七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
チーム奇人・変人

序章

第0話 そんな事だから嫌われるのよ

公開日時: 2020年11月22日(日) 21:40
更新日時: 2024年11月16日(土) 21:37
文字数:3,003

 かつて、アレクサンドロス大王という男がいた──


 正式名称はアレクサンドロス三世。

 馬其頓マケドニアという強大な王国の王子として生を受けた彼は、二十歳という若さで王位を継承すると、その類稀たぐいまれなる統率力と人望カリスマをもって希臘ギリシャ波斯ペルシャといった周辺諸国を手中に収め、勢いそのままに北阿弗利加アフリカ亜細亜アジアへと大遠征を行った。


 その脅威はやがて印度インドに至り、いずれ中華大陸にも及ぶものと思われていた。


 しかし、アレクサンドロス大王の東方遠征はそこで終焉を迎えた──


 理由は定かではないが彼は軍を引き上げると、最後は巴比倫(バビロン)の地で熱病におかされ、わずか三十二年という短い生涯に幕を閉じた、と伝えられている。


 その伝説的な偉業により『大王』、『征服王』として死後も畏怖いふされる存在となったアレクサンドロス三世。


 彼によって切りひらかれたみちはやがて東西間の文化を結びつけ、両者の文化交流と交易の発展に大きく寄与きよすることとなった。



 ♢



 中東オリエント地方──


 そこは東西間を結ぶ重要な拠点として繁栄の一途いっと辿たどっているが、ひとつ街中から外れればそこはもう、けつくような熱砂が粉雪のごとく舞い上がり、容赦ようしゃ無く体にまとわりつく荒野であった。


 偉大なる大王も通ったであろうその荒野を、麻衣あさぎぬを頭からおおかぶったひとりの人物が、栗毛の駿馬しゅんめ疾走しっそうしている。


 それを追う騎馬集団の影がある。

 十騎ほどのその集団はすべて白装束に身を包み、ひと言も声を発すること無く淡々と馬をる。


 はじめは数キロメートル程あった両者の間隔はどんどんと詰まり、ついには数百メートルにまで縮まっていた。


 麻衣あさぎぬの者はここより遥か東の中華大陸から馬を走らせ、今までほぼ不眠不休で走行してきた。人馬共にすでに疲労困憊ひろうこんぱいで、その脚色あしいろは明らかに衰えているのだ。


 ──これまでか……。


 喉の渇きも忘れてしまうくらい走り続けて来たが、馬の体力の限界を感じた麻衣あさぎぬの者はその場で下馬し、


「今まで頑張ってくれてありがとう」


 そう言って馬の首筋をでてねぎらい、最後に残った水を分け与えてから野に放った。


 すぐさま追いついた白装束の集団は下馬すると麻衣あさぎぬの者を一斉に取り囲み、無言のまま腰に帯びた剣を抜く。


 白装束の者達は、どうやら麻衣あさぎぬの者の命を狙っているようだ。


「相変わらずしつこい上に、あきれるくらい無愛想ぶあいそうな奴らね」


 囲まれた者は彼らを一瞥いちべつすると億劫おっくうそうにつぶやき、麻衣あさぎぬを脱ぎ捨てる。


 刹那、あらわになった長い紅毛が陽光に照らされ、まるでほのおをまとったかのようにふわりと舞い踊る。


 それは若く、凛としたたたずまいの美しい女であった。

 クルミのごとく大きな瞳を備えた童顔は少女のあどけなさを感じさせるが、まとっている革の甲冑かっちゅう越しからも際立つ豊満な肉づきは、大人の妖艶ようえんさをかもし出していた。


 女は剣を抜き、あおい宝石のごとく鮮やかな虹彩こうさいを宿した双眸そうぼうを向けると、


「澄ました顔して女の尻ばかり追っかける寡黙助平むっつりスケベ。そんなことだから嫌われるのよ」


 挑発するように言い放つ。


 しかし、白装束の男達はまるで何も聞こえていないかのように、生気がまるで感じられない無感情な面持おももちのまま、じわじわと詰め寄る。


 それはまるで、人形の行進のごとく不気味な光景であった。


 ──無反応か……。


 刹那、女の背筋につう、と冷や汗が伝う。


 ろくな剣技も持たぬ彼女の言動のすべては虚勢きょせいでしかなく、怒りだとかあざけりでも構わないから、何かしらの反応を示してくれた方がよほど気が楽であった。


 幼いころから苦楽を共にし、命をして彼女を守護してきた頼れる親友ともはもういない。


 助けを求めようにも、他に人っ子ひとり見当たらない。そもそも、誰か通りかかったとしてもそれが彼女を助けてくれるとは限らない。

 ここはもう、敵の領土内なのだから。


 女は覚悟を決めると肺いっぱいに空気を吸いこみ、


「アナタ達の求めているモノはわ! さあ、わたしを殺して奪い取ってみせなさいッ!」


 自らの胸元に手を添え、声を大にして精一杯の顕示けんじするのだった。


 やはり何の反応も示さぬまま、白装束の者たちは剣を振り上げる。


 ──どうせ死ぬのなら、ひとりでも多く道連れにしてやるわ!


 剣を握る手が、じわりと汗ばむ。


 と、その時だった──


 西の方角より砂煙を巻き上げながら、武装した騎馬集団が駆けて来る。


 五十騎くらいであろうか。


 相変わらず無表情な面持ちでそれを見やった白装束の者たちは、やはり何の感情も発露させぬまま剣を納めると再び馬に跨がり、元来たみちを引き返して行くのだった。


「……助かった」


 どっ、と脱力する女。


 武装集団は女の前で下馬すると、


「姫様! 姫様ぁぁぁぁぁッ‼︎」


 そのリーダーらしき老将が白髪を振り乱し、顔をくしゃくしゃに乱しながら一目散に駆けて来る。


「おお、ジイや‼︎」


 二人はひしと抱き合い、再会を喜び合う。


「東方で姫様らしき人物の目撃情報があったとの情報を得て、いても立ってもいられずせ参じました」

「心配を掛けてしまいましたね。申し訳ございません」


 女の謝辞しゃじに、老将はかぶりを振った。


「姫様がご無事で何よりです。ですが、一体なぜここまでおいでになられたのですか? それもおひとりで……」

「……奴らの魔の手が、ついに中華大陸にまで及びました」


 神妙な面持おももちで答える女のその言葉に、老将は驚愕で顔を強張こわばらせた。


「おお、何ということだ。姫様の安全を期する為に中華大陸までお連れしたというのに……」

「いずれこうなる運命だったということでしょう……」


 紅い髪の女ははかなげにつぶやくと、憂いを帯びた瞳をそらへと向ける。


 頭上では一羽のトンビ蒼海そうかいを遊泳するかのごとく優雅に旋回している。


 ──せめて、あのコたちだけでも自由に羽ばたいて欲しい。


 女は大切な者たちのことを思い、うれえた。

 しかし、それも叶わぬ願いであることを彼女は悟っていた。


 ──わたしは、あのコたちを救うつもりでいたのに、結局のところ修羅の道へと誘(いざな)ってしまったのかも知れない。


 だとしたら、自分は外道だ──


 女は自責の念にられ、そっと目を伏せた。


「それで、西の情勢はどうなっているのでしょうか?」


 気持ちを切り替え、女は問うた。


「はい。隻眼のアンティゴノス亡き後、その子であるデメトリオスが失地回復を果たしたものの、その後敵の攻撃いちじるしく劣勢を強いられております」

「厳しいのですね……」


 老将の言葉に、女は嘆息たんそくを禁じ得なかった。


「ですが、姫様が戻られれば味方の士気は大いに上がることでしょう。それに、があれば敵も迂闊うかつに手を出せなくなるはずですし」

ジイや。そのことなのですが──」


 刹那、女はおもむろに服の胸元を開いて見せる。


「ひ、姫様……まさかッ⁉︎」


 いつも彼女が肌身離さずに所持していたはずのものがそこに無い事に気づいた男は、狼狽ろうばい気味に叫ぶ。


は置いて来ました。ですが、わたしが持っていることにしておけば……」

「姫様はその為に……その為に危険をおかしてここまでやって来たのですね⁉︎」


 彼女の真意を悟った老将はこらえ切れずに流涕りゅうていする。


 女は男を慰めるようにその背中を抱きしめ、もう一度上を見やる。


 ──そらよ、運命のたまきよ。どうかあのコたちによき邂逅であいと幸を与えたまえ!


 女は、運命というものの残酷さを呪いながら、その一方で糸の如(ごと)くか細くあえかなる希望にすがらずにはいられないのだった──



 ♢



 ときは紀元前──


 処は中華大陸──


 七つの強国・七雄しちゆうがしのぎを削る、春秋戦国時代しゅんじゅうせんごくじだい──


 これは、運命という荒波に翻弄ほんろうされながらも混沌こんとんの時代を力強くけ抜けた少女たちの野心の物語である──

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