七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第4話 本当に知らなかったのですか?

公開日時: 2021年2月3日(水) 17:13
文字数:1,430

楽毅がくきお姉さんは密集方陣ファランクスをご存知だったのですか?」


 砦の天幕テント内でひと息楽毅がくきすいたずねる。彼女は先程の野戦で楽間がくかんと共に楽毅がくきに同行していた。


密集方陣ファランクス? 何ですか、それは?」

「先程お姉さんが用いていた、長槍と大盾の重装歩兵による密集陣形です。あれは元々希臘ギリシャで古くから用いられたもので、馬基頓マケドニアのアレクサンドロス大王もよく用いていた陣形です」

「そうだったの? 知らなかったわ……」


 楽毅がくきは驚いた顔で言った。


「本当に知らなかったのですか?」


 ええ、と楽毅がくきはうなずき、


「わたしはただ、ちょう軍の主力である騎馬隊を足止めする為に、と考えて長槍と大盾を作らせたのですが……。やはり先人は偉大ですね」


 虚空に目をやり、そうつぶやいた。


 楽毅がくきは、邯鄲かんたんで購入した楚鉄そてつで長槍と大盾を製造し、それを姫尚きしょう楽峻がくしゅんの軍にも授けて対騎馬隊の備えとしていた。

 たとえ勝てなくても良い。敵を冬まで──雪が積もって撤退を余儀無くさせるまで足止め出来ればそれで充分だと思った。三方の内どこかひとつが抜かれたとしても、それだけでは霊寿れいじゅは陥落しない。武霊王ぶれいおう目論もくろみを防いだ事になるのだ。


「しかし、誰から教わったでも無く昔の偉人と同じ戦法を考え出すのですから、やはりお姉様はスゴイです」


 楽乗がくじょうが興奮気味に言った。

 彼女は先程は砦の留守を護っていた為に、その密集方陣ファランクスを実際には見ていなかった。


「ありがとうございます。それで、楽乗がくじょうさんには今夜、わたしと一緒にもうひと働きしていただきたいのですが」


 楽毅がくきの言葉にキョトンとした楽乗がくじょうであったが、


「喜んでお供致します」


 すぐに彼女の意向を察し、笑顔で応えた。



 その日の深夜──


 シンと寝静まるちょう軍の陣に、五千の中山ちゅうざん軍が灯火も音も無く接近していた。入り組んだ山路も、地形を知り尽くした中山人ちゅうざんびとであれば容易に下る事が出来た。


「では手はず通り最初は北西へと切りこみ、次に東、返す刀で南西に抜けてください」

「三角形を描くように敵陣を撹乱するのですよね。お任せください」


 楽毅がくきの確認に、楽乗がくじょう中山ちゅうざん兵がうなずく。

 騎馬隊が馬のハミを外す。


「突撃ッ!」


 楽毅がくきの掛け声と共に中山ちゅうざん軍は静寂を破り、ちょう軍の陣営へと一斉に雪崩なだれこんだ。炬火きょかは倒され、その火が幕舎ばくしゃ天幕テントに燃え広がる。

 慌てて飛び起きたちょう兵が盛んに、敵襲、夜襲、と叫ぶが、彼らは甲冑かっちゅうを身につける間も無く突然闇から現れた中山ちゅうざん軍に斬り伏せられていった。


 擾乱じょうらんして右往左往するちょう兵に対し、中山ちゅうざん軍はひと言も言葉を発する事は無く、それがちょう軍の恐怖心をなおさらあおるのだった。


 中山ちゅうざん軍は南西の方向に縦断するときびすを返し、糸を通すように今度は東の方向へと突き進んでいった。


「お前は、いつぞやの商人ではないか⁉︎」


 昼間も聞いたあの胴間声どうま楽毅がくきの足を止めさせる。

 燃え盛る幕舎ばくしゃの傍で、ちょう太子たいしで後軍大将の趙章ちょうしょうが、馬上の楽毅がくきを睨み上げていた。その隣にはその側近である田不礼でんぶれいが控えている。


「その節は大変お世話になりました、趙章ちょうしょう様。おかげで無事に帰国する事が出来ました」


 楽毅がくきは皮肉をたっぷりとこめてそう言った。


「き、貴様ァ! 一体何者だ⁉︎」

「わたしは中山国ちゅうざんこく将軍の楽毅がくき

楽毅がくき……だと? おのれ、この俺をたばかりおって‼︎」


 趙章ちょうしょうが腰に帯びた剣を抜いて切りかかろうとするが、田不礼でんぶれいに抑えられて引きずられるようにしてその場から離れてゆく。

 覚えておれ、という怨嗟えんさの声だけが虚しく響いていた。


 結局ちょう軍は潰走かいそうし、元いた東垣とうえん近辺へと引き上げていった。



 たった一日で趙章ちょうしょう率いるちょう軍は三千もの死傷者を出し、緒戦は楽毅がくきの完勝であった。

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