僕のことが、好き。
理解が追いつかなかった。
だから僕は、それを冗談だと笑い飛ばして、ブラコンも大概にしてくれと彼女を宥めようとした。
けれど、彼女は僕の手を払いのけた。
「私……ずっとずっと、お兄ちゃんのことが好きだったんだよ。お兄ちゃんだって、分かってたでしょ?」
「いや、でも……」
それは、妹が兄を慕う気持ちなのだと。僕は当然のようにそう思っていて。……思おうとしていて。
だって、そうでなければおかしいじゃないか。
だって、僕と理緒は……兄妹なのだから。
「ずっと仲良くしたいって思ってくれるのは嬉しいよ。でも、僕と理緒は兄妹なんだから、いつかは離れるときがくるさ」
「そんなの、誰かが勝手に決めたことだよ」
「理緒……」
理緒の思いがどんなに強いか。それを、僕はまるで知らなかった。知らずに関わってきて、彼女の方はどんどんと好意を募らせてきたのだ。
……早く、気付いてあげられていたら。
こんなに執着されるようなことは、なかったのだろうか。
「理緒、悪いけど……僕にはそんな気持ちはないんだ。理緒は、僕の実の妹で……これからも、ずっとそうだ」
「……そうなんだ」
理緒は、急に感情の消え失せたようなトーンになって、俯く。傷つけることにはなっても、僕にはそれしか答えられることがなかった。だから、これでいいんだと自分に言い聞かせた。
……しかし、理緒がそれに、耐えられるわけがなかったのだ。
「私は全部知ってる。お兄ちゃんのこと、全部知ってるんだ。好きな食べ物も好きな色も、ちょっとした癖も習慣も、一緒に過ごしてきたんだから全部知ってる。……私なら、お兄ちゃんに都合のいい子になれるんだよ?」
「それとこれとは関係ないよ。僕らは……」
「……ねえ、お兄ちゃん」
理緒の丸い目が、こちらを見つめていた。
「……私たちって本当に、兄妹なの?」
「……は?」
今度こそ、意味が分からなかった。
妹に好かれたこと。それは、時間を掛ければまだ理解は出来た。
その上で、言葉を選びながら、それは駄目なんだと否定することも出来た。
でも、今彼女が言ったことは。
まるで予想の埒外にある台詞だった。
僕たちが本当に兄妹なのかどうか……?
そんなの、決まりきった話なのに。
どうして理緒は……。
「言ったでしょ? 私はお兄ちゃんのこと、全部知ってるんだ」
「どういう、意味だ……?」
聞きたくもない、はずなのに。
僕は、先を促してしまった。
きっとそれは、失策だった。
「……お父さんとお母さんって、結婚してから何年も、子どもが出来なかったんだって。前にちょっと話してたでしょ。お互いの親にも心配されたものだって」
「……」
「不妊治療を続けてたらしいんだけど、五年以上も子どもは授かれなかったみたい。……それでね。二人は、次の年までに妊娠しなかったらという条件つきで、あることを考えたの」
急速に、体中の血液が冷たくなるような、そんな気味の悪い感覚に囚われて。
耳を塞ぎたくてたまらなかったのに、結局僕は身動き一つ出来ずに、理緒の言葉を聞き入れていた。
「……お兄ちゃんって、幾つだっけ」
「……十四……」
「じゃあ、お母さんたちが結婚したのは?」
「……十七年、前」
どうして――どうして、気付かなかったんだろう。
違う。気付かせないようにしていたんだ。
だって、子どもを授かれなかったなんて話、僕は一度も……。
「お兄ちゃんはね……養子、なんだよ」
「そんな……馬鹿な……」
「でも、本当のことだよ? だって私……内緒でお母さんたちが話してるのを、聞いたんだもん」
「嘘だ!!」
何もかもが信じられなくて、世界の全てが僕を欺いているように思えて。
僕は目の前で嗤う妹を、思い切り突き飛ばした。
彼女は背中から本棚に激突し、うっと息を詰まらせて倒れ込む。棚に収まっていた本が、幾つかバラバラと床に落ちた。
「……あはは……可哀そうにね、お兄ちゃん。でも、だから私たちは、好きになっても構わないんだよ」
「……止めてくれ……」
「お兄ちゃんは養子だから、真智田の血を引いてないんだもの」
「止めてくれ!」
何が何だか分からず、ただただ涙が溢れた。これは何だ? 僕は何か、とんでもない大罪でも犯してしまったのか? だから……だから僕は今、こんな罰を受けているのか? そうでもなければ、どうして、こんなことが……。
「DNA鑑定だっけ。調べたらすぐにはっきりすると思うよ。お兄ちゃんは二人から生まれた子どもじゃなくて、どこかの施設から引き取ってきた子どもなんだってことがさ」
「うるさい!」
残酷なことを、嬉々として語る妹に我慢ならなくなって、僕はその襟元を締め上げた。理緒は苦しそうに顔をしかめる。
「……私は……お兄ちゃんが好きなの……だから……それが、嬉しかった……」
「……止めてくれ……そんなの、信じられるわけ……ないだろ……」
「それでも……事実なんだもん……聞いたら、すぐ分かるよ……」
手を放す。理緒はその場にへたり込み、何度も咳き込んだ。
「……そんなの、知りたくなかった……知らないままでいればいいだけの、ことだった……」
「お兄ちゃん……」
「触らないでくれ!」
僕は、差し伸べられた理緒の手を、力一杯払いのけた。
「お前なんか……いなきゃよかった……」
「……あ……」
悲哀の果てに零れた言葉。それは、とても捻じ曲がったもので。
認め難い真実を告げてきた妹を、全否定するもので。
蹲る僕の傍で、妹は何も言わなくなり、静かに両目から涙を流して。
そのまま僕が声を掛ける間もなく、部屋から、真智田家から出ていったのだった。
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