この満ち足りた匣庭の中で 一章―Demon of miniature garden― 【ゴーストサーガ】

匣庭は繰り返す。連続殺人ホラーミステリ、出題篇
至堂文斗
至堂文斗

病室

公開日時: 2020年11月2日(月) 08:21
文字数:2,850

 白地に、規則的に黒点の散りばめられた天井。

 目が覚めて最初の光景は、それだった。

 自分に何が起きたのかがさっぱり思い出せず、僕は混乱したまま、とりあえず自分が今どこにいるかを考えてみた。

 ……多分、ここは病室だ。


「……あ。良かった……気が付いたんだね」


 聞き慣れた声が、すぐ隣の方から聞こえてきた。……双太さんだ。ということは、やはりここは満生総合医療センターの、病室なのだろう。


「……僕は……」


 自力で思い出そうとするが、頭がガンガンと痛んで、それどころではなくなってしまう。何か……何か、とても酷い光景を目撃してしまったような、それだけは覚えているのだけど。

 そう……だから、僕は二年前のことを。

 妹の理緒が、亡くなった日のことを……。


「……ごめんね。嫌なこと、思い出させちゃったんだろうな。玄人くん、うわ言みたいに理緒って名前を口にしていたから。……かなりうなされてた」

「……そう、ですか」


 双太さんは、僕の過去を知っている数少ない人だ。診察の中で、僕は辛く圧し掛かる過去を吐露し、双太さんにその辛さを和らげてもらった。きっと双太さんは優しいから、他の子たちにもそんな風に、体と心の両方を癒せるよう、努めているのだろう。


「あの、僕はどうしてここに」

「……病院に来てもらって、僕と診察室で話していたことは覚えているかい?」

「えと、それは、大丈夫です」

「その後、患者の容体が急変したことを知らせるブザーが鳴ってね。二人で急いで、蟹田さんのところへ行ったんだ。蟹田さんは、呼吸補助器具を外されていて、どうも誰かに悪戯されているようだった」

「……そうか、それで……」

「うん。玄人くんが、犯人を追いかけてくれたんだ」


 痛む頭の中で、朧気ながら記憶が蘇ってくる。……そう、僕はあのとき、階段の方へ逃げる人影を捉えて、屋上へ追いかけていったのだ。

 そして……。


「……うッ……」

「だ、大丈夫かい!」


 双太さんが慌てて近寄って来て、僕の肩に手を乗せる。


「ええ……平気です」

「……ごめんね」

「謝り過ぎですよ」

「あはは……そうかも」


 二人して笑い、そこでしばらく会話が途切れる。


「……蟹田さんは、命に別状はなかった。だけど、まだ目を覚まさなくってね。すぐに牛牧さんを呼んで、診てもらったりもしたけれど、様子を見るしかないって」

「早く、目を覚ましてくれるといいですね……」

「大丈夫だと思うよ。牛牧さんも、それほど心配はしていなかった」

「……理魚ちゃんは」

「……」


 双太さんは、表情を曇らせる。そして、それを見せてはいけないとばかりに、さり気なく後ろを向いた。


「偶然にも、理魚ちゃんの落ちたところに、植え込みがあって。それがクッションになったおかげで、大事には至らなかった。……ただ、容体は思わしくない」


 四階建ての病院の屋上から転落したのだ。もし植え込みがなかったら、ほぼ確実に助からなかっただろう。……それだけは、不幸中の幸いだったけれど。


「後遺症までは残らないはず。でも、治るまでには相当かかると思う」

「……そう、ですか」


 助かったことだけでも、良かったと思うべきなのかもしれない。


「でも、どうして」

「……理魚ちゃんがあんなことをしたのか、だよね」

「ええ……」

「それについては、僕も分からない。というか、理魚ちゃんに聞いたところではっきりした答えは得られないだろうけど。単なる悪戯のつもり……だったのかな」

「本当に、そうなんでしょうかね。あの子の様子……変だったような気がするから」

「そうだね……」


 理魚ちゃんの不審な行動については、複数の人が目撃していたようで、双太さんも情報として得ているようだ。もともと精神疾患があるようだが、ここ最近は特におかしかったように思う。

 僕は、気になっていたことを訊ねてみる。


「双太さん。理魚ちゃんの両目が真っ赤に充血しているのを、何度も見てるんです。飛び降りたときも、そんな目をしてました。それって、どういう状態なのか分かりますか?」

「第一に考えられるのは、結膜炎なんかの炎症だね。でも、赤いときもあれば普通のときもあるのなら、炎症の線は低いか。それ以外には、結膜下出血というものがあるかな。意味としてはそのものずばりで、結膜下の血管が破れて出血する、ということなんだけど、原因は色々あるから、ね」

「怪我ではないでしょうけど……」

「うん……可能性としてあり得るのは、身体の不調に伴ったものとか、ストレスによるものとか、か。血管に負荷がかかることがあったら、だね」

「……なるほど」


 集中して本を読んだり、長時間パソコンやスマホを使っていたりすると充血するが、それが酷くなったときも起こり得るのだろう。


「……とにかく、ストレスとかが原因で、理魚ちゃんの目が充血するか、血管が破れるかしていたということですね。ううん、それ以上は分からない、か」

「詳しく検査してみないことにはね。ただ、ご両親が病院に対して、少し不信感を持っていることもあって」

「不信感……」

「そうなんだ。理魚ちゃんの精神疾患は、病院で受けた手術の後遺症じゃないかって、疑っていて」

「後遺症、ですか」

「無事に成功してはいるんだけどね。どうも、患ってしまったのがその辺りのことらしいから……」


 手術と発症を、結び付けて考えてしまいたくなる、ということか。大事な娘なのだし、無理からぬことではあるけれど。


「……大変なんですよね。病院で働くって」

「それは、当然の責務だけどね」


 双太さんは、そう言って柔らかな微笑を浮かべた。


「……まあ、玄人くんも無事に目を覚ましてくれて良かった。丸一日目を覚まさなかったから、気が気でなかったよ。ご両親も、ついさっきまでお見舞いに来てたんだよ」

「え? 丸一日、ですか?」

「そう。やっぱり、相当なショックだったんだろうね……」


 そんなに気を失っていたとは予想外だった。せいぜい、一時間かそのくらいだと思っていたのだが。

 双太さんの言う通り、かなりのショックを受けたらしい。妹のことを、僕は未だに引き摺っているのだ。この体にも、心にも。


「外傷はないから、すぐに帰ってもオッケーだよ。ご両親にも、連絡を入れておくから」

「はい。ありがとうございます」


 まだ頭痛は残っているものの、起き上がれないほどではない。このままここにいても仕方がないし、僕は帰ることにする。

 壁に掛かっていた時計は、午後二時を示している。……どうやら本当に、一日眠ったままでいたらしいな。


「えっと……蟹田さんと、理魚ちゃんのお見舞いをしていきたいんですけど。行っても問題ないですか?」

「ああ……構わないよ。ただ、理魚ちゃんの家族がもし来ていたら、そのときは遠慮してあげてほしいかな。蟹田さんは前と同じ三〇三号室で、理魚ちゃんは二〇五号室にいるからね」

「分かりました。……じゃあ、行きます。ありがとうございました」

「うん。まだふらふらするかもしれないから、気をつけて」


 最後に一礼して僕は病室を出た。見送る双太さんの表情は笑顔だったが、その裏にはやはり、どこか憂いが伺えるのだった。

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