プランディラがホーエンドフト家を去ったその日の午後、アルトゥルとエリーザベトは冒険者ギルドに訪れていた。
「はい、これでエリーザベト様の冒険者仮登録が終了しました。こちらが仮登録の木札になります」
マルシャはそれをエリーザベトに渡そうとするが、彼女は受け取ろうとしない。
何故なのだろうとアルトゥルが思っていると、エリーザベトが彼を睨みつけた。
アルトゥルはすぐにその理由に気付き、彼女の代わりに木札を受け取る。
そして言った。
「エリー義姉さん。これ、僕からの八歳の誕生祝です。どうぞお納めください」
今日はエリーザベトの誕生日だった。
彼女が、アルトゥルから直接貰わないと意味がないとリヒャルトに言ったのは、彼からプレゼントをもらいたかったからだ。
しかし、エリーザベトは不機嫌になった。
「そうじゃないでしょ、アルト」
「え? 違うのですか?」
「違うわよ。私の誕生日は間違っていないけど、もっと大切なことがあるでしょ?」
「もっと大切なこと……」
アルトゥルはいくら考えてもわからなかった。
誕生日以上に大切なことと言われても見当もつかない。
「一年前の今日よ。本当に覚えてないの?」
さっきまで怒っていたのに、今度は泣きそうな顔でエリーザベトは尋ねた。
一年前の今日、つまりはエリーザベトの七歳の誕生日。
彼女はその日の洗礼式で聖魔錬金術という職業になった。その日のうちにリヒャルトがエリーザベトの実家を訪問し、彼女は本家の養女となった。
「あ、引っ越し記念日ですか?」
「違うわよ! 私がアルトの義姉になった特別な日でしょ!」
「え? そっち?」
「そっちってなによ」
「あ……すみません。でも、義姉さんが義姉さんなのは僕にとって日常というか、特別な感じがあまりしなかったので」
「もう、アルトは女心を少しは学びなさい! そんなんじゃプランに逃げられるわよ」
エリーザベトは恥ずかしいのか、顔を真っ赤にしてアルトゥルから冒険者カードの木札を奪い取った。
アルトゥルにとって、婚約者に逃げられたのなら、それはそれで別に構わないのだが。
「それじゃ、アルト。早速釣りに行きましょ」
エリーザベトが言ったが、昨日釣り竿を貸してくれたハンスの姿が見当たらなかった。
勝手に釣りにいってもいいのだろうか? と依頼書を見たが、昨日貼ってあった釣りの依頼書もない。
「すみません、エリーザベト様。今日は釣りの依頼はありません」
「え? ないの?」
エリーザベトが残念そうに肩を落とす。
「はい。釣りの依頼は三日に一度しかありませんので。代わりにキノコ採取などの依頼がありますが」
「キノコ採取ね……」
エリーザベトはニヤリと笑みを浮かべた。
それは楽しそうね、と今にも言いそうだ。
「森の中に入るのは危険だよ。義姉さん」
「裏の庭に白いキノコが生えていたの。あれを採取すればいいんじゃないかしら」
「あれは毒キノコだって説明したじゃないか」
「毒消しのポーションと一緒に食べればいいじゃない」
「毒消しポーション一本あれば、キノコがカゴ山盛りに買えるんだよ。そもそも美味しいかどうかもわからないし」
アルトゥルたちのやり取りをマルシャは微笑ましく見ていた。
その日は珍しく他の冒険者もいない、平和な日常だったから。
だが、その日常もそれまでだった。
「大変だ! モーランド伯爵家の馬車が襲われたらしい!」
そう言って男が駆け込んできた。
その男がいうには、三時間ほど前、横倒しになった馬車と護衛と思われる者たちの剣で斬られている死体を見つけ、さらに離れた場所でヨハンという名前の護衛の男を発見したらしい。
その男はうわ言のように「お嬢様、お逃げ下さい」と言っていて、男はいまも重傷でまともに喋られる状態でないそうだ。
「それで、プランは! プランは無事なのっ!?」
エリーザベトが叫んだ。
「なんだ、この子供は」
「私はプランディラ・モーランドの友達! ねぇ、プランは無事なのっ!?」
「いや、そこまでは……」
男がそう言うと、エリーザベトはギルドから飛び出そうとしたが、その腕をアルトゥルが掴む。
「義姉さん、なにをするんだ!」
「私がプランを探すのよ! だって、友達だもの!」
「ダメだ! この時間ならもう大人の人が探しにいっている。冷静になってよ。義姉さんはそれよりお父様に報告を! 僕はヨハンという人のところに話を聞きに――」
次の瞬間、乾いた音が響いた。
エリーザベトがアルトゥルの頬を叩いたのだ。
「なんであなたは冷静でいられるのよっ! 確かにアルトの言っていることは正しいわ! でも、友達が、あなたにとっては婚約者が死んじゃうかもしれないのよ! なんで……なんでアルトはそんなに冷静でいられるの!」
エリーザベトはそう言ってその場で泣き崩れた。
アルトゥルは彼女に背を向ける。
「すみません、誰でもいいので、彼女をホーエンドフト家の屋敷まで連れて行ってあげてください」
そう言い残し、アルトゥルは冒険者ギルドを出た。
(なんで冷静でいられるか……か)
叩かれた頬は全然痛くない。ただ、エリーザベトの手に込められた熱は痛いほどに伝わってくる。
もしも自分がディータだったらと考える。
誰がプランディラを襲ったのか?
貴族たちの裏工作か盗賊の仕業か。盗賊の仕業にしても、略取か強盗か。しかし、商人の馬車が通ったということは、既に犯人はその場にいないのだろう。
プランディラが犯人によって攫われているとしたら、犯人側からの要求なり声明が出るはずで、家で待っているのが得策だ。その方がすぐに動ける。
「ああ、やっぱり僕はディータじゃない……やっぱりただの子供なんだ」
なぜなら、彼は冷静に考えながらも、合理的に動くことができなくなっている。
「きっと義姉さんの洗脳だよ……千年以上もの間に構築された性格を簡単に打ち砕くなんて、とんでもない人だ」
アルトゥルは次の瞬間に、転移魔法を使って町の外にいた。
魔法によって土がアルトゥルを包み込み、その姿は一瞬にしてディータのものになる。
「待っていてプランディラ」
彼はそう言うと、空へと飛んだ。
宿場町、馬車を発見された時間などを考えると、プランディラが襲われた場所の見当はつけられる。
暫く進むと、馬に乗って進む男たちの姿が見えた。
ホーエンドフト家の分家の人間たちで、街の警備をしている者たちの馬だ。アルトゥルとは遠い親戚にあたる。どうやら目指すのはこの先で間違いないようだ――と彼は魔法で姿を消し、さらに速度を上げた。
「見つけたっ!」
横倒しになっている馬車と、その周りの人陰が見えた。
盗賊風の姿をしている背の低い、ゴブリンのような顔の男だった。
アルトゥルはその男の前に降り、剣を抜いた。
「そこでなにをしている」
「なんだ、坊主には関係ないだろ。これは俺が見つけた獲物だ」
邪魔をするなと言わんばかりの男だった。
こいつは犯人ではない、十中八九死体荒らしだなと思った。
戦場に現れては、死体から服や鎧、剣などを奪って去っていく連中のことだ。そういう奴はいつの時代にもいて、死者の名誉を汚す者と忌み嫌われた。
アルトゥルは死体を見た。
間違いなく、プランディラが雇っていた護衛だ。
そして、近くには、セバスチャンの死体もあった。
「おい! このあたりに少女を見なかったか? 七歳くらいの少女だ」
「黙ってろって――」
振り向いた男の前で、アルトゥルは剣を振るった。
剣は真空波を生み出し、近くの岩を切り裂いた。粉々に砕くだけならまだしも、綺麗に切り裂くことができる者は限られている。
そして、それを理解できない男ではなかったらしい。
「み、見ました。森の中で……」
「案内しろ」
「わ、わかりやした、旦那」
アルトゥルは男に案内されて森の奥へと入っていく。
覚悟はしていた。いや、していたつもりだった。
「くっ」
見るも無残な姿となって倒れている彼女を見るまでは。
胃の中のものがこみ上げてくるのを感じながら、アルトゥルは魔法を唱える。
治癒の魔法。
死者を生き返らせることはできない――しかし、残された傷を塞ぐこと、綺麗な状態に戻すことはできる。
「す……すげぇ……」
男が声をあげたが、こんな魔法は全然凄くない。
アルトゥルの一番の望みを叶えることはできないのだから。
「せめて、お前の最後の声を聞かせてくれ、プランディラ――霊魂召喚《サモンズソウル》」
魔法を唱えると、ふわっと光が浮かび上がる。
その光は、目の前に横たわる少女――プランディラへと姿を変えた。
「ゆ、幽霊つ!?」
猿みたいな男がそう言って後ろに後ずさる。
幽霊――その表現は正しいのだろう。
霊魂召喚《サモンズソウル》は死者の魂を呼び寄せる魔法だ。死んで直ぐの状態でしか魔法は発動しない。死後数分で魔法が発動できなかったという記録もあれば、死後数日経っても魔法を発動できたという話もある。
本来は死霊術師にしか使えないはずの珍しい魔法だが、ディータがレベル6666になったときに覚えた。
『ディータ様……』
プランディラがその名を告げる。
「遅くなってすまない……プランディラ」
『いいえ、死ぬ前に……じゃないですね。死んでからでもあなた様にあえてよかったです』
彼女はそういって涙をこぼす。
その涙は光の砂となって消えていった。
「誰にやられたんだ」
『昨日、アルトゥル様と一緒に池で目撃した剣士です』
アルトゥルは「あの男か……」と下唇を噛んだ。もっと警戒するべき、あのときになんらかの対処をするべきだったと後悔する。
『ディータ様……私のことをどう思っているのですか?』
「どうとは?」
『私はディータ様のことをお慕い申し上げています。ディータ様は私のことが好きですか?』
彼女はそう言って、アルトゥルに抱き着いた。
アルトゥルは気付いていた。彼女の本当に気持ちに。
気付いていて、知らぬふりをしていた。
「悪い……俺はプランディラに恋愛感情はない」
アルトゥルがそう言うと、「旦那、そこは嘘でも『はい』と答えるところでしょう」と文句を言ったが、それを無視してさらに続けた。
「だが、プランディラのことは大事に思っている。お前が死ぬことは悲しい。仇は絶対に俺がとってやる」
『嬉しい……嬉しいです、ディータ様……でも、悲しいです。こんなにディータ様の言葉がこんなにも嬉しいのに、それを忘れてしまうのがとても悲しいです。私は忘れたくありません。昨日の夜空のデートも、いま、この瞬間こうしてあなたの傍にいるのも……忘れたくありません、ディータ様……』
そう言う彼女の体は震えていた。
(さようなら、ディータ)
……かつて失った仲間の泣き顔がアルトゥルのなかにフラッシュバックとして蘇る。
「プランディラ……忘れずに済む方法がある。記憶を持ったまま生まれ変わる方法がある」
『え?』
「俺が魔法を唱えれば、お前はその記憶を持ったまま、新しい生命として生き返ることができる。しかし、この魔法は非常にリスクを伴う。本当にプランディラが望むような形で転生できるとは限らない。人間に生まれるとも、女性として生まれるとも確約できない。生まれ変わるのも、今すぐなのか何年後、何十年後、何百年後なのかもわからない。それでも記憶を持ったまま生まれ変わらせることができる――プランディラはそれを望むか?」
『……はい、望みます』
「そうか――なら、俺に任せろ。何年後か、何十年後か、それとも何百年後かはわからないが、きっと俺たちはまた会えるさ」
俺はそう言ってプランディラに笑みを浮かべる。
『はい……必ず私も見つけます。たとえ何年かかっても、あなたが私の太陽として輝く限り、私は翼を広げてあなたの下に飛んでいきます』
「神よ、どうか彼女の魂を導きたまえ――転生っ!」
魔法が発動する。
彼女の体が光となって消えていく。
「また会おう、プランディラ」
『はい、またお会いしましょう、ディータ様』
魔法の効果が切れ、森の中は再び静寂に包まれた。
アルトゥルは空を見上げ、そう言ったのだった。
「……ラックリーナの導きがきっと俺たちを引き合わせてくれる。必ず」
たとえ姿が変われども、必ず巡り合える。
そう信じて、アルトゥルは前に進む。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!