年老いた王様が亡くなられ、うら若い少女の姫君が代わりに王国を治めることになった。
城下町の食堂の一人息子フォンドボウは、近所の仲間たちと連れ立って戴冠式をのぞきに行った。
そして、王宮広場に押し寄せた人ごみの中でせいいっぱい背伸びをすると、あつらえたばかりの王冠を頭に載せた新米女王がお城のバルコニーから優雅に手をふっているお姿をひとめ拝見するや、たちまち恋に落ちてしまった。
わずか13歳にして完成された、誇り高く堂々たる所作。
気品にあふれる微笑みは、遠目にもまぶしいほどだった。
「ああ、なんて可愛らしい女王様。オレはもう、女王様のことしか考えられない」
町に帰る道すがら、フォンドボウ少年は、切ないタメ息をつきどおしだった。
「オレは、しがない料理人の息子だけど、どうにか女王様のおそばに近付けないものかなぁ」
そんな彼を、友だちは口々にからかった。
「そんなのムリに決まってらぁ。ミノホドをわきまえろよ、フォンドボウ」
「そうだそうだ。たしかにオマエは、見た目だけは、なかなかどうして、貴族のガキどもも顔負けだが。どうしたって身分は引っくり返せないよ」
「まったくだ。どうしても女王様とお近づきになりたいってんなら、悪魔にでも祈るほかない」
「……もしも、本当に女王様とお近づきになれるんなら、悪魔にタマシイだってくれてやるさ」
と、フォンドボウは、苦しそうに胸をかきむしった。
すると、街路の端の小さな露店の主が、ふいに声をかけてきた。
「坊や。そう軽々しく悪魔のウワサをするもんじゃない」
「なんだと。大きなお世話だろう。アンタはいったい何者なんだ」
「我が名はアルミルス。放浪の易者」
「易者ってことは、占い師か。アルミルスだなんて、妙な名前だなぁ」
「ほう。私の名をたやすく声に出せるのなら、君の恋は本物なのだろう」
「は……?」
「よかろう。君の力になろう」
少し鼻にかかったツヤヤカな低い声でささやくと、放浪の易者アルミルスは、頭からスッポリかぶっていた黒い薄絹のヴェールを貴族的な白い手でスッとはがした。
あらわれたのは、雪華石膏のようにすべらかな白い肌と、まっすぐに長く伸びた暗紅色の髪。
そして、切れ上がったマナジリを持つ目の中に比類なく妖しくきらめく紅玉のような双眸。
世にも稀な深紅の瞳を見てギョッと立ちすくむ少年たちを、美貌の男は面白そうに流し見てから、
「すぐに機会はくるよ。これから君は、ひたすらに料理の腕を磨くことだ」
「ははぁ、さてはアンタ、オレたちの話をハナっから聞いてたんだな。だから、フォンドボウが料理人の息子だって知って、そんなことを」
いちばん年上の少年が、大きく舌打ちをして、
「バカバカしいや。さっさと帰ろうぜ、みんな。日が暮れちまう」
と、ケゲンそうに顔を見合わせている仲間たちをせかした。
黄昏に染まりはじめた石畳の上には、ひとかたまりになった少年たちの影が異様なほど長く大きく伸びていた。
女王の戴冠式から5年後。フォンドボウは19歳になっていた。
城のお抱えの宮廷料理人が亡くなったため、代わりの人材を募集するという告示が城下町をかけめぐった。
フォンドボウの父親は、とても仕事熱心で向上心の強い人物だったから、いまや彼の食堂は町で一番の人気店になっていた。
それで、トントン拍子に宮廷料理人を命じられると、息子のフォンドボウも、たった一人の身内である父親につき従って一緒にお城で暮らせることとなった。
グルメな女王様は、フォンドボウの父親の料理をいたくお気に召した。
ゆえに、城中でのフォンドボウ親子の立場も安泰といえた。
フォンドボウは有頂天だったが、しかし、せっかく女王様と「同じ屋根の下」で過ごせるようになったとて、お顔をあわせる機会は得られなかった。
「どうしたものかなぁ」
もどかしく地団太を踏みながらも、フォンドボウは、使用人のためにあてがわれた城の一角の居室で、日当たりの一番いいスペースに置いた姿見をあきることなくのぞきこんで、身だしなみに余念がなかった。
いつか女王と謁見の機会が叶った瞬間のために。
その瞬間のためだけに、毎日ケナゲに、鏡にうつる自分の姿を何時間でも丹念に見つめた。
いつでも完璧に自分を磨きあげておくためには、朝・昼・晩とミルク風呂につかり、全身にマッサージをほどこし、うら若いメイドをかわるがわる居室に招き入れては、ハヤリのダンスの相手をつきあわせて、優雅で品のいいステップを身につけることにも余念がなかった。
こうして、さらに1年後。
フォンドボウの父親が、急逝した。
フォンドボウの父親の料理をたいそう愛していた女王は、それはもうガッカリなさった。
そこで、側近の一人がしずしずと女王に歩み寄り、
「息子のフォンドボウを、新しい宮廷料理人としてお引き立てになってみては?」
と、……少し鼻にかかった甘美な低い声で……、そっと耳打ちした。
――なるほど、息子であれば、父親のレシピと腕前をきっと受け継いでいるに違いない。
女王はうなずき、ただちにフォンドボウを料理人に召し抱えるよう命じた。
フォンドボウは、夢見心地になると同時に、とてもあせった。
なにしろ、城で暮らすようになってから一度も、包丁やナベに触れてすらいない。
ひたすら自分の容姿とタチイフルマイを磨くことに専念してきたからだ。
とはいえ、三つ子のタマシイ百まで。
城にあがる以前は、食堂で忙しく腕をふるう父親に素直にあこがれ、幼いころから厨房の手伝いをよくしたものだ。
末は宮廷料理人……と、あの頃は、他意なく純粋に夢見てさえいたのだ。
だから、まあ、食材を吟味したり、切ったり焼いたり煮たりする程度の腕前は、そんじょそこいらのメイドよりは、よほど板についている。
――案ずるより、産むがやすしだ。
ハラをくくったフォンドボウは、すっかりサマになった優雅な足どりで厨房に向かうと、踊るようなシグサで大ナベをふるった。
こうして、こしらえたばかりの晩餐を銀の盆にうやうやしく掲げながら、フォンドボウは、ついに女王の食卓に念願のお目通りがかなった。
フォンドボウは、浮かれていた。
あの戴冠式の日以来、自分が城にあがってからも、その御尊顔をひとめたりとも見ることはかなわなかったのだから。
夢にまで描き続けた女王様のお姿は、夢に見たよりもはるかに美しく華麗だった。
均整の取れた体躯に高貴な青いドレスをまとい、当節のハヤリの格好に結い上げた豊かな金色の髪と、豊満な胸元に、豪奢なエメラルドの飾りがいくつも並んで光っていた。
だが、ムキタテのゆでたまごのようなナメラカな白皙に大きく輝く双眸は、大粒のエメラルドよりも鮮やかに色濃く、フォンドボウの心を射抜いた。
フォンドボウは、女王への恋しさのあまり小刻みに震えながら、食卓に銀盆を置いた。
気高く誇り高い女王は、新参の料理人の浮き足だった所作にも表情ひとつ変えなかったが、できたてのシチューをひとくち銀のスプーンですするなり、うるわしい柳眉を不審げにひそめた。
「なんなの、これ。前の料理人のレシピと全然ちがうわ」
側近たちは、あわてふためいた。
「どういうことだ、フォンドボウ。釈明をいたせ」
「も、も、申し訳ございません! 恐れながら、女王陛下……」
フォンドボウは、脳天からカナヅチを落とされたようなショックを受けながら、
「わたくしめの料理を陛下にお召し上がりいただくという身に余る栄誉をちょうだいし、それはもう天にも昇るココロモチで、すっかり気が動転してしまいまして」
と、その場にひれ伏し、床にヒタイをこすりつけ、
「父から受け継いだ秘伝のレシピを、すっかりド忘れするほどだったのでございます」
ガタガタと震える料理人の背中を女王は見下ろし、あざわらうように目を細めた。
「オマエは、料理の腕より、口のほうが達者のようねぇ」
「ははっ、恐れ入りまする」
「本来ならば、即刻クビにするところだけれど」
「…………!」
「もう一度だけチャンスをあげましょう。明日の晩餐には、きっと、わたしの舌を満足させてごらんなさい。さもなくば、国外追放よ」
そう言い捨てると女王は、手にしていたスプーンを皿の中に放り落とすなり、真っ白いナプキンでクチビルをグイグイぬぐった。
フォンドボウは、ガックリ肩を落としながら、トボトボ厨房に戻った。
ひょっとしたら、貴族の子弟がうらやむほどに磨きあげた美貌が女王様のおメガネにかない、伴侶とまではいわずとも、愛人の末席くらいには置いてもらえるのでは……などという浅ましいシタゴコロが、ほんの少しばかり彼にはあった。
つい、先刻までは。
だが、そんなバカげた思惑は、女王の冷ややかな瞳にあたって凍りつき、一瞬で吹き飛ばされた。
気高く誇り高い女王様にかぎって、そんなくだらない色ジカケに惑わされるはずがなかったのだ。
フォンドボウは、自分の愚かさに、ひとしきり泣いた。
それから、幼いころの記憶を頼りに、父の秘伝のシチューのレシピを必死に思い出しながら、食糧庫をあさった。
ありったけのナベに、さまざまな食材とスパイスをそれぞれに調合して煮込むのだ。
父親のレシピが再現できなかったら、国を追われる身となってしまう。
なによりツラく悲しいことは、女王様のおそばを離れねばならなくなることだ。
――そんなことになるくらいなら、死んだ方がマシだ。
フォンドボウの恋心は、女王様とじきじきに会ったことによって、ますます悩ましく燃えあがっていたのだ。
フォンドボウは、一睡もせずに料理に没頭した。
モウロウとする頭の片隅に、ふっと少年時代の思い出がよぎった。
女王の戴冠式の帰り道で、妖しげな異国の占い師に呼び止められた、あの場面だ。
――ルビーのような目をしたあの美しい男は、オレになんと言ったんだっけ?
それを最初から覚えていたならば、愛しい女王の胃袋を懐柔することは今頃たやすかったはずだが。
こうなっては今さら、思い出せないことが幸いだろう。
できあがったナベの中身を味見しては捨てて、また別の食材と調味料を調合して火にかける。
それを何度も何度もくりかえしているうちに、夜が明け、朝がきて、昼がすぎた。
フォンドボウは、全身にビッショリと汗をかきながら必死でナベをかきまわしているうちに、ひとりでに亡き父に思いをはせた。
――父も、こんなふうに汗だくになって、この厨房を切りまわしていたのだろうか。
真面目で勤勉な父は、城の料理人になってからは、しょっちゅう手足に包帯を巻いていた。
包丁でウッカリ指を切っただとか、熱した油が跳ね飛んでヤケドをしただとか。
そんな言い訳をよく聞いた。
下町の食堂とはワケが違う。女王の料理番となってからは、鬼気迫るほどに料理に情熱をそそいでいた。
おかげで、料理の腕を磨く以外のことには、まったく注意力が散漫になってしまっていたようで。
そのせいで、ちょっとした事故を繰り返していたらしい。
月日を重ねるごとにその傾向は強くなり、ついに最期の日、惨劇が起こった。
父は、巨大な粉ひき機の中に誤って転げ落ち、全身の血を押し出されて亡くなったのだった。
ロウビキしたサラシ布でぐるぐる巻きに覆われ、生前よりひとまわり小さいカタマリになってヒツギにおさめられた父の遺体を脳裏に思い出し、フォンドボウは、軽いメマイをおぼえた。
「うっ!」
とたんに、左手から真っ赤な血が噴き出した。
ぼんやりしたせいで、包丁の刃を指に滑らせてしまったのだ。
「しまった……!」
あわてて前掛けで左手をくるんだが、白い麻布にみるみる血が沁みでてくる。
傷は、そうとう深いようだ。
こんな状態では、もはやマトモに料理をつづけられそうにない。
――約束の晩餐まで、もう時間がないというのに……。
フォンドボウは、血の気を失った真っ青な顔に幽鬼のような凄絶な表情をうかべて、グツグツと煮えるナベの中をじっと見つめた。
そして、運命の晩餐の時を迎えた。
それは、だれの予想にも反して大成功だった。
「ああ、素晴らしいわ、フォンドボウ。スパイスは、少しばかりキツすぎるけれど……」
とろけるような恍惚とした微笑みを浮かべながら、女王様は、夢中でシチューをすすった。
「このウサギの肉は、オマエの父親が目利きしたのより、ずっとジューシーで風味がいいわ!」
フォンドボウは、包帯で覆った左手をさりげなく背中に隠しながら、洗練されたシグサでお辞儀をすると、青ざめた頬を満足げになごませた。
「ええ、それは、もう。父の目利きした肉よりも、ずっと若くて食べごたえのあるウサギですから」
それから、また、1年あまりの月日が流れた。
フォンドボウは、ようやくできあがったばかりの特注の大ナベを、巨大なカマドの火にかけて、たっぷりの煮汁をグツグツとわきたたせた。
それから、片腕と片足しか残っていない体で、ナベのフチに引っ掛けたハシゴにスガリつき、どうにかテッペンまで登りつめると、
「愛しい、愛しい女王様。これでオレは、永遠にアナタのおそばに……」
そうウットリとつぶやきざま、煮えたぎるシチューの中に身を投げた。
第一幕「残酷な女王の食卓」END
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