「確か、楽毅のお父様も中山国の将軍でしたよね?」
「うん……」
田単の問いにうなずく楽毅。
自身が斉と断交している中山国の出身であることを、楽毅は師や仲間にすでに告げていた。
その時、誰一人彼女を責める者はいなかった。学問を学ぶのに国籍や政情など関係無い、という思いが皆に行き渡っていたのだ。
「中山国の将軍、楽峻か……。ワシは会ったことは無いが、謹厳実直の人物と伝え聞く」
父の事を褒められ、楽毅は自分の事のようにうれしく感じる反面、気恥ずかしさも否めなかった。
「しかし、それだけに中山王の驕溢ぶりは嘆かわしいばかりじゃ」
齋和の辛辣な言葉に楽毅は返す言葉もなくうつむく。
彼女の言う通り、中山王・姫錯は傲慢にして狭量な人物で、それは中山人である楽毅には痛い程に分かりきった事実であった。
齋和は主君である斉王をも事あるごとにこき下ろしているが、きっと彼女にとって中山王と斉王は同質なのだろう。
「確か斉と中山国って、前は同盟を結んでいたんスよね? なのに何で今はこんなに険悪なんスか?」
趙奢の疑問はもっともであった。
たしかに両国はほんの十年程前までは交誼を保っており、共に趙や燕を攻めてこれに勝利した事もあった。
しかし、この勝利こそが中山王の目を狂わせる起因だった。己が強いものと過信し始めた中山王は、やがて王号を欲するようになったのだ。
そもそもこの時代の正当な王朝は周であり、あくまでも他の諸侯は周王から爵位を授かった代理の君主に過ぎない。しかし、いつしかそのような形式は形骸化してしまい、今では七雄と呼ばれる七ヶ国はこぞって王号を称しているというのが現状だった。
中山王は元々は“中山公”であり、七雄に肩を並べる程の強国でもない。その中山公が王を称すると知った斉王は激怒し、決してこれを認めようとはしなかった。
しかし、これを後押ししたのが趙の武霊王だった。
これに気をよくした中山公はついに中山王を称し、この一件で斉は中山国との同盟の解消を決意した。
中山王は斉という大国との交誼よりも、己の虚栄心を満たす事を優先したのだ。
楽毅はこれらの事情を説明した。
「称号ひとつでヘソを曲げる斉王もたいがいじゃが、称号に固執しそのような泡沫の名誉に胡座を欠く中山王も同じ穴のムジナじゃな」
齋和は眉間に皺を寄せながら息巻く。
「こうなったらアレじゃな、楽毅。オヌシが中山国太子の正妻となってこれを操り、愚昧な王を放逐させるしかないのう?」
「え、えェェェェェッ⁉」
齋和の言葉に、楽毅は思わず飛び上がるように上半身を起こす。
「お、いいっスねェ。未来の王妃、楽毅ちゃん!」
「楽毅ならきっと良妻賢母になると思いますよ」
「今の内にその躰をキレイに磨いておくことじゃな。特に、そのムダに大きなおっぱいを」
ニヤけた顔で皆が次々と茶化す。
「もぅ、やめてよ~~ッ!」
茹で蛸のように顔を赤らめた楽毅の叫びが浜辺に響き渡る。
「わたし、そんなつもりないから」
元々誰かの元に甲斐甲斐しく嫁す事を嫌って臨淄へとやって来た経緯のある楽毅である。相手がたとえ太子であっても、それは彼女の望まぬ道であった。
「それは残念じゃのう。中山国にとってそれが最良の道と思ったのじゃが……」
本気で落胆した態の齋和。
もう、と苦笑する楽毅。
「それよりも懸念なのは──」
そう言いかけた楽毅だったが、趙奢の顔を見てハッとし、すぐに口を噤んだ。
首をかしげる趙奢。
「どうしたんスか?」
「ゴメン、何でも無いの……」
結局楽毅はそう言ったきり、すっかり黙り込んでしまうのだった。
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