七国伝

ーSHICHIKOKUDENー
チーム奇人・変人
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第16話 アナタの帰りを待っていますから

公開日時: 2021年4月14日(水) 14:04
更新日時: 2021年7月12日(月) 11:38
文字数:3,110

 襲撃事件から二週間後──


 世話になった李翁りおうをはじめとする街の人たちに別れを告げ、楽毅がくきたちは新たな旅立ちの時を迎えた。


「皆様のご帰還をいつまでもお待ちしております」


 最後までさわやかな笑みをたたえたまま、李翁りおうはそう言って彼女たちを送り出した。

 彼らの期待に何ひとつ応えること無く、自分勝手に立ち去ってしまうことに心苦しさを感じながらも、楽毅がくきは深々と頭を下げて感謝の意を残し、束の間の安息の地を後にした。


 邯鄲かんたんの城壁を抜けるとすぐに、新緑に彩られた並木道が延々と続く。

 初夏の風はほんのりと若葉の香りを帯び、道行く人々の鼻をくすぐる。


邯鄲かんたんでの日々はあっという間でしたが、素敵な出会いがありました」


 城門の方を一度振り返り、楽毅がくきは感慨深げに言った。


「そうですね。まさか、我々の元に王族の者が訪れるとは思いませんでしたが」


 苦笑交じりに楽乗がくじょうが同意する。


「それで姉上。へ行くのはよいのですが、何かつてはあるのですか?」

「そうですねぇ。残念ながら御先祖様の国というだけで親族も知り合いもおりませんので、すぐに仕官というワケにはいかないでしょう」


 まあ、気長にいきましょう、と楽間がくかんの問いに笑みで答える。

 その時、突然すい楽毅がくきの前に回りこんで勢いよく膝をつくと、


「申し訳ございません、楽毅がくき姉さん!」


 いつになく大きな声で言って深々と叩頭する。

 思いも寄らぬ行動に、楽毅がくきたちは面食らう。


「以前、私は楽毅がくき姉さんに【墨家ぼっか】に属していた自身の過去について告白しました。ですが、楽毅がくき姉さんはそんな私を妹として、本当の家族のように温かく受け入れてくださいました。」


 ですが、と一拍間を置いてから頭を上げ、


「私にはもうひとつ、まだ楽毅がくき姉さんに隠していた事実がございます」


 いつになく真剣な眼差しで、すいは告げる。


「隠していた事実?」

「はい。以前邯鄲かんたん楽毅がくき姉さんたちとお会いした時、私は従者としてアナタにお供しました。まだ【墨家ぼっか】としての密命を帯びていた時期でしたから、私は進んでそうするつもりでした。しかし、本当は──」


 ここでひとつ息を入れて、


よう様からも、アナタの動向を監視し逐一報告するよう言いつけられていたのです」


 すいは意を決して伝えた。


ようどのが……わたしを監視?」


 驚くというより困惑といった面持ちで、楽毅がくきは首をかしげた。


 なぜ、武器商人である楊星軍ようせいぐんから監視されなければならないのか。

 やはり無謀でしかない投資を不安に思っていたのか、とも考えたがすぐに否定した。さほど金銭に執着している風にも見えなかったし、そもそも不安に思っていたら最初から投資などしないはずだ。


 だとすると、考えられる理由は──


 ──わたしがアレクサンドロスの血族であるかたしかめるため?


 もはや、そうとしか考えられない。

 つまり、それは──


 ──ようどのは【墨家ぼっか】と繋がりがある?


 楽毅がくきの頭の中に、あまり考えたくない可能性が浮上する。


よう様はたしかに掴みどころが無く、細かい素性まで私は知りませんが、少なくとも【墨家ぼっか】では無いと思います」


 その可能性を打ち消すように、すいは言った。


「今まであざむいていた私のことは信じてもらえなくて良い。でも、よう様のことは信じてあげてください! あの方は楽毅がくき姉さんの敵じゃない。楽毅がくき姉さんを本気で護るために私を遣わし、心配しているから私に動向を報告させた。そう、思います。そう、思いたいです……」


 すいまなじりに涙を溜めながら、まるで懇願するように言った。

 楽毅がくきたちは戸惑い、言葉にきゅうする。特に楽間がくかんは衝撃を受けたようで、明らかに顔を曇らせていた。


 無言のまましばらく考えこんでいた楽毅がくきだったが、ふぅ、とひと息入れてから、


「どんな思惑があったにせよ、ようどのはこれまでわたしたちに多大な援助をしてくださいました。そのことに変わりは無く、彼に対しては言葉に出来ないほどの感謝の気持ちしかありません。ですから、わたしは彼が何者なのか追及するようなまねは致しません」


 そう告げる。

 そして楽毅がくきは膝をつき、彼女と視線を合わせ、


「アナタだってそう。アナタはこれまでずっとわたしたちを支えてくれた。何度もたすけてくれた。たとえその裏にどんな事情があったとしても、それは決して揺るぐことの無い事実です。アナタがいなかったら、今のわたしは無かった。それは、楽乗がくじょうさんや楽間がくかんにとってもそう。アナタは今のわたしを──今のわたしたちを構成するひとり。無くてはならない大切なひとりなんですよ」


 滔々とうとうとした口調で語る。


よう様を……私を……信じてくれるのですね?」


 楽毅がくきはコクリとうなずき、スッとすいの肩に手を伸ばし、


「本当は、楊どのの元へ帰りたいのでしょう?」


 彼女の心をおもんぱかった。


 すいは充血した目をギョッといた。

 楽乗がくじょう楽間がくかんも、その言葉に動揺を隠せなかった。


「何で……楽毅がくき姉さんは何でそこまでわかるのですか……?」

「前にアナタが言いましたよね? 『この人は私と同じなんだ』、と。『どこにも行けない──どこへ行けばわからないのにただ漠然と広い世界に憧れる雛鳥なんだ』、と。だから分かるんです。アナタもわたしと同じ、自分自身を知りたいのだと」

「……本当に、楽毅がくき姉さんにはかなわないなぁ」


 すいはそう言って苦笑した。


「私が過去の記憶を喪失なくし、両親すらも思い出せないことは以前お伝えした通りです。記憶なんて無くてもいい。これから先のことだけを考えて生きていけばいい。何度も何度もそう自分に言い聞かせてきました。ですが──」


 すいはそっと目を伏せ、


「これまで家族というものに触れ、家族として扱っていただける喜びを感じる度に、私の本当の両親や 喪失うしなった記憶がどうしても頭をもたげるのです。本当の私は誰? 本当の私はどんなコなの? そう考える度に、私は不完全なんだ、って思い知らされるんです。記憶を埋めない限り──本当の自分を知らない限り私は前には進めないんです。だから、私はよう商会に戻りたい。いろいろな所を廻っていろいろな話を聞けば、もしかしたら私を知っている人に出逢えるかもしれないから……」


 思いのすべてを吐露する。


 それでもここに居てほしい──

 これまで家族同然に過ごしてきた三人はそう思った。しかし、自分自身を知りたいと心から願う少女を、これ以上引き留めることは出来ないと悟った。


「アナタがそこまで思っているのでしたら、わたしはそれを応援します」


 三人を代表するように、楽毅がくきは言った。


「許してくれるのですか? 自分から居させてほしいと頼んでおきながら、今度は戻りたいなんて言うこんなワガママな私を」


 楽毅がくきはコクリとうなずき、


「記憶が戻って本当のご家族に会うことが叶ったとしても。それでも、わたしたちはアナタの帰りを待っていますから」


 そのまま彼女を抱き締め、母のごとく慈愛に満ちた言葉をかけた。


「こんな私を……また迎え入れてくださるのですか?」

「アナタがそれを望むのなら」


 すいの言葉に、楽毅がくきは笑顔で答えた。

 すいが顔を見上げると、楽乗がくじょう楽間がくかんも笑みを浮かべてコクりとうなずいた。


「ありがとうございます。為すべきことを終えたなら、必ず帰ってきます!」


 すいはそう言って破顔し、まるで幼子のように声を上げて泣いた。


 楽毅がくきも──

 楽乗がくじょうも──

 楽間がくかんも──

 声の限り泣いた。



 こうしてすい楽毅がくきたちの元を離れ、とは真逆のせいへのみちを行く。


 三人となった楽毅がくきたち一行は、止め処無くあふれ来る哀しみをこらえながら、の国都・大梁たいりょうへと続く寂寥せきりょうの広野を歩んで行った。


 ──ねえ、齋和さいか。わたし、少しは変われたのかな?


 楽毅がくきあお双眸そうぼうそらに向けて問うた。


 青い、ただひたすら塗りたくったような青い色彩は昨日と同じ。

 いや、違う。

 まったく同じそらなど、無い。

 ときはいつも廻り、廻るもの。

 人はいつか巡り、巡るもの。

 奇しきえにしの糸は、常盤ときわに歴史を紡ぐものなのだから──

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