〈スノーラビット号〉は足早にアイスバックを撤退した。セレナの勘が、あの星はダメだとアラートを鳴らした。それに依頼人らしき少女を保護した以上、あんな極寒の星に留まる理由もない。
胸をドリルで貫かれ、中破した〈天兎〉は整備ハンガーへ。ヒノマルが拾ってきたあの少女は医療室に。そして、ヒノマル自身も少女に潰された手を治すために、自室で安静にしているようセレナに言い渡された。
だが、ヒノマルはこっそり自室を抜け出していた。
ヘイが工具一式を持って〈天兎〉を見上げる。
「ったく、ヒノマルの野郎……また壊しやがって」
目につくのは、やはりドリルで開けられた穴だ。ドリルはコックピットにたどり着く寸前まで捩じ込まれていた。
各部の関節にもかなりの負荷が掛かっている。ヒノマル本人は丁寧に操縦していると言うのだが、ヘイからすれば酷いものだ。出撃すれば毎度機体の何処かを壊してくる。
「一回バラして、壊れたパーツを予備に換装。足りない分はタイガーさんのとこで取り寄せるか……けど、セレナは嫌がるだろうしな」
タイガージャンクはその名の通り、アークメイルや宇宙船のジャンクパーツを取り扱っている虎のロゴマークが目印の部品屋だ。そこのオーナーと、セレナはすこぶる仲が悪い。あの二人が顔を合わせると、ただでさえ面倒なセレナが余計な面倒を起こすので、ラビット運送もできればタイガージャンクには頼りたくなかった。しかし、背に腹は代えられない。
「バニーちゃん、今から足りないパーツのリストを作るから、記録を頼む」
『承りました。ですが、ヘイ様。コックピットの方にヒノマル様の反応が』
「なに?」
バニーちゃんの探知に間違えはない。ヘイがコックピットの天蓋を開ければ、振り返ったヒノマルと目があった。
「おい、何やってんだ……」
「あ、いえ……」
「セレナに安静にするよう言われたよな?」
「えっと……それは」
見つかってしまったヒノマルが、露骨に視線を逸らした。
これはやましいことをやっているに違えない。ヘイはヒノマルの隠そうとした何かを見逃さない。ヒノマルをシートに押さえつけ、それを取り上げた。
「ん……これって、〈天兎〉の戦闘レコーダーじゃねぇか。なんで、こんなもんを?」
聞けば、ヒノマルは機体のレコーダーに残ってしまった自身の声を消そうとしていたらしい。
「戦ってるうちに、熱くなっちゃって……かなり汚い言葉も使ってしまいました」
「……別にそのくらい良いだろ。ふとした時に暴言が出ちまうなんて、珍しいことじゃねぇよ」
「そうかもですが、セレ姐にバレたくないんですよ。ほら、ウチの規約では、戦闘レコードを常に最高責任者であるセレ姐に提出するって奴があるじゃないですか」
「ふーん……」
ヘイは興味なさげな返事で返した。実際、興味もない答えだからだ。
ヒノマルは自身を拾ってくれたセレナのことを、なんだかんだと言いながらも尊敬している。そんな彼女に対してヒノマルは、シェルチーカのスラムにいた頃から自分はまっとうな人間に変わっている、とでも証明したいのだろう。
「くだらねぇ。言葉遣いなんてどうでもいいだろ。セレナはお前が変わってることなんて、知ってるんだから」
「……そうですかね。人は簡単に変わらないんですよ」
「ふん。お前がそう思いたなら、そう思えばいい」
ヘイの言葉は厳しい物だったが、言葉の真意を読み解けば、厳しさの裏にあるものが視えてくる。
「ヘイさんは全然、変わりませんね」
「あぁ、テメェ、何が言いたい?」
「いえ……失礼しました」
意味深な物言いに、少しカチンときたヘイはヒノマルを睨みつける。目つきの悪さならヒノマルに軍配が上がるのだが、迫力ならヘイの圧勝だった。
〈スノーラビット号〉には救命措置の出来るクルーが乗り合わせていない代わりに、高性能の医療マシンが置かれている。マシン内の薬液が細胞の再生を促進させ、例え切断された肉体だろうと繋げることができる機械だ。
ヒノマルは自室に設置された小型の医療マシンに数分間ほど手を漬け込んだらしく、外から見る分には傷が塞がっているように見える。だが、実際のところ治っているのは見かけだけで、内側は治りきっていなかった。巻かれた包帯には血が滲んでいる。
「はぁ……つか、困るんだよな。コックピットを血で汚されんのも、俺が見る前にレコーダーを消されんのも。何が原因で壊れたか把握しなきゃならねぇから」
「……すいません。なら、せめてセレ姐がレコーダーを確認する前に、音声データだけ改竄してくれませんか」
「おまっ……」
スラム育ちのヒノマルは本人が望まずとも、生きるための狡猾さを持ち合わせてしまう。今回だって、サラッとお願いしてくる辺り、中々の根性の持ち主だ。
言われずとも、ヒノマルの声だけは別な音声に差し替えて置こうと思っていたヘイだったが、こう正面からお願いされると、それがヒノマルの為にならないのでは、とも思ってしまう。
「ハァ……セレナといい、お前といい、ウチの船にはどうして普通のヤツがいねぇんだよ」
ヘイは最近、やたらと溜息をつく頻度が増えてきたと感じた。
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「……」
少女は薄布の患者服のまま薬液の中に浸かっていた。浴槽のような医療マシンに身体を横たわらせている。
その朱色の瞳をぼんやりと開けば、眩しすぎる照明が目に入ってきた。
「うっ……」
少女は光から目を逸らしながら、自身の記憶を遡ってみた。
自分の名前はリオ。研究所から逃げて、そこでビーコンを託されて、銃で撃たれて……そこで記憶が途切れていた。
リオはもう少し、記憶の奥を遡る。他にも覚えている事といえば、直前に託されたパスコード。
他に幾つか、思い出せた記憶もあるのだが、どれも思い出したくないような赤黒く、消毒液の匂いにむせ返ってしまいそうな記憶だ。リオは自身の記憶に蓋をし、思い出したくないことを押さえつけた。
「ふぅん、辛そうな顔で目を覚ましちゃう子なのね」
露系人の女がリオの顔を覗きこんできた。肌はリオと同じくらい白く、目の色は対照的な碧眼の持ち主で、イマイチ似合っていないキャップ帽を被っている。
「私はセレナ! よろしくね」
リオが聞いてもいないのに、セレナは揚々と自己紹介をした。
「えっ……え、と」
戸惑うリオに対して、セレナは彼女の上着を突然脱がす。そして、彼女の小さな膨らみの胸元にそっと手を触れた。
「ふむ……ホントに綺麗に治ってるわね。ヒノマルくんは胸に穴が空いてたなんて言うけど、そんな傷を追ってたら医療マシンでもどうしようもないわ。そもそも、その段階で貴女は死んでるだろうにね」
セレナはリオを隅々まで観察する。白い髪や真っ赤な瞳。筋肉のつき方や指の一本、一本までを神妙な顔で睨んでいた。この場にヘイかヒノマルがいれば事案になるからと、セレナを押さえつけるような観察の仕方だった。もっとも、このご時世に事案なんてものは風化しているようなものなのだが。
「なるほどね……けど、貴女……えっと、ナニちゃんだっけ?」
「名乗るのは命令?」
「そうじゃないけど、出来れば教えて欲しいな」
「……リオ」
「リオちゃんね。では、リオちゃん。いきなり知らない人に体をベタベタ触られたら、まずキャー!! って悲鳴をあげるの。その方が男ウケがいいんだから」
セレナの理屈もわかるのだが、ズレている。リオもその事を感覚的に察したのか、彼女とどう対峙すればいいか分からなくなってしまう。
ペラペラと笑えないトークショーを披露するセレナの声をリオを右耳から入れて、左耳から流してゆく。今はこんな訳の分からない女の相手をするよりも、自身の命令を実行することが彼女の優先順すべき事だった。
「ビーコン……私のビーコン!」
リオは全身に手を当てる。だが、最後まで離さず持っていたはずのビーコンが何処にもない。
「あー、これのことね」
セレナがビーコンを懐から取り出した。それは紛れもなくリオが探していたビーコンだ。
「返せ!」
リオがセレナに掴み掛かった。セレナはさっと後ろに退いて、リオの爪を避けたが、彼女の爪を代わりに受け止めた船の床に彼女の爪が食い込んでいる。
「おっと!? ……はは、ヒノマルくんの腕に指をブッ刺したってのはマジなのね」
「それ、私の。返して!!」
「別にそれは構わないけど、これ私達宛みたいよ」
「……どういう事?」
リオが小首を傾げた。一方でセレナは胸を張る。
「何を隠そう、私は運送屋! ラビット運送所属にして、運送用偽装艦〈スノーホワイト号〉艦長! セレナお姉さんよ!!」
「嘘。貴女に艦長が務まるわけがない」
酷い言われようだった。セレナはムッとした顔で自身の身分証明書を見せつけた。そこには確かに、セレナの自己紹介通りの文言があった。
「……」
「まぁ、信じるも信じないも勝手にしなさいな。私は仕事に支障が出ない限り、どっちでも構わないんだから」
セレナはそっとキャップ帽のツバを低く下げた。
彼女の雰囲気が一気に変わる。リオはそれを別人のようだと感じた。底がない。セレナの青い瞳には何かが深く沈んでいるように見えるのだ。
「リオちゃん、少しこれからの仕事についてお話しましょうか」
ここまでの読了、そして本作を手に取ってくれた事に感謝を。ラビット運送、クルー一同、喜ばしい限りです。
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Thank you for you! Sea you again!
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