来賓の皆が食後にケーキを食べている。
特大ケーキを用意して、絶対に半分以上余るだろうと予想していたが、この様子だと食べきってしまいそうだ。
この領内では、甘い物といえば果物が基本で、他は時折、行商人が持ってくる蜜菓子くらい。彼らは甘味に飢えていたのかもしれない。
「お気に召しましたか? 准男爵様」
「ええ。以前王都で食べた物より遥かに美味です」
「そう言って貰えると、うちのメイドも喜びます」
「なんと、これは彼女たちが?」
「ええ。料理のプロですから」
選りすぐりの諜報員だけあって、なにをやらせてもそつなくこなす。
もっとも、本物のパティシエには劣るだろうが、しかしアルトゥルはこの日のために最高級のケーキの素材を集めた。
「驚きですな。このまま店をしてほしいくらいです」
「ご希望とあれば、必要な時に作らせますよ?」
「ははは、その時は是非お願いします」
リヒャルトは本気か冗談かわからない感じで笑った。
勿論冗談で言っているのだが、本当に必要な時は用意させるつもりでいる。
「ディータ殿。エリーザベトとは先ほどお会いになったのですね」
「ええ。噴水の前で話しました。とても愉快なお嬢様です」
「少々お転婆で困っていますが、しかし気立てのいい一面もある自慢の娘です」
「そうでしょうね」
アルトゥルが頷いた。
それは彼もよく知っていたからだ。
エリーザベトは自分勝手に振舞っているように見えるが、しかし彼女は誰よりも他人の気持ちに敏感で、とても優しい一面があることを、一番側で見てきたのだから。
だからこそ、リヒャルトもそのことを理解していることが、アルトゥルは嬉しかった。
「どうでしょう? 娘を妻として迎えるつもりはありませんか?」
「ぶっ……ちょっと待ってください、お嬢様はまだ十歳になったばかりでしょう?」
「貴族の婚姻では珍しいことではありません。それにディータ殿は十三歳と伺いました。年も近いでしょう」
「私は平民です」
アルトゥルは理解した。
リヒャルトは、是が非でもディータのことを囲い込もうとしているのだと。
「お嬢様はこの話を――」
「ここに来る途中にしてきました。勿論、話には乗り気でしたよ」
馬車から降りた時不機嫌そうだったのはそういうことか――とアルトゥルは納得した。
絶対乗り気じゃなかったのだろうということは容易に想像できる。
しかし、貴族の責務だと割り切っているのだろう。
ここでアルトゥルが断るのは容易い。しかし、それだとエリーザベトのプライドを傷つけてしまうことになる。
いっそのこと、リヒャルトに全てを打ち明けるかとも思った。
二重生活は疲れるし、ディータの資産をすべて実家に引き渡せば我が家はさらに潤う。
だが、可能ならばアルトゥルの秘密は隠しておきたいと思っていた。
我儘な話だが、アルトゥルにとって家での平穏な時間はなにものにも代えられない、大切なものなのだ。もしも自分の力の秘密を明らかにしてしまった場合、なにもかもが大きく変わってしまう。そんな気がした。
でも、このままエリーザベトと結婚するのも、アルトゥルは困る。
こんな偽者だらけの男と結婚して幸せになれるはずがないと思ったのだ。
どうするのが正解なのか。
「歓談中失礼いたします。実はホーエンドフト准男爵に折り入ってお話したいことがございまして」
そう言って話に割って入ったのはアフェだった。
話の腰を折られたことで、一瞬だけリヒャルトは眉を潜めたが、
「エリーザベト様のことでございます」
そう言うと、聞かざるを得なかったようだ。
アフェに耳元で囁かれ、リヒャルトは複雑そうな難しい表情をした。
「それは本当なのかね?」
「ええ、私の首と旦那様の名誉にかけて」
「そうか……しかし……」
リヒャルトは考えるように顎に手を添えた。
それを待っていたとばかり、今度はアルトゥルにも聞こえるようにアフェは続けた。
「いまの話が本当なら、ディータ殿、今回の件、なかったことにしてもらえないだろうか?」
「え? あ……はい」
いまの話というのが何なのかさっぱりわからないが、しかし婚姻がなかったことになるのなら万々歳だった。
アルトゥルは少し混乱しながらも、頷いた。
「そう言ってもらえると助かるよ」
結局、その後は婚姻の話を出されることはなく、パーティはお開きとなった。
来賓を見送ったあと、アルトゥルはアフェに尋ねた。
「アフェ。准男爵に何を言ったんだ?」
「なに、エリーザベト様には既に好きな方がいらっしゃる。そう申したまでのことです」
「そうなのか?」
アルトゥルはそれを聞いて、少しホッとした。
と同時に、少しだけ寂しくなった。
(エリー義姉さんに好きな人がいたのか。いったいどんな人のことを好きになったんだろ)
好かれた人には、是非義姉を幸せにしてほしい。アルトゥルはそう思った。
※※※
パーティが終わり、自宅についたエリーザベトは、アルトゥルがお土産の料理を見て想像するところを想像した。
きっと喜んでくれるに違いない。
自然とエリーザベトの顔に笑みがこぼれた。
家に入ろうとする彼女をリヒャルトが呼び止めた。
「エリー、ちょっと来なさい」
「……! かしこまりました、お義父様」
エリーザベトはリヒャルトの下に行く。
おそらく、婚約の話だろう。
ディータとは話したいことはすべて話した。
彼の屋敷、使用人、料理、どれをとっても文句のつけようがない。
婚姻相手としては申し分のない相手であり、そして貴族の養女になった以上、望まぬ婚姻が舞い込んでくることはわかっていた。
それが思っていた以上に早かっただけのことだ。
エリーザベトは、行きの馬車の中で決めた覚悟をもう一度決めなおした。
「婚姻の件だが、なかったことにしようと思う」
「何故ですか?」
ホーエンドフト領の発展には、いまやディータの存在は必要不可欠だ。
そのため、リヒャルトは彼との強固なつながりを必要としていた。
婚姻をしない理由がわからない。
婚姻を断られたが、貴族の矜持で、申し出そのものをなかったという体裁をとるつもりなのだろうか?
そして、エリーザベトの質問は、さらなる質問で返された。
それが答えであるかのように。
「エリー。君は馬車の中で、好きな人はいないけれど、お金持ちの人と結婚したい。そう言ったよね?」
「はい、申しました」
リヒャルトが、エリーザベトとディータの婚姻を望んでいることは理解していた。
そのため、エリーザベトは、リヒャルトにとって一番都合のいい答えを用意した。
「本当はアルトのことが好きなのか?」
「……っ!?」
「その表情、間違いないようだ」
それは、エリーザベトが心の奥底に隠していた気持ちだった。誰にも開けられたくない、いや、本当は開けられたかった心の鍵の向こうにある気持ちだった。
その心の鍵が外され、エリーザベトの中から感情が溢れ出す。
「すまない、傍にいながら君のことを全くわかってやれなかった」
リヒャルトはそう言い、エリーザベトの頭に手を置いた。
「プランディラ様が亡くなって一年。急発展を続けるこの領地に、周囲から婚約の申し出が来るころだろう。だが、あの子に無理やり婚約させた挙句、その相手を死なせてしまった咎が私にはある。同じ過ちは繰り返したくない」
「お義父様?」
「成人と同時に、アルトゥルには結婚してもらいたい。遅くとも一年前、十四になるころには婚約を成立させたいと思っている。それまでに、アルトを振り向かせてみなさい。ただし、無理強いはダメだよ」
それを聞いて、エリーザベトの顔が明るくなる。
それは、つまりアルトゥルと結婚してもいいという話なのだから。
エリーザベトの考えでは、アルトゥルは既に自分のことを好きになっている。これは確定事項だった。
「はい! お義父様、大好きです!」
エリーザベトはそう言ってリヒャルトに抱き着いた。
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