クリシに手を引かれて走る。
時々突風に拭かれて倒れ、急に方向転換ながら、『魔獣』とやらから逃げ続ける。
しばらく走っていると、ふと風がやんだ。
建物に入ったようだ。
[ここならひとまず安全です。
お怪我はありませんか?]
[私は平気だよ]
[それは良かったです。
夜にこの辺りの畑を猪が荒らしているという話はあったのですが、まさか昼間に表れて、
しかも風を操る魔獣だとは……。
申し訳ありません。]
[クリシが守ってくれたし、何も問題ないよ。
それより、この村は大丈夫なの?]
[村の男達も戦っています。
後は被害が出るまでに、スタシモティタが間に合うかですね。]
そうだ、こういう時には男の人達は命を懸けなければいけない。
アピロスさんの前世を見てから、女の人にばかり同情していたけど、
男の人達にとっても厳しい世界だ。
この世界は誰にとっても、安全な楽園ではない。
[こういうことはよくあるの?]
[よくあるというほどではありません。
魔獣の方も僕達と戦いたいわけではないでしょうから。
ただ、獣の形跡があるのにあまり放置していると、
気付いたときには村が全滅していたということもあります。
今回はスタシモティタがこの村の異変を調査して、
場合によっては討伐計画を練る予定でした。
まさか、いきなり遭遇するとは予想していませんでしたが。]
今回のことは割とレアケースだったようだ。
しかし、だからこそ事態がどう転ぶかはわからない。
私にできることがあればいいけど、見えない聞こえない人間が戦っても、
死人が一人増えるだけだ。
[心配要りません。
スタシモティタより強い魔獣なんて、滅多にいませんから。
きっと何とかしてくれます。]
そうだ、なんたって時を止めるということだ。
多少風が強かろうと、牙が鋭かろうと、関係ないだろう。
今はただ、彼を信じて待とう。
ふと、私の手が誰かに強く引っ張られる。
[この村は大丈夫なのですか?]
手の震えから、とても強い不安が伝わってくる。
不安なのは私だけではない。
むしろ、スタさんがいると知らない彼女の方が、不安なのだ。
[大丈夫ですよ]
ここには他にも不安を感じている人達がいるのかもしれない。
今の私に何かできることがあるとしたら、その人達を安心させることだろう。
私はクリシの手を取る。
[この人達に安心してって、伝えてあげて。]
少し間が開いた後、クリシは私の手を両手で握手する。
了承するには、少し葛藤があったようだ。
もしかしたら、また何かの中世身分カルチャーショックがあったのかもしれない。
しかし、そんなものは緊急事態にあっては関係ないと思う。
静かな時間が流れる。
きっとクリシが周りの人達に声をかけているはずだ。
しかし、確かなことはわからない。
きっと、外からはゴウゴウと突風の吹く音がしている。
たぶん、建物は風でゆらゆらと揺れているだろう。
もしかすると、今まさに入口から魔獣が侵入して来たかもしれない。
しかしもしそうだとしても、私には何もできない。
これでは、主人公の助けを待つだけの無力系ヒロインだ。
少し憧れていたシチュエーションではあるけど、いざ体験してみると不安感で潰されそう。
ヒロインサイドからしたら、戦う系ヒロインをさせてもらえる方が精神的に楽かもしれない。
まぁ、無いものねだりをしていても仕方がない。
むしろ、これだけ無力な人間が安心した表情で堂々としていれば、
周りの人達の不安を和らげることができるかもしれない。
余裕に溢れた表情を作っておこう。
もうずいぶん鏡を見ていないけど、多分こんな感じでいいはず。
[もう大丈夫なようです。
被害も、少し怪我人が出たくらいで、特に無さそうです。]
無事解決したらしい。
さすがはスタさん。
[皆エク様に感謝しています]
[私はクリシに連れられて逃げてただけなんだけどね]
むしろスタさんに言うべきだろう。
スタさんの大きな手が触れる。
[群れからをはぐれて興奮した魔獣が紛れ込んだようです。
まだ群れが残っているはずなので、私はこのまま調査を始めます。]
[みんな感謝してたよ]
[それが役目です]
スタさんは淡々と答える。
頼りになる人だ。
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