馬車が門を通り、屋敷の前に停まる。
御者が馬車の扉を開け、中からリヒャルトが現れた。
自宅にいる時と違い、その凛とした佇まいには気品のようなものが感じられる。
アルトゥルは、やはり貴族なのだなと父のことを見直した。
次に降りてくるのはタンクレートだった。
目が合ったので、アルトゥルは胸に手を当てて頭を下げた。
ツィリーナ、エリーザベトと続く。
「ホーエンドフト准男爵とその家族の皆様方、本日はお忙しい中ご出席していただき、感謝の念が絶えません。ありがとうございます」
アルトゥルはそう言って頭を下げた。
家族に対してこのような畏まった口調で何かを言うのは変な感じで、ついついいつもの口調で話してしまいそうになるが、こればかりは気を付けるしかない。
「これはこれは。プラチナランクへの昇格、おめでとうございます。私こそ、高名な冒険者になられたディータ殿にお会いできる日を楽しみにしておりました。此度はパーティへのご招待、誠にありがとうございます」
リヒャルトも頭を下げ、握手を求めるように手を差し出した。
アルトゥルは迷うことなくその手を握る。
普段、書き仕事ばかりしているその利き手にはペンだこがあり、働く父親の手だと感じた。
「ホーエンドフト准男爵はなんでも考古学についてお詳しいとか。是非ご教授願いたいものです」
「ほう、ディータ殿も考古学に興味がおありで?」
「ええ。といっても私が調べているのはもっぱら天使と魔王についての伝承ですがね。御伽噺と思われる話ですが、世界を廻ってみると、同時期に似たような伝承が各地に残っていることがわかり、これがまた興味深いのですよ」
「なるほど。実は現在、私も古代では当たり前とされていた魔法の消失について研究していましてね。天使と魔王の話が御伽噺と言われる所以は、天使が使用した魔法が現在では不可能な類の魔法だからなのですが、しかし古代人はその魔法を当たり前のように使いこなしていた可能性があるのです」
「そのような研究をなさっているのですか」
それはアルトゥルも初耳だった。
最近は辻斬り犯を探すことと、パーティの準備が忙しく、リヒャルトが仕事をしている時間、家にいることが少なかったからだ。
そして、魔法に関しては心当たりがあった。
例えば、飛翔という魔法。これは風魔法の中でも初期の魔法で、風の魔法を得意とする者なら誰もが使えた。しかし、現在は何故か高位の風魔法という扱いを受けている。
飛翔だけではない。
いくつかの種類の魔法が従来よりも高位の魔法という位置付けになっていたり、中には誰も再現できずにいる魔法すらある。
原因はわからないままだったので、千年もあれば変わるのかと勝手に納得していた。
アルトゥルが考え込んでいると、視線を感じた。
エリーザベトだった。
アルトゥルのことを睨みつけている。
玄関で立ち話をして中に入れないことを怒っているのだろうと思ったアルトゥルは話を一度切り上げることにした。
「このような場所で立ち話を続けるものではありませんね。皆様どうぞ中にお入りください」
アルトゥルはそう言って笑みを浮かべ、四人を中に案内した。
玄関前のエントランスでは、既にほかのパーティ参加者がそれぞれパーティ用の衣装に着飾って、各々ドリンクを飲んでいる。
「皆様の衣装は私が用意させていただきました。もっとも、ホーエンドフト准男爵のお召し物と比べると質も価格も劣りますが。見たところ、王都はヨーゼン服飾店の意匠の作とお見受けします」
「え……えぇ。ディータ殿は服飾にも見識が深いのですね」
全員分のパーティ用の服を用意していたことに驚いたリヒャルトだったが、服を褒められたとたん、非常にわかりやすく機嫌が良くなる。
パーティの準備をしていたリヒャルトが、何度もアルトゥルに語って聞かせていた自慢の服だからだ。
アルトゥルはその話を参考に、リヒャルトの服よりも高い衣装は用意しなかった。
「それでは皆様、これからパーティ会場にご案内します。ホーエンドフト准男爵はどうぞこちらへ」
※※※
リヒャルトたちはディータの案内で、他の者もメイドたちの案内で二階にあるパーティ会場に案内された。
招待状には立食パーティ形式と書いてあったので、いろいろな料理が並ぶのだろうと期待していたが、そのパーティ会場を見て、誰もが息を飲んだ。
パーティといえば、年に一度教会で開かれる神事に関わるお祭りのことだ。料理もほとんどは普段食べているものと変わらず、酒も麦酒がほとんど。数年に一度、牛を一頭潰して料理が振舞われるが、働けなくなった老牛のため味はパサパサだ。それでもご馳走であることには変わらないのだが、だからこそ彼らは驚いた。
パーティ会場の中央には、子牛の丸焼きが置いてあったのだ。
これから成長していく子牛を使うことは、領民の九割以上が農民であるホーエンドフト准男爵領において一種の禁忌であるが、例外的に許される場合がある。
「ディータ殿、一応確認させていただきますが、これは」
「ええ、ご安心下さい。食用に育てられた牛ですよ。登録証もあります」
農耕用の牛を食べるのは禁忌であるが、最初から食べるために育てられている牛というのなら食べる。
牛を食用に育てている地域は少なくなく、食用の家畜というのも珍しい話ではない。
しかし、問題は牛を食用に育てている牧場が領内にないということだ。
子牛といっても、その重さはかなりのもの。
輸送費だけでもかなりの額になる。
リヒャルトが驚いたのは子牛だけではない。
魚料理として海の魚が並んでいる。
一番近い海まで二千キロも距離があり、領内で魚といったら川や池にいる淡水魚がほとんど。時折、塩漬けの魚が運ばれてくることもあるが、その数は多くない。
その海の魚で作られた料理が数多く並んでいる。
ただ、奇をてらった料理だけではなく、しっかりと領内でパーティなどの祝賀の席で喜ばれる料理もしっかり用意されていた。
リヒャルトはディータのことを、一流の冒険者としか思っていなかったが、しかしこのパーティを見て考えを改めた。
一流の冒険者ではなく、一流の人間なのだと。
似ているようで、その二つの間には大きな違いがある。
(何故、このような人物が――)
聞きたい。
しかし、それを聞くことはリヒャルトには憚られた。
恐ろしかった。
彼がいなくなることが。
彼がいることが。
(私はディータ殿のことを救世主だと思っていた。貧乏だった私の領に恵みをもたらす救いの人物だと……だが、底の見えない彼が、いまは怖い)
ここに集まっている者は果たしてディータのことをどう思っているのだろうか?
「どうぞ、准男爵様」
リヒャルトは差し出された牛肉の盛られている皿を無意識に受け取り、そして絶句した。皿を取り落とさなかったのは奇跡に近い。
なぜなら、彼は一瞬にして心を奪われたからだ。
牛肉を差し出した一人の女性に。
竜人なのだろう、赤い髪に隠れているが、小さな角のようなものが二本生えているのがわかる。竜の末裔であると俄かに語られる彼らの外見は人間よりも美しいとされるが、彼女はその比ではない。
他のメイドもそれぞれがとても魅力的な女性だったが、彼女だけは別格だ。
まるで神話の世界から舞い降りた女神のような神々しさがあった。
「失礼、あなたはもしやディータ殿の――」
メイド服を着ていることなど関係ない。
彼女こそ、ディータの妻であろう――彼はそう思った。
しかし、リヒャルトの考えを読んだかのように彼女は首を横に振り、
「ご主人様には永遠の忠誠を誓っておりますが、あの方にとって私はただの使用人にしか過ぎないでしょう」
と答えたのだ。このような美しい女性にここまで想われておきながら、妻でも側室でもなく使用人としか扱わないという話を聞き、リヒャルトは男としても負けた気がした。
「父上――」
タンクレートに声を掛けられ、リヒャルトはようやく落ち着きを取り戻した。
「ああ……私は彼のことを利用しようと思っていた。しかし、いまはそのような考えを持っていた自分が愚かでしかない。タンクレート、お前が私の跡を継ぐことになってもこれだけは覚えておけ。本物の天才というのは凡人には敵わない」
「はい。まぁ、勝手に天才の恩恵に預かれる間は喜んで預かっておきましょう」
「そうだな」
下手に恐れても仕方のないことだとリヒャルトは開き直り、渡された牛肉を食べた。
肉汁が口の中に溢れ、脂の中に甘味を感じる。
これほど美味しい肉は食べたことがなく、ここに連れて来られなかったアルトゥルに申し訳と思った。
ツィリーナは知り合いの女性と談話をしている。
彼女はもうこの肉を食べたのだろうか? まだなら持っていってあげようかと思っていたその時、ディータに声をかけられた。
「お楽しみいただいておりますか、准男爵殿」
「ええ、勿論です。これほどの料理、食べたことがありません。なにより酒がいい」
本当はまだ酒を一滴も飲んでいなかったのだが、リヒャルトはそう言って、葡萄酒の注がれたグラスを持ち上げた。
「喜んでもらえて幸いです。よかったら後ほどワインセラーにご案内させますから、好きなものを持ち帰りください。私は生憎と酒は苦手なもので、持っていても無駄にしてしまうだけです」
「まだ十三歳なら仕方ありませんよ。私も酒の喜びを知ったのは二十歳を超えてからです」
「それなら嬉しいのですがね。ところで――」
とデイータは周囲を見回した。
何かを探しているようだが、見つからないようだ。
「なにかお探しで?」
「エリーザベト様はご一緒ではないのでしょうか?」
「エリー? そう言えば……」
リヒャルトが周囲を見回してもエリーザベトの姿はどこにも見つからなかった。
もう九歳だし迷子になっているとは思えなかったが、しかし広い屋敷だから心配だ。
「エリーがどうかなさったのですか?」
「いえ。今日が誕生日だと伺ったので、後でこっそりケーキを用意しているのですよ」
「なんと、それは喜びます」
本当にどこまでも気遣いのできる御仁だ。
リヒャルトはそう思った。
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