誰もいない教室。
窓際の席。
降り注ぐ朝の陽射し。
これも変わらぬ朝の風景だ。
殆ど必ずと言っていいほど、僕は毎日、誰よりも早くこの学校へ登校してくる。
そして、窓際にある自分の席で、のんびりと読書をして過ごすのだ。
それも、なるべくなら晴れた日に、射し込んでくる陽射しを明かりにして、がいい。
何度か経験して、これが一番だと感じた。
誰かが来るまでの時間なので、ほんの十分か十五分だとしても、その時間は僕にとって一日を始める上でとても貴重な時間だ。
というわけで、僕は早速本を開いて――
「おっす、今日も早えな、玄人」
……まじですか。
「あはは、おはよう、虎牙」
「まーた難しい本読んでんのか、お前」
「難しいっていうか、単なるミステリだよ」
「それを難しいって言わね?」
「どうかなー……」
虎牙は、僕の手の中にある本のタイトルをじいっと見た後で顔をしかめて、そのまま隣の席に腰を下ろす。そうなると、もう読書に集中することは出来ない。どちらにせよ、話しかけてくるだろうし。とはいえ、別にそれが苦と言うわけでもないのだけれど。
義本虎牙……この学校で、僕が特に仲良くしている友人の一人だ。満生台の人口そのものが少ないため、ここへ通う生徒も十数人程度だが、その中でも席の近かったメンバーが、自然な成り行きで仲良くなっていった。
まあ、一番の理由として、僕らは似た者同士だったのだ。
僕と虎牙が似た者同士だなんて、傍から見れば何を言ってるんだというレベルかもしれない。何せ、虎牙の容姿はかなり不良っぽいし、事実、満生台へやってくる前は結構素行の悪い少年だったらしい。その名残が、あの派手な髪色だ。
そんな彼だが、根はとても優しい。とにかくよく気が付く、出来た男なのだ。僕は結構ぼんやりしてしまうことが多いから、彼のそういう所を見習いたいのだが、一朝一夕に身に付くものではないよなあ。
何だか、似た者同士と言った割には似てない面も多いかな。
それはともかく。
「虎牙、今日は早いね」
「んー? まあ、目が冴えちまってな。寝つけたのが夜遅くで、起きたのもかなり早かったからよ」
「虎牙でもそういうことあるんだ」
「おい、もっぺん言ってみろ」
「あはは、冗談」
きっと本気で殴られたらただじゃすまないんだろうな。虎牙だから、そんなことはしないと信頼しているけど。
「あら、珍しいわね。寝坊助の虎牙がいるなんて」
がらりと扉を開けるなり、そう声を掛けて来たのは、二人目の親友。仁科龍美だった。
「あ、龍美。それは禁句」
「ん?」
「お前も殴られてえか?」
「乙女の柔肌に傷一つつけようもんなら、背負い投げじゃ済まさないわよ?」
「……お前の場合は冗談じゃなさそうなんだよな」
「ふふふ……」
龍美は、容姿端麗、文武両道という言葉の似合う、非の打ちどころがない女の子だ。家も中々のお金持ちらしく、満生台の中でも比較的大きな家に住んでいる。お屋敷と言っても差し支えないかもしれない。
両親がお堅い仕事に就いていたらしく、幼い頃から色々と詰め込まれた彼女は、否応なしに一流の女の子になってしまったのだとか。その頃のことは、黒歴史とか暗黒の時代だったと自嘲気味に言っている。
そんな彼女だが、満生台に来てからはようやく自分の自由を取り戻せたといった感じで、伸びやかに毎日を過ごせていると彼女は言う。僕は龍美より後でここへ移住してきたので、当時のことは知らないが、この一年で喋り方も随分変わったそうだ。確かに、今はお嬢様といった口調では決してない。
ちなみに、彼女がさせられていた習い事の中には、空手や合気道なんかもあったらしく、体力と暴力には少しばかり自信のある虎牙も、龍美には逆らえないみたいだ。実際、彼女が虎牙をひっくり返した場面を見たこともある。恐るべし、文武両道。
「あ、このミステリ私も好きよ? あっと驚く仕掛けがあって」
「みたいだね。僕もそういう仕掛けが好きで、ネットで調べて面白そうなのを買うんだ」
「ああ、分かるわ。でも、ネタバレは踏まないように注意しないとねー」
「そこらへんに転がってるもんね」
「うんうん。まさに地雷だわ」
僕ほどのめり込んでいるわけではないが、龍美もそれなりに読書家なので、たまに本のことで話が合ったりする。そういうときは、虎牙たちが置いてけぼりになるので、隣でつまらなさそうな顔をしているのが殆どだ。今だって露骨に寂しそうな顔をしている。そんな顔を見ると、こいつが本当に不良だったのかと疑ったりもしてしまう。
まあでも、ここへ来た人間に色々な過去があるのは本当のことだ。
「しっかし、大抵の学校はもうそろそろ夏休みだってのに、ウチはまだ先だもんなあ。何故ずらす」
「まあ、授業時間がちょっと少ないのが理由だと思うけれど。仕方のないことでしょ?」
「ちっ、俺にとっちゃあ、どんと一日休みが多い方が嬉しいぜ」
「その意見には賛同するわ」
「ねえ、授業時間が少ないのって、やっぱり満生台だから?」
まだ移住一年の僕が、二人に訊ねると、
「そそ。病院へ通う子も多いしね。現に、一年の半分くらいは欠席の子もいるものねえ」
「……だね」
それが誰のことを言っているかはハッキリしているので、僕は苦笑して誤魔化した。
一番後ろ、廊下側の席は、ずっと空席だ。
あそこに座る筈の小さな女の子は、龍美の言うように一年の半分以上を自宅療養していると聞く。
詳しく知るわけもないが、その子の病気は重いものなのだろう。
理魚――か。その名前は、苦手だ。
三人で話し込んでいると、いつの間にやら生徒も集まってきている。掛け時計を見てみると、時間も八時二十九分だ。そろそろ先生と、それからあの子もやって来る。
チャイムが鳴った。教室のドアが開く。
「おはよう、皆。おや、虎牙くんもちゃんと時間通りにいるね。感心感心」
「うるさいぞ、双太 」
「あのね……一応先生なんだから」
「自分で一応って言うなよ、センセイ……」
この、少々頼りない風貌の人が僕らの先生、杜村双太さんだ。彼はこの街で一番の働き者と言っても過言ではない。何と彼は、学校で先生として教鞭を執りつつ病院でも先生をしている、言わば二重の先生なのだ。一応どころではない。まだ二十五歳という若さで、そんな生き方が出来ているのには脱帽だ。
そして、そんな双太さんにぴったりひっつくようにしてやってきたのが。
僕らのお姫様――満雀ちゃんだ。
「よし、じゃあ満雀ちゃん、座ろうね」
「はい、双太さん」
満雀ちゃんは、双太さんに連れられるようにして僕の前の席までやってきて、その椅子にちょこんと座る。双太さんはそのエスコートを終えると、すぐに教卓へ戻った。
久礼満雀ちゃん。僕や虎牙、龍美より一歳下の、物静かで可愛らしい女の子だ。この子が、僕ら仲良しメンバーの最後の一人だった。
小っちゃくて、何となくお人形のような雰囲気の少女。お姫様、と呼びたくなるのもおかしくはない。実際、満雀ちゃんは街の人たち皆から可愛がられているのだ。
そんな満雀ちゃんは、あの満生総合医療センターで副院長として働いている、久礼貴獅さんの一人娘である。久礼家は病院の中に居住スペースを作り、そこで暮らしているので、満雀ちゃんは毎日病院から来て病院へ帰っていくのだ。緊急の用件があったとき、その場にいられた方が良いというのが貴獅さんの考えなのだと、以前双太さん伝いに聞いた気はするが、それにしても気が休まらないのではないかなと、子供ながらに心配してしまったりする。まあ、患者側からすればとてもありがたいことではあるんだろうけど。
それから、多分……病院で生活しているのには、もう一つ理由がある。それは、満雀ちゃんが病弱な体質だということだ。彼女の人形のような体つきは、病弱ゆえのものなのだった。だからこそ、満雀ちゃんはこうして毎日、双太さんに付き添われて学校へやって来る。そうでなければ登下校も満足にできない、そんな体なのだ。
いつだって、誰かに守られるお姫様。
「よし、それじゃあ出席をとるよー」
双太さんが、出欠簿を片手に生徒の名前を読み上げ始める。呼ばれた生徒は、元気な声で返事をしていく。
こうして今日も、いつもと変わらない学校生活が始まる。
ふと、窓から外を眺めれば、山にはやはり大きな電波塔が太陽の光を受けて、眩しく輝いていた。
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