「……さん! ヘイさん!! ヘイさん!!」
朦朧とする意識の中、ヘイは誰かに呼び起こされていた。自分のことをヘイさんと呼ぶ人間なんてヒノマルくらいのものだ。
「うっ……」
まだ、脳には甘ったるい感覚が残っていた。それでもヘイは何とか気怠い身体を起こそうとする。倒れた自分のことをトラック回りから戻ってきたヒノマルが見下ろしている。
「あぁ、良かった。無事だったんですね、ヘイさん」
「あー……クソ、まだ頭の中がボヤァってしてやがる。けど、何があったんだ?」
ここが〈メルート〉という治安の悪いコロニーで、自分がヒノマルと共にブラックマーケットまでアークメイルの部品を買いに来た。そこで妙な女性警羅に絡まれて……
ヘイが覚えているのはそこまでだった。
「あ、いや……それが」
ヒノマルが気まずそうに目を逸らした。
「なにがあったか、聞いてるんだが?」
凄んでみたが、ヒノマルの気まずそうな表情に皺が寄るばかりで有益な答えが得られない。
ヘイが痺れを切れしていると、代わりに疑問へと答える人物がいた。
「まぁ、まぁ、華系人の兄ちゃん。あんまり日系人の兄ちゃんを虐めんなよ」
答えたのはヘイとヒノマルに高値で部品を売りつけた、あの老人だった。今は畳んだテントと売れ残りをリアカーに乗せ、マーケットを立ち去ろうとしていたのだろう。そこでヒノマル達を見かけたから、話しかけてきたようだ。
「うへぇ、まだ匂いが残ってぁ」
老人はワザとらしく鼻を摘んで、顔を顰めた。その態度が余計にヘイの神経を逆撫でする。
「おい、干物ジジイ、あんま吹かしてるとマジでただじゃ済まさねぇぞ」
「おぉ、怖い。怖い。けど、兄ちゃん、その様子はどう見てもアリーサの警羅ちゃんにやられたな」
「あ?」
イマイチ、状況の飲み込めないヘイに老人がよく磨かれた鉄板を差し出す。普段老人が鏡代わりに使っているものだ。それを見たヘイは、ヒノマルが気まずそうに目を逸らしていた理由を悟る。
クレジットカードを入れていた上着が綺麗さっぱりなくなり、鏡には自身の痩せ細った身体が映し出されていた。
「兄ちゃん、こんなブラックマーケットであんなに派手な買い物してたら、狙われるに決まってらぁ。兄ちゃんは身包みを剥がされたんだよ」
老人がケラケラと笑っている。ヘイだって、鉄板に映る自分の姿から目を逸らしたかった。だが、目を逸らしたところで自分が身包みを剥がされたという事実は変わるわけでもない。
最初は腹の底に羞恥の感情が芽生え、それが小さく燃える程度だった。
だが、普段はトラブルを起こす立場のセレナを叱っている筈の自分がトラブルを起こしてしまったという気まずさ。ヒノマルと老人の憐れむような視線。何より自分の身包みを剥いだ、あのアリーサとかいう警羅。彼女が口元に浮かべた腹立たしい笑みをヘイは忘れない。積りに積もった負の燃料がヘイの中で爆発し、確かな怒りの業火へと変わった。
「……ヒノマル、久々にキレた」
煮えたぎる怒りとは裏腹に、立ち上がったヘイは冷静に見えた。しかし、それはただそう見えるだけなのだ。
「おいジジイ、売れ残りを見せろ」
「ほぉ?」
ヘイはズボンのポケットを漁って端金を引っ張り出す。クレジットカードとは別に、あとで小さな店でジュースでも買おうと分けていた金だ。それを老人に手渡すと、ヘイは売れ残りの商品を漁りだした。
「あ、あの……ヘイさん?」
「悪りぃ、ヒノマル。今回ばかりは俺の腹の虫が収まりそうにねぇや」
ヘイが物色して見つけてきたのは、アークメイルの火器に使われている火薬だった。保管方法が悪かったせいで、火薬としては劣化しているものの火をつければ十分に使える。
「ジジイ、パイプみたいなもんとニビル線、あとライターも寄越せ」
「代金はどうするんだい?」
「面白いもん見せてやる。どうせ、売れ残ったてんだろ。この俺が有効活用してやるよ」
ヘイの顔には邪悪な笑みが浮かんでいた。ヒノマルからの刀を奪うと、その切れ味でパイプを適した大きさに切断。火薬を詰めていく。
「あの、ヘイさん。それって……誰がどう見ても」
「即席のパイプ爆弾だ。文句あっか?」
こうなったヘイは誰にも止められない。暴走したメンバーを止めるはずのヘイが暴走しているのだ。
こうして作った即席爆弾を両手にヘイはトラックの荷台に乗った。ヒノマルは嫌な予感を抱えながらハンドルを握りしめて、老人は何十年かぶりに見れた愉快な若者達を見送った。
「ヘイさん……俺も少し噂を聞いたんですが、そのアリーサって警羅はこの辺りでも有名な悪徳警察で、余所者をターゲットに可愛い容姿で油断させた所に睡眠ガスを吹き付け金品を掻っ攫う小悪党ですよ。もう買い物も済みましたし……そんな小悪党を相手にするのは、」
「へぇ……あのメスガキ警羅はそんな悪い子だったのか。んじゃ、俺らが教育しねぇとな」
自分たちは運送屋だ。なら、喧嘩を売る相手を間違えた宇宙知らずの警察に地獄をデリバリーすることも職務の範疇だろう。それがヘイの言い分だった。
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ポリスステーションとは名ばかりののこじんまりとした簡易的な建物の中、アリーサはデスクの上に足を乗せて悠々自適な時間を堪能していた。盗んできたクレジットカードに入っていた額は、彼女が豪遊したって使い切れないほどの金額が入っている。あの見るからに貧乏そうな華系人がここまでの額を持っているのも気にはなるが、久々の収穫である。
「ふふーん、久しぶりに当たり引いちゃったかも」
盗んできたカードに軽く唇を重ねてみせる。自分を口説いてくるつまらないロリコン変態、もといATM達よりも、機械に通せば金が降りてくるカードの方が面倒もない上に都合も良い。
ただ、こうカードを愛でてばかりでもいられない。カードを停止されては、肝心な金が引き出せない。
「そろそろアリーサ特製の睡眠ガスの効果も切れるだろうし、口座が止められる前に買い物しーちゃお!」
思い立っては、即行動。これがアリーサのスタイルだ。彼女行きつけのファッションブランド店が閉まるまでにはまだ猶予がある。そうと決まれば。勤務時間も無視してでも、ショッピングに出かけるに限る。
そんな不真面目なアリーサの行手を遮るように、地獄の使者達を乗せたトラックが滑り込んできた。
トラックはポリスステーションの入り口を塞ぐよう停車する?
「見つけたぜ、メスガキ警羅ァ!」
「やっぱり……やめましょうよ、こんなこと」
「うるせぇ! 俺はそもそもロシア系の女が嫌いなんだ! 増して、この俺のもんを盗もうとは良い度胸じゃねぇか!!」
ヘイはしっかりとパイプ爆弾を握りしめている。その導火線には既に火が付いていた。
「Lets Party Time!」
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ヒノマルはその光景を見て絶句する。薄々嫌な予感はしていたし、大事な線がプツンしてしまったヘイがいかに手をつけられないかも、ラビット運送の同僚として知っていた。しかし、それでも尚、この光景には呆れるしかなかった。
弧を描くパイプ爆弾を見て、アリーサは青ざめる。そんな光景をヒノマルはただ傍観していた。
もう、どうにでもなれって奴だ。
ポリスステーションに投げ込まれた爆弾が、派手に周囲を吹き飛ばし黒煙を上げる。鼓膜を揺さぶるような轟音の後には、倒壊したコンクリート片しか残っていない。
「ヘイさん……この威力って死んだんじゃ」
「問題ない、火薬の量はギリギリで抑えた……多分」
「多分って!! 俺らの理念は人殺しをしないことであって!!」
「大丈夫って言ってんだろ! ……多分」
火薬の残り香を嗅ぎながら、ヘイは正気に戻ってゆく。彼の怒りも爆弾と一緒に弾けたらしい。
「ヒノマル……なんで俺を止めてくれなかった」
「ふざけんな! そんな理不尽な!!」
思わず、ヒノマルも敬語を忘れた。ヘイだって今すぐにでも自分を殴りたかった。ハイテンションが極まるあまりに「Let's Party Time」なんて言葉を口走ってしまったが、目の前に広がる惨状は、パーティー後の散らかったリビングルームより酷い。
「テメェらァァ……ふっざけんなァァァ!!!」
あれで生きていたら、宇宙ゴキブリ並みの生命力だ。
しかし、地の底の底から響いてくるような声と共に、アリーサが瓦礫の山から這い出してきた。爆風のせいで自慢のツインテールは乱れ、白い肌は煤けている。
どうやら彼女、宇宙ゴキブリよりしぶといらしい。
「絶対許さねぇぞ! 天上のお巡り様に逆らおうだなんて、生意気なんだよ!!」
自分がしたことは当然のように棚に上げ、烈火の形相を浮かべるアリーサ。その風貌と相まって、今の彼女は地獄から蘇ってきた亡者のようだ。ヘイが冷静になった代わりに、今度はアリーサが冷静さを失っている。
「警察組織への反逆罪、危険物所持罪、公務執行妨害、なにより、この私の可愛い顔を台無しにしてくれた容疑で逮捕してやるよ!!」
瓦礫を押し除け、裏手から角ばったアークメイルが現れる。
PA88〈ハウンド〉。払い下げになった一世代前のアークメイルを白と黒でリペイントし、対アークメイルよりも対人に特化した装備へと換装された警察部隊仕様のアークメイルだ。足元に増設されたホイールユニットとつま先に取ってつけたかのような機関砲は、コロニー内での犯罪者を取り締まり、もとい犯罪者を追い詰め射殺する為の装備だろう。
アリーナが乗り込めば、〈ハウンド〉のモノアイは鈍く輝き、パトランプが回り出す。
「嘘だろ……」
「ヘイさんのせいですからね! 止めなかった、俺も大概ですが、とにかく逃げますよ!!」
ヒノマルが強くアクセルを踏み込みトラックをスタートさせた。背後からは旧型エターナルリアクターの軋むような可動音と、銃声が追いかけてくる。その轟音に追いつかれまいと、ヒノマルは細い路地に向けて、ハンドルを切った。
二人を乗せたトラックはほぼ直角にカーブして、裏路地へと滑り込む。
「逃がすわけねぇだろ!!」
〈ハウンド〉は路地を形成する建物を兵器で崩しながら、トラックを追う。その追跡劇は猟犬というより、首輪を引きちぎった狂犬と言っていいだろう。
「Shitッ! アイツ、形振り構わずですけど、誰のせいでこうなったんですか!!」
「あー、もう、俺が悪かったよ! けど、ここで俺がトラックを降りたところでアイツが追いかけっこを止める気は微塵もなさそうだ」
アリーサの〈ハウンド〉のホイールと機関銃は無差別に周囲を蹂躙していく。怪我人が一人も出ないのは、コロニーの住人がアリーサの暴走っぷりに慣れているからなのか。とにかく、後ろからサイレン音以上の罵詈雑言を並べて追いかけてくる女警羅を振り切るのは不可能だ。
「ッ……こうなったら、セレ姐に助けを縋るしか」
ヒノマルは仕方なく、〈スノーホワイト号〉へとSOSを飛ばす。
もう、こうなっては自分たちだって形振り構っていられない。
リオに腕を潰されるは、ヘイの尻拭いをさせられるは、普段からセレナの馬鹿に付き合わされるは、迷惑を掛けないのなんてバニーちゃんくらいだ。踏んだり蹴ったりなヒノマルは自身の不幸を呪うしかなかった。
ここまでの読了、そして本作を手に取ってくれた事に感謝を。ラビット運送、クルー一同、喜ばしい限りです。
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Thank you for you! Sea you again!
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