七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第10話 本当にそう思います

公開日時: 2020年12月28日(月) 17:32
文字数:1,753

 臨淄りんしの街を後にした楽毅がくき楽乗がくじょうは、寂寥せきりょうの広野を進む。


 ──臨淄りんしを出るのはひと月ぶりくらい、か。


 ふと思い返す楽毅がくき


 その時は東にある即墨そくぼくまちを訪ねたが、彼女達の足は逆の西を向いている。

 せい中山ちゅうざんの両国は隣接していない上に今は国交も無く、直接中山国ちゅうざんこくへ帰る事は出来ない。初めてせいに入国した時と同様に、いったんちょうを経由する事となる。


 おそらく国都である邯鄲かんたんを出立したちょう軍は、もうすでに中山国ちゅうざんこくとの国境付近に達したころであろうか。どの道、国境付近は警戒が厳しく、その網を抜けるのは容易では無いだろう。

 あえて北を目指してえんの国に入り、そこから中山国ちゅうざんこくへ向かうという道筋ルートもあるが、それではあまりにも時間がかかり過ぎる。

 結局、楽毅がくき達はちょうを経由する道を選び、まずは昌国しょうこくというまちを目指す事となった。


「大丈夫ですか、楽乗がくじょうさん?」


 道中ずっと涙ぐんでいる楽乗がくじょうに声をかける。


「す、すみません。部外者のクセにこんなに取り乱してしまいまして」


 鼻をすすりながら答える楽乗がくじょう

 彼女は先程の楽毅がくき齋和さいかの別れにもらい泣きし、それが今も続いているのだ。


「ですが、楽毅がくきお姉様は本当にすばらしい方とご交誼こうぎを持たれていらっしゃるのですね」

「ええ。本当にそう思います……」


 楽毅がくきは一度足元を見つめてから、スッと視線を前に戻す。


「それにしても孟嘗君もうしょうくんとの拝謁はいえつが叶った事も驚きましたが、あの屋敷の構造にはさらに驚かされました」


 楽乗がくじょうが感嘆交じりにつぶやく。

 楽毅がくきは小さくうなずいた。



 あの時──楽毅がくき達が齋和さいかの屋敷を訪ねた時──齋和さいかの待つ大部屋にたどり着くまでに荘厳な庭園を抜け、ぐるぐると入りくんだ回廊を通り、ゆうに十五分は経過していたはずであった。

 しかし、その帰りに際して二人は驚くべき光景をの当たりにした。

 見送りに同行した齋和さいかと共に部屋を抜けると回廊はただの一本道となっており、邸宅を出るとそこはもう門閾もんいきだったのだ。

 振り返るがあの時拝観した庭園は影も形も無く、楽毅がくき楽乗がくじょうはまるで狐につままれた様に、ぽかんとしてしまった。


『まだワシの着替えが済んでなかったものでな。少々暇潰しをしてもらっていたのじゃ』


 齋和さいかは笑ってそう言っていた。


 ──じゃあ、あれは集団幻覚? それとも、空間を操るすべでも持ち合わせているの?


 目の前の少女の底知れぬ力に、その時楽毅がくきは思わず背筋を震わせていた。

 確かにあの時、取次ぎに入った門番はわずか五分程で往復していたはずだ。



「どのような絡繰からくりなのかは分かりませんが、神変不可思議しんぺんふかしぎとか神通自在じんつうじざいすべとは、きっとあのような事を言うのでしょうね」


  人知の及ばぬ不思議な現象に対し、楽毅がくきは明確な答えをていする事は避け、


 ──ムリにその答えを求めようとすれば、きっと道を見誤る。分からないものは分からない。今はそれでいい。


 そう胸に刻みこむのだった。

 それよりも、楽毅がくきの心にはおりのようにこごる気がかりな事があった。


 それは、齋和さいか邸の門を抜けてさあ出立、という時の事であった。


楽毅がくきよ。【墨家ぼっか】の者には気をつけろ』


 去り際に齋和さいかはそんな言葉を告げたのだった。


 【墨家ぼっか】とは、春秋時代の思想家・墨子ぼくしの思想を受け継いだ宗教集団の事である。彼らは常に死に装束である白一色の衣に身を包み、〈慈愛〉や〈反戦〉などを旗印に掲げて各国を廻っている。それだけ見れば彼らは至極崇高な組織に思えるがしかし、【墨家ぼっか】は戦闘集団としての顔をも備えているのだ。

 反戦を掲げながら戦闘を行う事には大いなる矛盾があるが、彼らの戦いは守城にのみ展開される。独自で開発した特殊な兵器を用い、最後の一兵になっても城を護り抜く。落城は彼らにとって死を意味するのだ。

 その悲壮とも言える戦いぶりは“墨守ぼくしゅ”と称されたたえられた。


 しかし、齋和さいかはどういう訳か【墨家ぼっか】を毛嫌いしているようだった。彼女が自分の食客ファンを黒ずくめに染めているのは、そんな彼らに対する当てつけでもあったのだ。

 もしかしたら齋和さいかの運命に【墨家ぼっか】が大きく関わっているのかも知れない。

 以前彼女が語っていた、宝珠を狙っているという組織。それが【墨家ぼっか】なのでは、と楽毅がくきは思ったが、あえてそれを問う事はしなかった。


 しかし、これから中山国ちゅうざんこくは籠城戦を余儀なくされるだろう。

 楽毅がくきはこれまで【墨家ぼっか】の者との関わり合いは無かったが、思いの他早くに関わる事になるような、そんな予感めいたものを感じてしまうのだった。

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