この満ち足りた匣庭の中で 一章―Demon of miniature garden― 【ゴーストサーガ】

匣庭は繰り返す。連続殺人ホラーミステリ、出題篇
至堂文斗
至堂文斗

夢みたいな話だけど

公開日時: 2020年10月22日(木) 20:05
文字数:2,465

 片付けは重い物だけでいいからと龍美に言われ、僕はある程度物をしまうと、満雀ちゃんを連れて、一足先に秘密基地を出ることになった。


「今日はおつかれ。また学校でね」

「また月曜日にねー」

「おう。元気にしてなさいよ」


 龍美と別れて、僕は満雀ちゃんと手を繋ぎ、ゆっくりと、気をつけて、ぬかるんだ道を歩いていく。

 七月ももう終わるというのに、このところの悪天候のせいで、ずっと涼しい日が続いて、夏らしさをあまり感じられていない気がする。照り付ける陽射しの中で、冷たいドリンクを飲みながら、また四人で過ごしたいものだ。


「そう言えば、満雀ちゃんも鬼の伝承、聞かされてたんだね」

「うん。お年寄りの人が、昔はこんな話もあったんだよって感じで教えてくれたから、怖くはなかったけど」

「今はもう、風化しちゃった伝承ってことなんだろうなあ」


 街が発展していくことに不満を持つ人は殆どいない。便利になっていくことを望む住民にとって、その枷となるような古い言い伝えは、疎ましいものに変わりつつあるのかもしれないな。


「……どうなんだろうね」

「うん?」

「うゆ、何でもないよ」


 満雀ちゃんは、一瞬だけ曇らせた表情をすぐに笑顔に変えて、答える。……この子が最近、不意に見せる物憂げな素振り。それはきっと、僕らの苦悩を敏感に感じ取っているからなのだろう。彼女は多分、ぼんやりしているように見えて、心の内を読み取る力に長けている。

 誰かが悩みを抱えれば、彼女はそれをいつだって心配してくれる。励ましてくれる。そんな、健気な子だ。


「いつも、ありがとうね」

「私の方が。皆に助けられてるよ」

「……ふふ、それならいいんだけど」


 本当に。……支え合って生きていくことは、とても大切だ。

 森を抜け、南へ真っ直ぐ歩き続けて、僕らは満生総合医療センターに到着する。平日の昼間といっても診察に来る人はいて、お年寄りの男女が三人、受付前のソファーに座っていた。僕と満雀ちゃんが入って来るのに気づくと、彼らは笑顔で頭を下げてくれたので、僕らも同じように返した。


「あら……こんにちは、玄人くん」


 廊下の奥の扉から出てきた羊子さん――満雀ちゃんのお母さんが、僕らを見つけて声をかけてきた。羊子さんと顔を合わせるのは久々だ。こうして満雀ちゃんと一緒に来たときくらいしか、会う機会がないのだし。


「満雀を連れてきてくれたんですね、ありがとうございます」

「いえ、いつものことです。こんなときに遊びに連れてってしまって、すいません」

「いいんですよ。こんなときだからこそ、遊びが必要だと思います。満雀も、ずっと一人で閉じ籠っていては、気が塞いでいくばかりですから」

「うんうん。楽しいことがないと嫌だよ」

「ふふ、良かったわね、満雀」


 そう言って、羊子さんは満雀ちゃんの頭を撫でる。微笑ましい家族の光景だが、どうも羊子さんの顔には、疲れが出ているように見えた。


「病院は、バタバタしてますか」

「……分かりますか。まあ、永射さんがあんなことになって、現状代役が出来るのは、事情を知っていた夫くらいなので。病院であれこれやるとなると、患者さんを診るのとそっちのことで、休める時間が減っていってしまって。私は良いのですが、早乙女さんや杜村さんに皺寄せがいくのも申し訳ないな、と」

「はあ……早く落ち着けばいいですね」

「事故のことは、あの人が警察を呼んでいるみたいですし、すぐに片付くのでしょうけど。とりあえず、電波塔の稼働日が早く過ぎてくれれば」

「頑張ってくださいね」


 月並みな言葉しか掛けられないが、それでも羊子さんは、ありがとうと笑ってくれた。


「それじゃあ、僕はそろそろ帰ります。あんまりいたらお仕事の邪魔ですし」

「いやいや、そんなことはありませんけれど。玄人くんも、体は大事にね」

「あはは……どうもです」


 別れの挨拶を済ませ、僕は回れ右をして、出口へと向かう。受付前はさっきよりも、患者さんの数が増えていた。やっぱり、忙しいようだ。

 そんな中に、ふらふらとした足取りで、彷徨うように歩いている若い男性の患者さんがいた。パジャマ姿であることからして、入院している人だ。あれは、確か。


「あら、蟹田さん」


 羊子さんが、その青年に向かって名前を呼んだ。そうか、あれが蟹田郁也(かんだいくや)さんだっけ。虎牙は何度か話したことがあったみたいだけど、僕はちらっと見かけたことしかなかった。

 蟹田さんは痩せぎすで、長いこと散髪出来ていないのか、ボサボサの髪は肩近くまで伸びている。歩く足にも力が入っていないような状態で、そばにいって支えてあげたくなるような危なっかしさだ。


「どうしたんですか。病室から出てくるなんて……」

「いや、はは。たまにはこうして歩かないと、筋肉がなくなっちゃいますからね。歩けなくなるのは、嫌ですもん」

「そういうのは、誰か付き添えるときにしてくださいな、蟹田さん」

「すいません。俺、あんまり人を頼るのが好きじゃなくて……」


 朗らかそうな性格だが、それと相反する姿に、少し胸が痛む。恐らく、双太さんと同じか、彼より一つ二つ年上くらいだろうが、かなり長い間病院生活を送っているようだ。

 蟹田さんは、僕と満雀ちゃんと目が合うと、弱々しい微笑をしてみせた。それが、居た堪れなくなってしまって、僕はぺこりと頭を下げる。満雀ちゃんは何度も顔を合わせたことがあるらしく、彼に笑顔を返していた。


「……いつかは、どんな病気も怪我も無くせるような世の中が来ればいいなって、お父さんがよく言うんだ」


 満雀ちゃんは、僕にだけ聞こえる声で言う。


「夢みたいな話だけど……少なくとも、苦しむ人がいなくなる世界が実現したら、いいよね」

「……うん。そうなればいいね」


 ここは、ちっぽけな街の一つの病院に過ぎないけれど。

 そんな願いを抱いていれば、いつか指先が届くことくらいは、あるのかもしれないな。


「……じゃ、改めて。また月曜日ね、ばいばい」

「うん。ばいばい」


 手を振り合って、僕と満雀ちゃんは別れた。

 病院を出るとき、額に雨が当たった。その雨は、僕が家に帰った後、勢いを増して降り始めた。

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