七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第8話 逢引きなのだよ

公開日時: 2021年1月25日(月) 17:15
文字数:3,581

 翌日──


 楽毅がくきがく邸の離れにこもっていた。


 昨晩、楽峻がくしゅんの呼びかけでそこに集められた霊寿れいじゅの工人達に彼女は、これから突貫であるものを製造するよう依頼していた。

 その為の場所として充分な広さのあるこの離れを提供し、今、楽毅がくきと工人達が詰めの話し合いを行っていた。


「おお、楽毅がくき。ここにいたか」


 人の多さに多少戸惑いながら、楽峻がくしゅんが足を踏み入れ声をかける。

 本来は来客をもてなす為にしつらえたこの場所が、いかつい男達と彼らが用意した工具によって埋め尽くされている様に違和感を禁じ得ない様だ。


「お疲れ様でございます、父上」


 楽毅がくきと工人達が一斉に礼を向ける。


「首尾はどうだ?」

「はい。これから実際に製造に取りかかっていただくところです。順調にいけば五日程ですべて完成するそうです」

「そうか……」


 楚鉄そてつがみっしりと納まった箱に目を落としながら、楽峻がくしゅんは全く気の無い返事を漏らす。


「そちらはどうやら、うまくいかなかったようですね?」


 楽毅がくきのその言葉に、楽峻がくしゅんは自分が浮かない顔をしている事に気づき、苦笑した。


「ああ、その通りだ。我が君は『せい以外であれば外交の使者を遣わすのを許す』、と仰せであった」

「左様でございますか」


 もはや生理的とも言える中山王ちゅうざんおうせいに対する嫌悪感を考えれば、それは予想の範囲内であった。しかし、傲慢ごうまんで閉鎖的思考の中山王ちゅうざんおうが他国との外交を允許いんきょしたのは実に稀有けうなことであり、それは楽毅がくきにとっても予想だにしなかった事であった。


 ──愚昧ぐまいな王も、少しは危機感をいだいたのかしら?


 最良の道は閉ざされたが、まだわずかな希望があると、楽毅がくきは感じた。


ちょう軍が三方から一気に攻め寄せて来る、と献言したところ、宰相さいしょうどのに、何をバカな、と鼻で笑われた。我が君も恐らく同じ思いであっただろう」


 しかし、その希望は父からもたらされた言葉によってあえなく打ち砕かれた。


 中山国ちゅうざんこく宰相さいしょう司馬熹しばきという。老齢ではあるが幾度も宰相さいしょうを努める程に王からの信頼も厚い人物である。しかし、彼の優れたところは政治手腕では無く自己保身の為の処世術であった。言葉巧みに王の機嫌を取り、己にとって邪魔な存在は全て排除し、身近な存在を重用させてきた佞臣ねいしんの典型と言える。

 故に司馬熹しばきにとって、代々続く忠臣の出自であり実直で人望もある楽峻がくしゅんは目の上のこぶのような存在であり、楽峻がくしゅんもまた同じ様な思いをいだいていた。


「それから、楽毅がくき。お前はこのたび将軍に任命された。これから主力のひとりとして軍を率いてもらう事になる」

「わたしが将軍に⁉︎」


 その報告は正に寝耳に水であった。

 せいぜい五千人将くらいであろうと踏んでいた楽毅がくきは、思いも寄らない重職に戸惑いの色を隠せなかった。


「王や宰相さいしょうのご裁断とはとても思えません」

「うむ。お前が将軍に抜擢されたのも、我が君が他国との外交に允許いんきょを下したのも、実はすべて太子たいしのお口添えによるものなのだ」

太子たいしが……?」


 楽毅がくきは首をかしげた。


 彼女は中山国ちゅうざんこく太子たいしと面識は無かったが、眉目秀麗イケメンで世事に通じており、刻苦勉励こっくべんれいの人である、という評判だけは聞きおよんでいた。

 もしも太子たいしが世評通りの人物であれば、中山国ちゅうざんこくはまだまだ未来への展望が描ける事だろう。

 しかし、楽毅がくきは期待をいだかなかった。


 ──噂なんて都合の良いようにいくらでも流布るふできるわ。


 世評と現実の乖離かいりなど、ざらである。

 楽毅がくき臨淄りんしにいたころはまず最初に世評を元に人との交流を求めており、そういった経験は何度もあった。


 人には必ず一長一短がある──


 楽毅がくきは多くの人との交流でそれを肌で感じ、清濁を合わせ吞んだ先にこそ、人としての深みが体現される事を知った。

 だから太子たいしの様に良い評判しか聞かない人物程、それを鵜呑みにしてはならないのだ。


「私も驚いたよ。宰相さいしょうどのは失笑していたしな。ともあれ、お前は私と同じ将軍に選ばれた。おめでとう」


 しかし、そう言う楽峻がくしゅんの顔はやはり浮かなかった。

 娘の異例の昇進をよろこびながらも、死地へとおもむかなければならない事を考えると、父親としては複雑な気持ちなのだろう。


「ありがとうございます。ご期待に添えるよう尽力いたします!」


 それを顧慮こりょした楽毅がくきは、父の不安を吹き飛ばすように笑顔で、はつらつと応える。


「うむ……」


 それでも楽峻がくしゅんの表情は晴れず、気の無い言葉を吐く。


「どうやら、父上の想念はどこか別のところにあるようですね?」

「うぬっ⁉︎」


 楽毅がくきの言葉に、彼は驚きの色をあらわにした。


「……やはり、顔に表れていたか。まだまだ私も未熟だな」


 やれやれといった具合に自嘲すると、楽峻がくしゅんはようやく本題を語り出した。


「実はな、その太子たいしがお前との面会を求めているのだ」

太子たいしがわたしに……ですか?」


 楽毅がくきは驚いた。がしかし、父が思い悩む理由がそこに見当たらなかった。


「うむ。帰り際に私の元に寄られてな。明日の昼時にでもぜひ、街でも散策しながら話がしたいとおおせなのだ」

「わたしでしたらもちろん構いません。大変光栄な事です。しかし、街を歩きながらというのは、また変わった引見でございますね?」


 散歩が太子たいしのご趣味なのかしら、と首をかしげる楽毅に、


「よいか、楽毅がくき。これはただの謁見えっけんではない。逢引きデートなのだよ、逢引きデート


 真剣な眼差しで楽峻がくしゅんはそう言った。


「……で、でぇとォォォォォォォッッッ⁉︎」


 しばらくキョトンとした顔でほうけていた楽毅がくきだったが、ようやくその言葉の意味を理解すると今度は頓狂とんきょうな声で叫んだ。

 離れた場所で談笑していた工人達が、何事とばかりに一斉に振り返る。


「た、太子たいしがわたしと逢引きデートだなんて……こ、困ります」


 楽毅がくきは赤ら顔になって尻ごみする。昔から異性の友達がおらず、臨淄りんしでもまったく浮いた話の無かった楽毅がくきは、もちろん逢引きデートなどした事が無かった。


「お前がせいに兵法留学していた事をお伝えしたところ、いたく興味をいだかれてな。恐らくその時の話をお聞きになりたいのだろう」


 その言葉に、ようやく楽毅がくきは合点がいった。


 太子たいしの母──すなわち中山国ちゅうざんこくの正妃はせいの王室からとついで来た公女こうじょである。もちろんそれは、両国間にまだ交流があったころの話だ。おそらく母の故郷の今の様子を楽毅がくきから聞き、それを母に語り聞かせるつもりなのだろう。


「そういう事でしたか。しかし、それを逢引きデートと呼ぶのはいささかか大げさではありませんか?」

「街中で異性が二人寄り添い歩けば、それはもう立派な逢引きデートだ。たとえ話に色気が無くともな」


 そういうものなのでしょうか、と楽毅がくきはますます半信半疑になって首をかしげる。


「よいか。これは好機チャンスなのだ」


 楽毅がくきの両肩に手を置き、いつに無く真剣な眼差しで楽峻がくしゅんは言った。


「最初は些細ささいなきっかけで良い。だが、そこで太子たいしに好印象を抱かせる事が出来れば、そこから本当の恋愛へと発展するかもしれないのだぞ」

「ちょ、ちょっと待ってください! 父上は先程から一体何をおっしゃっているのですか?」

太子たいしを堕とせ、と言っているのだ」

「ああ、そういう事でしたか……って、えェェェェェェェェェッッッ⁉︎」


 楽毅がくきはまたも頓狂とんきょうな声を上げ、再び周囲の視線を一身に浴びた。


「ち、父上はわたしに何を求めているのですか? もし政略結婚の道具としか見ていないのでしたら、わたしは今すぐにでもこの地を去りますからね!」


 楽毅がくき羞恥しゅうちと怒りの色をあらわに父をめつけた。

 女だから、という一方的な理由で男の為すがままに人生を定められる事を何よりも嫌う彼女にとって、父の思惑は到底受け入れられるものではなかった。


「そう怒るな。もちろん、お前の気持ちは私にもわかる。しかしな、これはがく家の為──いや中山国ちゅうざんこくの為なのだ」


「国の為?」


 楽峻がくしゅんは大きくうなずいた。


「たとえば、だ。飽くまでもたとえば、の話だ」


 くどいくらいに強調して、彼は続けた。


「お前が太子たいしに気に入られて妻として迎え入れられたとしよう。せいに対してわだかまりの無い次期国王とその妻となったお前が協力し合えば、国の外交方針を転換する事が出来る。そうは思わないか?」

「それはまあ、確かに……」


 自分がもしも政治の要職にあったなら、すぐにでもせいとの外交を再開させるのに、と歯がゆい思いをいだいた事は一度や二度ではない。


 太子たいしの正妻として夫を内助し宮廷内の風潮を変える事ができたなら──

 現王や宰相さいしょう一派は当然それを許さないだろうが、楽峻の様な忠臣は少なくないはずであり、彼らをまとめ上げて何とかそれに負けない派閥を作り上げれば──

 現王と宰相さいしょう一派を駆逐くちくし、太子たいしが新国王に──


 ──そしてわたしは。


 そこまで想像して楽毅がくきはようやく我に返り、脳裏にこびりついた夢想を振り払うようにかぶりを振った。


「すまんすまん。今の話は忘れてくれ。お前はただ太子たいしと休息の時間を楽しんでくれればそれでよい」


 そんな娘の姿を見たは楽峻がくしゅんあっさりと手の平を返し、なぐさめるように彼女の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 しかし彼は胸の内で、満更まんざらでもない、という手応えを感じて大いに期待をいだくのだった。

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