普段ならまだ誰も来ていない時間に、学校に到着したのだが、この日は龍美が既に登校してきていた。きっと、昨夜のことを詳しく話したかったのだろう。通話したときは、気が動転していて言いたいことを言えてなかったかもしれないし。
「おはよう、龍美」
「う、うん。おはよう……玄人」
バツが悪そうに顔を背けながら、龍美は挨拶を返してくれる。強気な性格の彼女にとって、昨日の一幕は大きな失態だったのだろう。
僕は全然、気にしないんだけどな。
「突然、変なこと言っちゃって悪いわね」
「ううん、気持ち悪くなるのも無理ないよ。……あれ、例のオートマティスムなんだよね?」
「そうなのよ。いくらまた起きないかと期待してたとは言え、死なんて物騒な文字が書かれるなんて……予想もしないじゃない」
それはそうだ。オカルトなんてものは殆どの人が、本気で起きると思いながらやったりはしない。起きないことは分かっているけれど、それでも起きたら凄いのになと夢見ながら試す。それくらいのものなのだ。
でも、その夢が現実になってしまった。それも、冗談で済まされるレベルではない現実に。『死』というたった一文字ではあっても、それは龍美にとって、計り知れない恐怖をもたらす一文字だった。
「二人を驚かせるためのドッキリとかじゃないわよ? 本当に昨日、私は勝手にあの文字を書いたの。……自分でも、信じられなかった。紙をぐしゃぐしゃにして捨てたくなったけど……やっぱり、相談したくて」
「うん……気持ち、分かるよ。実を言うと、僕も昨日、変なことがあったからさ」
「……玄人も?」
そこで龍美は、それまでの曇った表情から一転、目を丸くした。自分だけの問題だと思っていたのだし、急にそう切り出されたら困惑するのは当然のことだ。
なるべく落ち着いた調子で、僕は昨日自身に起きたことを、龍美に説明した。金縛りにあったこと、頭痛がしたこと、鬼の唸り声のようなものが聞こえたこと。その直後に龍美から連絡があって、その偶然に肝を冷やしたこと……。彼女は最後まで口を挟まずに聞いてくれたが、その顔は次第に引き攣っていった。
「玄人まで……そんなことになってたのね」
「僕の場合は、体が動かなくなったわけだから、ある意味龍美の逆だけどさ」
「でも、……でも、同じよね。私も、体の自由が利かなくなって、頭痛がして、鬼の唸り声が聞こえてきたんだから……。同じ時間に、そんなことが起きるなんて、本当にどういうことなのかしら……」
鬼の呪い。まさか、そんなはずはないだろうが。
何となく……こう思うのだ。
僕らは、警告を受けているのではないか、と。
「……警告?」
思っていたことが口に出てしまったのか、龍美がそう聞いてくる。僕は慌てて、
「いや、そう思えなくもないなって」
「……鬼の祟り……警告……」
龍美は真剣な表情でそう呟き、
「瓶井さんの言ってることが、本当だとしたら。鬼の祟りが本当にあるんだとしたら……。私たちが鬼封じの池に入っちゃったのは、まずかったのかな……」
「まさか……。それだけで、呪われたりなんかしないよ」
例え、万が一、呪いなんてものが実在するのだとしても。
どうしてそれくらいで、僕らが呪われないといけないのか――。
「……」
その瞬間、思い出せと言わんばかりに、あの白骨死体がフラッシュバックした。鬼封じの池の廃墟で、光一つない地下室の中で、静かに朽ちていた一つの骸。
あまりにも鮮明に。あまりにも生々しく。
――ひょっとしたら……あれが鬼だったのかも、しれないけどな。
虎牙の言葉が蘇る。そんな馬鹿な話が、あるわけがない。
……ないはずだ。
「きっと……怖がってるからいけないんだ。精神的に、疲れちゃってるんだよ、僕たちは。そういうのが異常行動の引き金になるってケース、結構あると思う。事実、金縛り現象は科学的にそう結論付けられてるしさ。自動筆記もその類に違いないんだ」
わざと力強く、僕はそう言って龍美に微笑みかける。そうでもしなければ、龍美の不安を掻き消すことなんて出来ないだろうし、それは僕自身もそうだった。
「疲れ、ねえ」
龍美は、どうにも納得がいかないようだったが、それで済ませておくのが一番気持ちが楽だと判断したようで、
「ま、そうなのかもね。……そうだといいな」
最後は自分に言い聞かせるように呟くと、彼女は机に肘をついて、溜息を吐いた。
この数日は、龍美の弱い部分を何度も目にしている。ある意味、貴重ではあるのだが、だからといってこのままなのは心配だな。早く立ち直ってもらいたい。
……この状況に説明をつけられるような何かが見つかれば、きっと解決するのだろうけど。
話が一区切りついたところで、虎牙が教室に入って来た。まだまだ不良少年っぽい雰囲気は抜けていないが、こうして早い時間に登校して来るところは好印象だ。……って何の評価をしてるんだろう、僕は。
「おはようさん。どうしたよ、辛気臭い顔してよ」
「あんたは良いわねえ、お気楽で」
「昨日のアレか? お前もオバケとか妖怪とかは弱いんだな。へへ、覚えといてやるよ」
「覚えなくていいわよ!」
「あはは……」
僕なんかより、虎牙の方がよっぽど、龍美を元気づけられるようだ。僕にはそういうやり方は真似できないからなあ。
「……気にすんなよ。どうせ疲れてるだけだろ。それか、病んでるだけか……」
「病んでる?」
「気にし過ぎるのが一番悪いってこったよ」
「ふん、分かってるわよーだ」
「それなら大丈夫だ」
病んでる……か。案外、そうなのかもしれない。
人は、精神的に追い詰められ始めたとき、とても正常な判断が出来るような状態では、なくなってしまう。
何が正しいのだろう。そう考えて考えて考え続けて。
そして、僕は……。
「お前もぼけっとしてんなよ。玄人」
「あ、うん……ありがと」
虎牙は、強い心を持っていると思う。僕にはそれが羨ましいし、憧れる。
朝の時間はすぐに過ぎ、クラスメイトはどんどんやって来て、八時半のチャイムとともに双太さんと満雀ちゃんも入ってくる。出欠確認が終わり、しばらく経って、二日目の試験開始の時間になる。
今日も、変わらぬ学校生活。変わらぬ日常が始まっていく。何も恐ろしいものなんてない、普段と同じ一日だ。
昨日までの不安を塗り潰して、これからもずっと、平穏が続くように。だって、満生台のコンセプトは、『満ち足りた暮らし』なのだから。
それが成り続けていくようにと、僕はそう願った。
願って、いたんだよ。
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