七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第4話 偵察……偵察⁉︎

公開日時: 2021年7月19日(月) 15:02
文字数:4,454

 虎皮の衣をまとった覇王──武霊王ぶれいおう


 若くして趙国ちょうこくの王位を継いだ彼は、胡服騎射こふくきしゃという北方遊牧民の戦闘形式ファイトスタイルを取り入れて屈強な騎馬軍団を作り上げると、その類稀たぐいまれな戦術眼をもって瞬く間に版図はんとを拡大していった。


 その快進撃は、強国を自負する二大大国であるしんせいでさえも畏怖をいだき、このままゆけばしんせいちょうによる三つ巴の時代が訪れるのは明白であった。


 河北かほくの虎──


 北の征服王──


 戦国の風雲児カリスマを、人々は畏敬の念をこめてそう呼ぶのだった。


 ちょうを一気に強国へと押し上げた英傑の武霊王ぶれいおうではあるが、そんな彼が戦よりも頭を悩ませているのは後継者問題であった。


 先日、長子である趙章ちょうしょうを廃嫡し、寵妃ちょうひの子である趙何ちょうか太子たいしを移譲した。


 そのような独善的な裁断は混乱の素であることくらい、彼は当然理解している。だから彼は王位をすぐに移譲し、表向きは一線を退きながらも主父しゅほ──すなわち王の父として趙何ちょうかを背後から補佐することもすでに決定している。


 しかし──


 巨躯からだを玉座に預けて足組みをし、肘立てに置いた左腕で傾けた頭を支える武霊王ぶれいおう面持おももちはどこか気だるげであった。


 愛する女のために後継ぎをすげ替え、国の秩序を乱した愚かなる王──


 もしかしたら後世にそのような汚名が残るかも知れない。それでも、今回の自身が下した決断に後悔など微塵も無かった。それが彼の精一杯の愛情表現であり、たとえ国が乱れるような結果を招こうともそれは埒外らちがいの事象であり、彼の決断を止める要因とはなり得ないのだ。


 彼がそれほどまでに寵愛を向ける女性・呉孟姚ごもうよう──


 その邂逅のきっかけとなったのは、武霊王ぶれいおうの夢であった。


 ある日、彼は夢の中でひとりの乙女と出逢う。彼女は美しく、また器用に鼓や琴を演奏し、鳥がさえずるがごとく美声で歌い、彼を虜にするのだった。


 武霊王ぶれいおうは夢から目覚めてからもその女性に対する興味は冷めず、家臣たちに夢に出てきた乙女の姿形をつぶさに話してみせた。


 すると、家臣のひとりで呉広ごこうという人物が、自分の娘によく似ている、と名乗り出たのだ。

 そして連れてこられた呉広の娘こそ呉孟姚ごもうようで、たしかに夢の中で戯れた美しい乙女によく似ており、まるで夢の中からそのまま顕現化けんげんかしたのでは、と思わせるほどであった。


 運命的なものを感じた武霊王ぶれいおうは彼女を妃に迎え、昼夜を問わずはげしく愛した。

 そして生まれた子が趙何ちょうかであった。


 ふう、とかすかなため息が男の口から自然とこぼれる。


 今回の決断に後悔は無い。が、ひとつだけ気になることがあり、それがしこりとなって彼の胸の奥底に巣食うのだった。


 ──なぜ、趙何ちょうかは自ら太子たいしになることを突然願った?


 武霊王ぶれいおうの目から見て趙何ちょうかは実の子でありながらその性質はまるで正反対であり、その関係はとても良好と呼べるものでは無かった。


 二人の間に決定的な溝が生じたのは、数年前のとある出来事からであった。


 たまさかの休日を得た彼は、子供たちを狩りに誘ったのだ。


 趙豹ちょうひょうはまだ幼な子だったので当然不参加ではあったが、趙章ちょうしょう趙何ちょうかだけではなく、娘である趙勝姫ちょうしょうきもこれに参加した。


 活発で精悍せいかん趙章ちょうしょうはもちろんのこと、趙勝姫ちょうしょうきも進んで弓馬の教えを乞い、兎や鹿を次々と射止めてゆくのだった。

 しかし、生まれつき体が弱く運動神経も鈍い趙何ちょうかだけは、武霊王ぶれいおうが何度も指導するもののついには馬に跨ることすら出来ず、しまいには発熱して具合を悪くしてしまうという有り様であった。


 やはり父親でもある武霊王ぶれいおうにとっては自分と同じように活発的で勇敢な趙章ちょうしょう趙勝姫ちょうしょうきの方を可愛く思い、虚弱で消極的な趙何ちょうかに対しては失望すら禁じ得なかった。


 武霊王ぶれいおうはそれを口には出さなかったものの、その一件以来武霊王ぶれいおう趙何ちょうかとの接し方に窮して避けるようになり、また趙何ちょうか自身も父からの期待が薄いことを察し、余計に部屋に引きこもって書物をあさるようになったのだった。


 とはいえ、武霊王ぶれいおうは決して趙何ちょうかを嫌っている訳ではない。母に似た美しい目鼻立ちと、洗練された音色を奏でる琴の腕前を、彼はとても好ましく思っている。


 しかし、骨の髄まで武人である武霊王ぶれいおうの目から見れば、やはり趙何ちょうかはどこかのだ。


 それでも最愛の女性のため、あえて何の期待もしていない趙何ちょうか太子たいしに据えた。きっと趙何ちょうかは最後の最後まで怖気おじけずき、首を縦に振ることは無いだろう。

 それでも武霊王ぶれいおうは形だけでも彼を次期国王として喧伝けんでんし、国政のすべては引き続き自らが執り行うつもりでいた。


 しかし、どうであろう。


『微才の身ではありますが、太子たいしを。そして時期国王を務めさせていただく所存でございます』


 多少の逡巡しゅんじゅんはあったものの、彼は堂々とそう述べたのだった。


 それは正に豹変と呼べるものであり、武霊王ぶれいおうの知る気弱で臆病な少年の姿では無かった。

 そして何よりも、今までまったくと言っていいほど武霊王ぶれいおうとはまったく目を合わせることの無かった趙何ちょうかが、はじめて父とまっすぐに向き合い、真剣な眼差しを向けてきたのだ。


 ──まるで正面から戦いを挑むようなあの瞳、前にもどこかで見たことがある。


 武霊王ぶれいおうはふとそう思い記憶を辿ると、


 ──ああ、あの紅色の髪の女だ。


 すぐに心当たりにたどり着いた。


 楽毅がくき──


 中山国ちゅうざんこくの将として武霊王ぶれいおうと対峙し、交渉の際には直接対面したことがある紅毛碧眼こうもうへきがんの少女だ。


 彼女の奮戦により武霊王ぶれいおう中山国ちゅうざんこくの攻略に大きく遅れを取ることとなり、武霊王ぶれいおう自身、彼女のその才覚を大きく評価していた。

 しかし、女性が戦場や政治の表舞台に立つことを嫌う彼は、決して楽毅がくきを用いようとはしなかった。

 それどころか、後に障害となることを危惧して凶手しかくを差し向けるほどにその扱いに苦慮し、また怖れていたのだ。

 

 ──まるで刃を交えているような、あのまっすぐな眼差し……そっくりだ。


 かつて使者として参った楽毅がくきと対面しており、彼女は武霊王ぶれいおうの恫喝じみた脅しに屈することなく、堂々と交渉の場を乗り切った。

 飛ぶ鳥を落とす勢いの武霊王を前にして怯むことなく、正面からその顔を、瞳をジッと見すえることの出来た唯一の人物であった。


 内気な趙何ちょうかの成長に驚くと共に、自分が苦手とする人物を彷彿とさせることに心中複雑な武霊王ぶれいおうであった。


 ──紅色の髪の女といえば……。


 武霊王ぶれいおうは最近耳にした巷間こうかんの噂をふと思い出した。


 それは、新たにしんの玉座に就いた昭襄王しょうじょうおう──嬴稷えいしょくが紅色の髪の乙女の肖像画を描かせ、それを恨めしげに毎日眺め、その乙女の所在を血眼になって探している、というものであった。


 中華大陸ひろしといえども、そのような色の髪を持った人物は楽毅がくきひとりであろうし、彼は何らかの理由で楽毅がくきの行方を追っているということだ。


 嬴稷えいしょくは、前王の急死によって突然空白となった秦国しんこくの玉座に据えようと武霊王ぶれいおう自身が中山国ちゅうざんこく遠征と同時進行で庇護し、遥々えんの国から護送した少年である。

 そして趙与ちょうよから聞いた話によると、楽毅がくきはそれと同時期に商人に扮してまんまとちょう軍の目をあざむいて中山国ちゅうざんこくに帰国していたらしい。


 ──逢っていたとすれば、その時か。


 武霊王ぶれいおうはふう、とひとつため息をこぼし、今一度思考を巡らせる。


 彼自身、嬴稷えいしょくとは直接対面していない。部下から伝え聞いた話では、女好きでかなりの変わり者であるらしい。


 ──俺と同じだな。


 ふと、武霊王ぶれいおうの口元が緩む。


 武霊王ぶれいおう自身、若いころから常識に囚われない破天荒な性質であったために周囲の者から変わり者として煙たがられていたりもした。

 城を抜け出して他のまちに赴き、そこに暮らす民を苦しめていた野盗を蹴散らしたこともあった。

 虎皮が欲しいという理由だけで印度インドの商人を探し回り、それを高値で購入したりもした。

 そんな彼だからこそ、古い慣習に囚われずに胡服騎射こふくきしゃという制度を積極的に取り入れ、今では中華大陸最強の騎馬軍団を率いるまでになったのだ。


 そして『英雄色を好む』という格言があるように、彼もご多分にもれず女性をこよなく愛している。


「ふむ」


 武霊王ぶれいおうはこの時何かを決断し、


肥義ひぎ! 肥義ひぎはおるか⁉︎」


 老宰相さいしょうの名を呼ぶ。


「ははっ、何でございましょう、主上しゅじょう。あ、いや、主父しゅほ


 部屋の外から矍鑠かくしゃくとした足取りで白髪の老人がやって来ると、彼は玉座の前で拱手こうしゅする。


肥義ひぎよ。俺はこれからしんおもむき、昭襄王しょうじょうおうに逢って来ることにした」


 少年のように目を爛々と輝かせながら、武霊王ぶれいおうは弾むような口調で告げる。


「は? しんでございますか? 主父しゅほみずからが交渉に向かわれるのですかな?」

「交渉ではない。偵察だ。俺の目で直接昭襄王しょうじょうおうを見てみたくなった」

「なるほど、偵察でございますか。主父しゅほ自らが偵察……偵察⁉︎」


 その言葉を嚥下してゆく内にだんだんと渋い顔になってゆく肥義ひぎは、


「なりませんッ‼︎」


 強い口調でそう叫んだ。


「大事な御身が敵国偵察などという危険極まりないことをするなど言語道断! しかも相手は虎狼と呼ばれているしん。誰か別の者を遣わすべきです」

「この俺が自らの目で拝まなければ意味が無いのだ」

「血気盛んな若気の至りならばいざ知らず、ようやく後継者を定めた矢先ではございませぬか。主父がお強いのは重々理解しておりますが、どうかもう少し御身をいたわりくださいませ!」


 その場に深々と叩頭ぬかずき懇願する肥義ひぎ

 長年側に仕えてきた功労者の必死な姿に、武霊王ぶれいおうもさすがに心が痛んだ。


 しかし、胸の奥にたぎる熱情にはあらがうことは出来ない。それはまるで愛しき女との逢瀬を望む男の情念であり、止めるすべなど誰も持ち得ないのだ。


「……肥義ひぎよ。思えばそなたとは長いつき合いであったな」

主父しゅほ……」


 ひと呼吸置いてから放たれた武霊王ぶれいおうの言葉は、いつになく穏やかで優しいものであった。


「いろいろと苦労をかけて申し訳ないと思っている。しかし、後の世代のためにも見極めなければならないのだ。将来難敵となるであろうしんの王を。だから頼む。これが俺の最後のワガママだ」


 そう言って武霊王ぶれいおうは臣下である肥義ひぎに深々と頭を下げる。


主父しゅほ、どうか頭をお上げください!」


 覇王とは思えぬしおらしい言動に、肥義ひぎは思わず周章しゅうしょうしてしまう。

 そして、ひとつため息をこぼすと、


「やれやれ。最後の願いとあっては私も受け入れざるを得ませんな」


 ついに根負けし、苦笑と共に武霊王ぶれいおうの提言を受諾するのだった。


「すまぬ、肥義ひぎよ」

「まあ、主父しゅほの無謀ぶりは今に始まったことではありませんからな」


 そう言って互いに笑い合う。


「では明日、さっそくしんに向かいたい」

「護衛はいかがなさいますか?」

「護衛はいらん」

「それはなりませぬッ!」


 刹那、白髪の老人は再び鬼の形相で一喝する。


主父しゅほおひとりで偵察など言語道断! 必ず護衛をおつけください。それが出来なければ今回の件、やはり了承致しかねますぞ」

「だが、相手はあのしんだ。生半可な腕の者ではかえって足手まといだし、大人数で行ってはすぐに怪しまれるだけだ」

「むむむ……」


 肥義ひぎは眉間にしわを寄せ、腕組みをして考えこむ。


「……主父しゅほ、今しばらくお待ちください。私に心当たりがございます」


 ふと何かを思いついた肥義ひぎは、拱手こうしゅを残してすぐに踵を返し、老人とは思えぬ力強い足取りでその場を後にする。


「やれやれ。まだまだ長生きしそうだな」


 その後ろ姿を見送りながら、武霊王は苦笑と共にひとりごちるのであった。


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