夕陽が沈む前に、自宅に辿り着く。建てられてまだ一年、綺麗な装いの、二階建ての邸宅だ。
「ただいまー」
「おかえりなさい、遅かったわね」
玄関で母さんが出迎えてくれる。僕は、ちょっと寄り道していたとだけ返して、洗面所に向かった。もう夕食の時間だ。
手洗いうがいを済ませると、玄関のすぐ先にある階段を上って自分の部屋へ入る。何も特別なことはない、十六歳の男の子の部屋だ。むしろ、飾り気がない方だろうか。本棚に立てられている本は、漫画よりもやや小説の方が多くて、タイトルの五十音順に並んでいる。割ときっちりしている性格だから、整理整頓されているのが基本だ。きっと血液型はA型だろうとすぐ言われるし、確かにA型ではあるのだが、僕はそういうものはあまり信じたくない人間だった。
僕は、勉強机の隣に鞄を置くと、すぐに部屋を出てリビングに向かう。
「おかえり。高校生のお前に言うことでもないかもしれないが、なるべく早めに帰って来るんだぞ」
リビングに入ったところで、先に座っていた父さんが声を掛けてくれた。心配してくれる気持ちは、素直にありがたい。僕は父さんに軽く頭を下げる。
「うん。気をつけるよ」
「ああ」
両親は、あまりプライベートなことは聞いてこないけれど、僕のことをいつも心配してくれている。それには二人が結婚当初、中々子宝に恵まれなかったことも理由としてあるのだろう。
僕の名前は玄人。母さんの名前、玄花と、父さんの名前、武人を一つずつとってつけられた名前だったりする。
僕も席に着いて、母さんの料理が運ばれてくるのを待つ。テレビのニュース番組をぼんやりと見ていると、程なくして両手に美味しそうな手料理を持って、母さんがやって来た。
テーブルに今日の夕食が並び終わったところで、三人で合掌して食べ始める。今日は焼き魚や煮物、和風なご飯だ。
「うん、美味い」
「あら、それは良かった」
こんな当たり前の一場面でも、満生台に来なければ取り戻せていないのかもしれないと思うと、もう何度目か、ここへ来れて良かったという気持ちになる。
何というか、そう言っていいものかは分からないけれど、怪我の功名というやつかな。
美味しい夕食を平らげ、一番にお風呂へ入って、僕は自分の部屋でゆっくり過ごすことにした。
また、いつものように一日が終わる。
二階にある僕の部屋からも、電波塔が見える。これから先、あの大きな塔もまた満生台の一つのシンボルになるのかもしれない。実際、あの塔は村のどこからでも目にすることが出来るような場所に立っているのだし。
テレビ放送の方式が地上デジタル放送に変わることになり、その移行に合わせるようにして出来たあの電波塔は、それだけでなく、今日のネット社会においてとても重要なものになるらしい。
満生台の自治を任された総責任者である永射孝史郎さんが言うには、これからもネット社会は発展していくのだから、こういう辺境の街だからこそ通信環境は最良のものでなくてはならないそうだ。今後、人口が増加していけば農業は飽和状態になるため、満生台にいながら外部の会社の社員として働く、いわばテレワークを推進していきたいという。確かに、近年そういった方策で町づくりに取り組んでいる自治体は多いらしいし、永射さんの言葉は間違ってはいないのだろう。
だが、電波塔計画を快く思っていない住人も当然いる。なので、こうして塔が立った後でも、永射さんは定期的に説明会を開いて理解を得ようとしているようだ。まあ、頑固な人が多くあまり説得は出来ていないとか。
聞いた話では、古い言い伝えを持ち出してきて、鬼に祟られる、と口にした人もいるそうだけど……。
……鬼、か。
僕も最近知ったのだが、この村には鬼にまつわる伝承が確かに存在しているようだった。
元々満生台に住んでいた人には、とても当たり前の話。けれど、移り住んできた人の方が多くなってしまった今では、知っている人の方が少ない、過去の産物だ。
かつてこの村には、三匹の鬼がいた。
どこにでもありそうな、ありふれた言い伝え。
「……っ」
ふいに、ズキリと頭が痛んだ。
最近、考え事をしていると、たまにこんな痛みに襲われている気がする。
そういうときは、決まって息が乱れ、ほんの少しだけ足が震えてくるのだ。
悪寒がするわけでも、ないのだけれど。
「病院では、どこも異常ないって言われるんだけどな」
意識していないだけで、疲れが溜まっているのかもしれない。
都会にいた頃よりずっと、体は使っているはずだし。
「……鬼の祟り、ね」
昔は、何か良くないことが起きれば、きっと鬼の祟りを持ち出していたのだろう。
なら、昔はこんな体の不調さえも、鬼のせいだと思う人はいたのだろうかと。
僕はそんなとりとめのないことを思いながら、夜空を見上げた。
七月十九日……今日は、新月の夜。
八月二日、月が満たされる日……満月の夜に、電波塔は運用開始になる。
それが、満生台の歴史の新しい一ページになるのだろう。
そしてきっと、これからも歴史は続いていくのだろう――。
そう、思っていたんだ。
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