〈スノーホワイト号〉の舷窓からも、これから訪れるコロニー、〈メルート〉が見えてきた。円柱状の軸に輪っかの回る形は対して珍しくもない典型的なコロニーの形だが、外壁には見るに耐えない落書きで埋め尽くされていた。どこかのバカが作業用アークメイルを用いて、わざわざ描いたのだろう。
「なにが、fuck youですか、馬鹿らしい……」
ヒノマルは落書きの一つに文句をつけた。
今では人が人を殺しても、それを咎めるだけの秩序が崩壊している時代だ。落書きのフレーズの中にも、他者に対し悪意を向けたフレーズが多く残されている。アートの体裁こそとっているが、描いた人間は芸術家気取りの、チンピラ崩れなのだろう。死神を自称し殺しを求める男より幾分かマシだが、ヒノマルにとっては大差の、ないものだ。
「絶対やめた方がいいだろ……こんなコロニー、絶対に面倒ごとに巻き込まれるに決まってる」
隣でコロニーの外観を眺めたヘイは、今からでもタイガージャンクの元に引き返すべきだとブツブツ文句を垂れている。
「もう遅いですよ。船のエターナルリアクターの方だってそろそろ整備しないと……」
ヒノマルは半ば諦めたような様子でぼやき続けた。
「それに、シェルチーカよりマシですよ」
「シェルチーカって言うとお前の故郷か……」
「故郷なんて言葉が似合う場所でもないですけどね。シェルチーカの壁はもっと酷いんです」
「もっと酷い……これより下手な落書きだらけとか?」
違いますよ、とヒノマルは返す。シェルチーカの壁には落書きひとつないのだ。
「落書きをする用のスプレーを買う金がないんです。金が手元に入って来れば武器を買わなきゃ生き残れないし、嗜好品はドラックくらいでしたから。あそこの壁には落書きひとつない代わりに弾痕が無数に空いていて、炊いた薬の臭いがこびり付いてやがる……」
ヒノマルの目が細まる。暗く鋭い瞳は、シェルチーカでの荒んだ日々を忘れられない。
「こーらー、二人とも何暗い話してるのさ!」
艦橋にいるはずのセレナが二人の肩を叩いた。船のコントロールをバニーちゃんに任せた今、彼女は暇らしい。彼女は二人の眉間に両方の人差し指を押し当て、そこに刻まれた気難しそうな皺をグッと伸ばす。
「二人とも忘れた? ラビット運送の社訓は、どんな星やコロニーに行くときも笑顔を絶やさず、でしょ?」
「は? そんなもん、いつ決めた」
「初耳なんですが……」
二人の反応も当然だ。そんな社訓、ラビット運送には存在しない。セレナが今思いついたので言ってみただけだったりする。
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〈メルート〉の来船受付用のゲートが開いた。
常用艦用に用意されたゲートでは〈スノーホワイト号〉の船体がギリギリ通り切らないので、コロニー裏に用意された大型艦用のゲートまで遠回りして入艦の手続きを済ませた。逆にこっちのゲートは〈スノーホワイト号〉には大きすぎる入口なので、どうにも不相応な絵面になってしまった。
ゲートを潜れば、そこは戦艦を留めるためのハンガーになっていた。辺りを見渡せば、大小様々な船がハンガーのアームに固定され整備を受けている。コロニーのゲートを抜けた先ではよく見られる光景だ。
コロニーの入艦料金には、ハンガー内の設備を使用する料金や燃料代が含まれている。この料金は治安の悪いコロニー程高くなる傾向にあり、〈メルート〉もその例外に漏れることなく明らかに法外な値段だった。
本来要らぬはずの出費をしてしまったヘイの機嫌は露骨に悪くなる。
「いいじゃん、今回の仕事さえ終えちゃえば、報酬で潤っちゃうんだし。というか、それだけあれば私たち大金持ちじゃん!」
「セレ姐、前は俺らにお金で動くような人になって欲しくないとか言ってませんでしたっけ……」
「へなちょこ艦長が珍しく真っ当なことを言ったと思ったんだが……」
金に汚い笑みを浮かべていたセレナに二人の刺すような視線がセレナに降り注ぐ。口笛を吹いて誤魔化してもみたが、二人の視線の鋭さが増すだけだった。あげた株を容赦なく急下落させるのも、セレナの残念なお得意技の一つである。
「むー……それはそれというか……これはこれって奴よ! 私たちはしがない運送屋、されどこの宇宙を生き残るためには清廉潔白ではいられない。霞んだ廃色が私たちにはお似合いなのよ!」
セレナは声色高々に宣言するが、ヒノマル達はしっかり覚えている。ラビット運送の名前の由来は、雪兎のように汚れなき白色で、宇宙を飛び回っていこう(セレナ案)だったことを忘れていないのだ。ラビット運送は殺し以外のことはいくらでもやってきたのも事実なので、これ以上そのことを言及するのを二人も諦めたが、セレナの方はぶつぶつ〈スノーホワイト号〉から〈スノーシルバー号〉に艦名を変えるべきか否かを真剣に考え始めていた。
「ねぇ、二人とも。もしかしてだけど、シルバーの方がカッコ良くない?」
「どっちでもいい」
「セレ姐って基本、うちの船のことをウサギちゃん号って呼びますし、関係ないですよ」
「あ、それもそうか」
そんな話をしていると、コロニー側から通路パイプが船体に接続された。これで艦内とコロニーを自由に行き来することができるようになる。
「んじゃ、行くかヒノマル」
「ですね」
ブラックマーケットのような商品に信用が置けない場所へ出向くときは、メカニックであるヘイの目だけが頼りだった。ヘイを護衛する役割りから、ヒノマルも同行することになる。
いつもなら、ここでセレナが「私も行く!」とワガママを言うところだ。なのに、今日のセレナはすんなり二人を送り出すだけで、自分も行くと言い出す気配がない。
「あの……今日のセレ姐は一緒来るとか言い出さないんですか?」
トラブルメーカーのセレナが大人しく留守番をしていてくれるのは素直にありがたいが、それ以上に怖いものがあった。明日は雨の代わりに、ブラックホールと遭遇するなんてことも普通に有り得そうだ。
「ほら、私はマニュアル通りにエターナルリアクターの燃料補給をしないといけないからね」
「それは助かるが変なとこは触るなよ……お願いだから、前みたいにエターナルリアクターの周りに永久鉱の石液をぶちまけないでくれ」
既にセレナには前科があった。ヘイは釘を刺すつもりが、後半はほぼ懇願するような声になっていた。以前にセレナがエターナルリアクター周りの整備をやりたいと聞かないものだから、軽い気持ちでやらせてみたが、その時に起こってしまった大惨事はヘイの中でセレナにまつわるトラウマの一つだ。
セレナを危険なブラックマーケットに連れて行くのも危ういが、セレナを監視なしで船に残しておくのも充分危うい。一応、船にはバニーちゃんとリオも残っているが、彼女達にセレナの暴走を止めさせるのは荷が重すぎる?
「もー! 二人とも心配しすぎ! 私をなんだと思ってるのよ!」
「トラブルメーカー……いや、トラブルクリエイターですかね……」
「生ける人災。艦長っていう立場を何やらかしても許される階級か何かと勘違いしてる天性のバカ」
二人の罵倒からは日頃の苦労が滲み出ている。
二人はセレナに拾われた身。ヒノマルに関しては、セレナのことをセレ姐と慕う程、彼女を尊敬しているはずだ。それなのに、この言われ様である。
「ば、バニーちゃんは!」
『お呼びでしょうか、マイマスター?』
「バニーちゃんは私のことをどう思ってるのか?」
「難しい質問ですね……強いて答えを出すのなら、私がいないと何もできない人」
バニーちゃんの演算によって導き出された一片の悪意もない罵倒は、セレナのプライドをノックアウトするには充分なものだった。
三人による精神攻撃をまともに受けたセレナはその場に撃沈する。
「はぁ……行くぞ、ヒノマル。セレナが船で何かをやらかす前に俺らが戻ってくる。それでいいだろ」
「そうですね……セレ姐、すぐ帰ってきますから」
二人は倒れたセレナに不安を抱きつつも、足早にブラックマーケットへ向かうのだった。
ここまでの読了、そして本作を手に取ってくれた事に感謝を。ラビット運送、クルー一同、喜ばしい限りです。
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Thank you for you! Sea you again!
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