七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
チーム奇人・変人

第8話 ワレは芸術を愛でる紳士である

公開日時: 2021年1月12日(火) 17:20
文字数:3,023

 深夜──


 楽毅がくきはひとり起き上がると、すっかり熟睡している二人を起こさぬよう細心の注意を払って天幕テントを出る。

 身体中が汗ばんでしまい、沐浴もくよくをしたかったのだ。


 見張りをしているちょう兵にひと声かけ、楽毅がくきはひとり陣営を離れた。


 ──確かこっちには川があったはず。


 暗澹あんたんたる世界であってもここは勝手知ったる旧中山ちゅうざん領である。楽毅がくきは月明かりだけを頼りに難無く林道を抜け、細い支流が流れる川原へと出た。


 初めに、頭を覆っていた布をほどく。月光を浴びて妖しくきらめく紅い長髪ロングヘアーをさらりとなびかせる。続いて腰の帯を解いて麻の衣服を脱ぎ捨て、豊満な裸体をあらわにする。

 十六歳とは思えぬ完成されたその肉体はそらから降り注ぐ白い放射光を浴びて、より妖艶な芸術性を顕示けんじしていた。


 ──昼間はまだ暑いくらいだったけど、さすがに夜は少し冷えるわね。


 楽毅がくきは夜風に少し身を震わせながら川の前で屈み、持参した小さな布を川の水に浸す。それを充分に絞ってから、首筋を、両腕を、乳房を、身体中をくまなくぬぐってゆく。

 と、その時であった。


「ほう、異人であったか」


 背後から驚嘆の色を含んだ声がかかる。


 楽毅がくきが反射的にパッと振り返ると、いつの間にそこにいたのか、ひとりの少年が少し離れた所から膝を屈めた状態で彼女をジッと凝視していた。

 予想だにしなかった事態に楽毅がくきは頭が真っ白になり、口をパクパクとさせるが言葉が出せず、体を隠す事さえも出来ずにいた。


「ああ、ワレのことは気にせずに続けてくれ」


 そんな楽毅がくきの動揺などどこ吹く風で、その少年はあっけらかんとした口調で続けた。


「安心せい、ワレは芸術をでる紳士である。ゆえにオマエを押し倒したりなどという野暮で不粋なマネはせぬ」


 少年は両手で両頬を包んだ姿勢のままにこやかな笑みを浮かべ、芸術鑑賞という名ののぞき行為を堂々と行うのだった。


「イヤぁぁぁぁぁッ! この変態ィィィィィィッッッ‼︎」


 ようやく事の異常性を理解した楽毅がくきは声の限りに叫び、近くに転がっていた小石を掴んで立ち上がり、少年に向けて思いきり放った。


「ぎゃんッ‼︎」


 それは見事に少年の額に命中し、彼は悲鳴を上げて仰向けに倒れ伏す。そして、その場に大の字に転がったまま動かなくなった。どうやら倒れた拍子に後頭部を強打し、気を失ってしまったようだ。


「な、何なのよ、こののぞき魔は……?」


 ハァハァと乱れた息を整えながらのぞきに興じていた少年を見下ろす。

 歳は楽毅がくきと同じくらいであろうか。よく見れば上質な絹で編まれた上衣じょういをまとっていた。


 ──兵士じゃないし、地元の民とも思えない。一体このコは……?


 次の刹那、今度は林道の茂みからガサガサと何かが駆けて来る音がすると、


「一体何事ですか⁉︎」


 もの凄い勢いで何者かが川原へ飛びこんで来る。

 それは趙与ちょうよだった。


「キャァァァァァァァッッッ‼︎」


 楽毅がくきは再び悲鳴を上げてすぐに身を屈めた。


「おっと、これは失礼!」


 趙与ちょうよは慌てて背中を向ける。


「貴女が陣営からひとりで離れたと兵士から聞いて、心配になって追いかけたところに、ただならぬ悲鳴が聞こえましたので……。で、何かありましたか?」

「あの……そこの男のコがのぞいていたもので、つい……」

「男のコ? ……おおッ、しょく公子こうし⁉︎」


 自分のすぐ足元で仰向けになって転がっている少年の存在に気づいた趙与ちょうよは、彼に呼びかける。


公子こうし? そのコは公子こうしなのですか?」

「え? あ、ええ、まあ──」


 途端に歯切れが悪くなる趙与ちょうよ


 刹那、茂みをき分けて何者かが猛然と駆けて来る音が聞こえると、


「お姉様、いかがなさいましたかッ⁉︎」


 楽乗がくじょうが血相を変えて飛びこんで来る。


「こ、これは……」


 一糸まとわぬあられもない姿のまま涙目でうずくまる楽毅がくきと、倒れている少年を介抱している趙与ちょうよの姿を視界に収めた楽乗がくじょうは、


「おのれェ、二人がかりでお姉様を手ごめにしようとしたのだなッ!!」


 そう判断するやいなやカッと頭に血が上り、すぐ様趙与ちょうよの元へと駆けた。


「ほ?」


 首をかしげる趙与ちょうよ

 そして、楽乗がくじょう渾身こんしんの回し蹴りが容赦ようしゃ無く彼の側頭部を捉える。


「ばもらぁッッッ‼︎」


 謎の言葉を発し、趙与ちょうよは体を川原に何度も打ちつけながら数メートル先まで、まるであくたごとく転がり廻った。


「お姉様に不埒ふらちを働く不届き者は、天に代わってこの私が成敗するッ!」


 楽乗がくじょうは、フンっ、と鼻から荒々しい息を吐き出し、勇ましくうそぶいた。


「あ、あの、違うんです、がくじょ……羊乗ようじょうさん」


 楽毅がくきはいそいそと衣服をまといながら、事のあらましを楽乗がくじょうに伝える。


「わ、私は何という事を……」


 楽乗がくじょうは途端に青ざめ、


「私とした事がとんだ早合点をしてしまい、申し訳ございませんでした!」


 ボロきれのごとく哀れな姿で横たわる趙与ちょうよをすぐさま起こし上げた。


「いや、なぁに。あの状況では誤解を受けても仕方がありませぬ」


 頭をフラフラとさせながらも、趙与ちょうよはあっけらかんとした口調で、


「それにしても、さすがは『牛殺し』の羊乗ようじょうどのだ。腰の入った見事な一撃でした」


 にこやかに言うのだった。

 楽乗がくじょうは顔を真っ赤にして、ひたすら恐縮するしか無かった。


「しかし、もっと驚いたのは──」


 趙与ちょうよはゆっくり立ち上がると楽毅がくきの方を振り返り、


羊毅ようきどのは異国の血を引いておられるのですな?」


 淡々とした口調で言った。


 ──しまった!


 この時に至ってようやく、楽毅がくきは紅い髪をさらけ出していた事を思い出した。


「……行く先々でこの容姿をからかわれてきたもので」


 もはやあざむききれないと感じた楽毅がくきは、とりあえず商人のフリだけは忘れない様にと心がける。


「そうでしたか。心中お察しします」


 おそらく中華大陸に二人といないであろう、異様とも言えるその特徴を目のあたりにしても、趙与ちょうよからは特に変わった素振りは見られなかった。


 中山国ちゅうざんこく紅毛碧眼こうもうへきがんの娘あり、という噂はやはりちょう国内にまでは至っていないのか。または、知らない風を装っているのか。楽毅がくきには分からなかった。


「あの、そのコ……いいえ、その方は公子こうし様なのですか?」


 話題をそらそうと、楽毅がくきが問う。


「え? ええ……たまたまこの陣営に逗留とうりゅうされてたのですが……」


 やはり、謎の少年の話になると趙与ちょうよの口調は鈍重どんじゅうになる。


 ──ちょう太子たいしだけでなく、まだ子供である公子こうしまで参戦させている?


 楽毅がくきはそう思ったがしかし、しょくと呼ばれた少年が戦場に似つかわしくない様相である事に疑念を抱いていた。

 いかに公子こうしといえど、戦場においては常にそれに見合った格好をしていなければ下の者達に示しがつかないからだ。


「彼はその……無類の好色家でして。恐らく、太子たいし不礼ぶれいどのあたりから貴女方の事を耳にしたのでしょうなァ」


 相変わらず伸びたままの少年を見下ろし、趙与ちょうよはやれやれといった具合に肩をすぼめる。


「さてと──」


 そして趙与ちょうよは身を屈めてしょくの体を抱き起こし、


「そろそろ戻りますか?」


 背中におぶって立ち上がると、楽毅がくき達をうながす。

 楽毅がくきはコクリとうなずき、髪をたばねながら歩き出す。楽乗がくじょうもその後に続く。


しょくどのは起こさずにこのまま天幕テントまで運びます。今宵こよいの事は夢であったと、起きた時に思うでしょうなァ」


 林道を歩きながら、趙与ちょうよは小さく笑って言った。


「出来る事なら、先事の事は全てキレイサッパリ忘れていて欲しいです……」


 楽毅がくきは正直な気持ちを吐露する。


「おん……な……お……ぱい……ぐへへ」


 趙与ちょうよの背中で、しょくが寝言を漏らす。

 その口元はだらしなく弛緩しかんしており、どんな夢を見ているのか容易に想像できた。


「やっぱり変態だわ……」


 そのニヤけた寝顔を見て、楽毅がくきはうんざりとした口調で独りごちた。

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