとする姫尚きしょうを制して、自身の経験からの持論を伝えた楽毅がくきは、


「どうか、お願い申し上げます!」


 改めて武霊王ぶれいおうに懇願する。


「「お願い申し上げます‼」」


 するとそれにならい、中山国ちゅうざんこくの兵士たちも全員叩頭するのだった。


 ちょう軍の兵士たちはどよめき立つが、武霊王ぶれいおうは黙したまましばらくその光景を見下ろした。


「主を想い、主のためにここまで出来る者がこんなにもいる。何ともうらやましい限りだ」


 武霊王ぶれいおうはしみじみとした口調でつぶやき、天を仰いだ。心無しか、その瞳が潤んでいるようにも見えた。


「……わかった。その要望を受け入れよう」


 しばらくして視線を戻した武霊王ぶれいおうは、柔らかい口調で彼らに伝えた。


「あ……ありがとうございます」


 楽毅がくきは涙を流しながら、再び武霊王ぶれいおうに頭を下げた。

 中山ちゅうざん兵の間で再び歓声が沸き上がる。




 こうして中山国ちゅうざんこくの名は、中華大陸の版図はんとから消滅することとなった。

 しかし、力の限り戦い抜き、最後は相手に敬意をもって迎え入れられた彼らの顔には、敗者としての暗さは無かった。


 ただひとり、楽毅がくきを除いては──

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート