久しぶりに、寝付けなかった。最後にスマホの画面を見たのは、深夜二時ごろだったか。過ぎていく時間に苛立ちながら、それでも眠れない。あの感覚を味わうのは苦しかった。
少しずつ、世界が狂い始めているような、そんな思いに囚われる。耳をそばだたせれば、正常な世界が欠け落ちていくような、パラパラという音すら聞こえるような、危ない錯覚にも陥った。
「……」
グループチャットの履歴を見る。あれから虎牙も内容を見たようで、既読は二つになっている。だが、彼は特に返事をしていない。異常過ぎて、返しようがなかったのかもしれない。
昨日、龍美が送った画像は、彼女自身が書いた文字だった。いや、正確に言うなら、彼女の手が勝手に書いたもの、という方がいいのか。要するにそれは、彼女が以前話していた、自動筆記によるものだったらしい。
あの時間、勉強をしていた彼女は突然頭痛に襲われ、同時に鬼の唸り声が聞こえるのに気が付いたという。怖くなって机に突っ伏していたとき、体が震えだし、何故か手だけが勝手に動いて『死』の文字を書いた……そんな経緯のようだった。
鬼封じの池の一件もあり、龍美のショックは相当のものだったらしく、僕は一人でしばらくの間、龍美と通話して宥めていた。何というか、あんなに女の子らしい龍美は、面食らうというか、喋りにくいというか。早く普段の強気を取り戻してほしいと祈りながら、僕は声を掛け続けたのだった。
そんなことがあり、僕は自身に起きた異常については、話すことができなかった。多分、龍美を落ち着かせた後に自分の金縛りについて話していたら、また彼女を落ち着かせないといけなくなっていたことだろう。今日、話す機会がもしあれば、話してみよう。僕だって、このままでは気持ち悪いし。
寝不足のせいで、瞼は重いし頭にも鈍い痛みが走る。正直、二度寝したい誘惑に駆られたのだが、試験日にそんなことをして休むのは流石に気が引ける。僕は無理やりに体を起こすと、剥ぎ取るようにカーテンを捲り、朝の光を部屋に通した。……残念ながら、今日も曇り空だ。
テキパキと着替えを済ませ、リビングへ。朝食は既に用意されていて、父さんと母さんは、席に座って僕を待ってくれていた。ぎこちなく笑い、おはようと挨拶して、僕も自分の席に着く。
「あら、隈が出来てるわよ」
箸を手に取るなり、母さんにそう指摘された。一目で分かるくらい、くっきり出来ているのか。ちょっと恥ずかしい。
「寝付けなくって」
「昨日も調子が悪そうだったが、試験のせいなんじゃないか?」
父さんに言われる。やっぱり、この時期に悩みがあるとすれば、イコール試験と思われるのは当然か。そういうわけではないのだが、だからといって本当のことを言うわけにもいかない。僕は少し悩んで、曖昧に頷いておくことにした。
「……何か、不安なことがあったら、誰にでも頼るんだぞ。もう、一人で抱えなくていいことは、分かっているね」
「……うん。ありがとう、父さん」
勿論、分かっている。昔みたいに、一人で悩みぬいて、最後まで苦しみ続けて、どうしようもなくなるなんてのは、嫌だから。
誰にだって頼れる。そんな今が壊れるのは、絶対に嫌だ。
心労のせいか胃が痛んで、食欲は出なかったが、それではいけないと朝食を詰め込む。そして僕は身支度を整え、行ってきますと元気よく言い放ってから、学校へ向かった。
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