明るい晴空の下、僕は広い道路をのんびりと歩いていく。道すがら、病院へ向かうお年寄りと何度かすれ違い、挨拶を交わしたりしつつ。
秤屋商店は、お正月を除いて殆ど年中無休なので、今日も開店していた。店を閉めるのは早いだろうが、毎日仕事って、相当疲れるだろうなあ。千代さん、ものすごいバイタリティだ。
街の中を、北西の方角へ進み、森の中に入っていく。最初は疎らに立つ木々も、奥へ行くほどにその密度を濃くしていく。この一帯のことを、ドイツにある森を真似たのかは知らないが、黒い森と呼んでいる人も幾らかいて、なるほどなあ、と感心したこともあった。
こんなところに集合して、僕らは一体何をするのか。それは大人たちには決して分からないだろうし、知られてはいけない。子どもには、子どもだけが持つ秘密がなくちゃ、ロマンがない……なんて。以前の僕だったら、こんなことをすることもなかっただろうし、そもそも共有できる仲間がいなかっただろう。何というか、好きなように『子ども』をやり直しているような、そんな思いもある。
やがて、獣道のような、草の生い茂った場所を抜けると、ようやく目的地が現れた。森の中の、小さな広場。蚊帳を吊り、雑草を毟り、道具を揃えて、綺麗に設えたささやかな集会場。
これが、僕らの秘密基地だ。
子どもだけが持つ秘密。……些か子供っぽ過ぎる気もするが、それでも楽しくて、胸の躍る秘密だ。どちらかと言えば真面目に生きてきたと思っている僕でも、やっぱり小学生くらいのときには、こういうものに憧れがあった。まさか今、こんな風にその憧れが現実のものになっているなんて、ね。
「お、来たわね。玄人はちゃんと五分前行動してくれるから嬉しいわ」
「あはは。どうも、龍美。そっちの方が早くていつも感心するよ」
「一応まとめ役だからねー」
そう言いながら、龍美はスマホを取り出して、片手で器用に何やら打ち込む。すると、チャットアプリの通知が入った。
『虎牙まだ?』
「今日は虎牙がお迎えだしね。しょうがないって」
「一応急かしとかなきゃ、あいつどこかで油売っちゃうわ。それに、満雀ちゃんも一緒なのよ、良からぬことがないようにしなきゃ」
「よ、良からぬことって……」
流石にそれはない、絶対。
龍美は、自宅から持ってきた木製の椅子に腰かけている。僕らはそれぞれの家から椅子やら雑貨品を持ち寄って、秘密基地を充実させてきたのだ。この空間を覆ってくれている蚊帳も最初はなく、虫が入ってくるのが鬱陶しいという発言から、虎牙が持ってきたという経緯がある。その蚊帳には今、虫よけのプレートがぶら下がっているし、何故か折り紙を切って作った星型やハート型なども貼られている。これは満雀ちゃん発案だ。
僕も、龍美と同じように、持ち込んでいる椅子に座る。虎牙と満雀ちゃんの椅子も勿論あるし、真ん中には割と大きめの折り畳み式テーブルがあって、僕らはこのテーブルにお菓子を広げて雑談したり、ノートを広げて勉強したりしているわけだ。
もっとも、最近ここでやることと言えば、もっと特別なことなのだが。
「しかし暑いわねー。エアコン付かないかしら」
龍美は真顔で無茶なことを言うと、端の方に設置してある、子供用テントの中へ半身を潜らせて、そこからペットボトルのジュースと、紙コップを取り出した。大人一人がなんとか入れるくらいのテントの中は、倉庫として使っていて、クーラーボックスや消耗品が入っているのである。
龍美はテーブルに紙コップを二つ置いて、僕の分のジュースも入れてくれる。
「ありがと」
「ん。……そろそろ来るかしらねー」
ジュースを一口飲むと、龍美は獣道の方を見つめて溜息を吐いた。全員が揃うまでは、やることがない。
「ね、龍美」
「んー?」
「昨日のことだけどさ。お化けがどうとか言ってたらしいけど、あれなに?」
「の、覗きだったー!」
いやいや、そんなこと言われても。
「満雀ちゃんが言ってたからだよ。龍美って満生台に来てからオカルトに興味持ち始めたってのも聞いたな」
「むー、してやられたわ。もっとしっかり篭絡しておかないと……」
「ろ、篭絡って……」
「まあ、真面目一徹にやってきた反動ってやつよね。部活の親友が好きだったオカルトネタが、こっちに来てから気になり始めたの。そんで、たまーにそういうテレビ番組見たり、ネットサーフィンしたりするわけなんだけど……最近変なことがあってさ」
「変なこと?」
「一応昔の癖というか、一日十分以上は机に向かうことにしてるんだけど、すぐに眠くなっちゃうの。そんであるとき、うつらうつらしているとね。急に頭が痛くなって……ハッと我に返ったら、自分がおかしなことをしていたらしいってことに気付いたのよ。いつのまにか私、ノートにシャーペンで落書きをしていたの」
「それは……」
ぼうっとしていたせいで、文字を書いてるつもりが意味不明のものになっていた、とかではないんだろうか。いや、何かを書いていたという自覚すらなかったなら、奇妙ではあるか。
「そういうことがあって、ちょっと不安になったからさ。ネットでその現象を調べてみたら、自動筆記っていう単語が引っ掛かってね。心理学的には、筋肉が勝手に動いたって意味合いらしいんだけど、オカルトを信じてる人たちは、これを神がかりとかお化けに憑依されてるとか言ってるらしいから……増々気になってくるじゃない」
「なるほど」
「以来、私はたまーに、オカルトチックなことが起きないかなーと思いながら、机に向かうようになったわけ。お化けがいるのかどうかって、満雀ちゃんたちに訊ねてたのも、そのせいなのよ」
昨日の質問の裏には、そんな事情があったわけだ。どうも龍美は、理屈ではお化けなんていないと認識しつつも、心のどこかでいてくれないかな、と思っているタイプの人間みたいだな。
僕も多分、彼女と同じタイプだ。
「でも、聞くタイミングが変な気がするなあ。ひょっとして、前日の夜も何かあったんじゃないの?」
「む、玄人はぼんやりしてるのに鋭いわよね。そうそう、一昨日の夜も、自動筆記っぽいことがあったんだ」
さらっと酷いことを言われた気がするが、さらっと流しておこう。
「また、意味不明な落書き?」
「んー……いや、漢字っぽいのが、一文字」
「漢字……?」
読めるものが出来上がったのか。それは少し、気になる。
「なんて漢字だったのかな」
「そう読めるって程度の汚さだったんだけどねー……」
そう前置きしてから、龍美は言った。
「『鬼』……かなあ」
鬼。
鬼に、祟られる――。
「どしたの?」
「あ、いや。……鬼の言い伝えとかあったなって」
「そういえばそうね。悪いことをしたら鬼に祟られるってのが、昔からここにある伝承だったっけ」
「うん。流石に偶然だろうけどね」
「いやいや、分かんないよ? 信仰心が消えてきてるから、鬼が怒ってるのかも……」
自分も怖がるのに、龍美はそういうことを躊躇いなく言うから、何というか、凄い。
言いながら、ちょっと口元が引き攣ってるじゃないか。
「鬼を怒らせちゃったら、どうなるのかしらねー」
「さあ……やっぱり、食べられちゃうんじゃない?」
「鬼は三匹いるらしいわよね。もし出てきたら、この街の何人が生きて出られるのかしら……」
「さ、さあ……」
その鬼がどんな大きさで、どれくらいの能力なのかもさっぱりだし、推測しようもない。
勝手なイメージでは、全員残らず殺されてしまいそうだけども。
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