熱にうかされるように呆けていた野次馬たちも、時間が経つにつれ徐々に立ち去り、十分が過ぎようかという頃には、現場に残っているのは僕と双太さんだけになっていた。
「……大丈夫、ですか」
かけるべき言葉が見つからず、悩んだ挙句の台詞がそれだった。
大丈夫なわけがない。長い時間を共に過ごした人を、あんなにも残酷な方法で奪われてしまったのだから。
けれど、双太さんは僕の呼びかけに、精一杯の笑みを浮かべてくれた。大丈夫だよ、心配しなくていいよと、僕を安心させるように。
そんな無理を、しなくてもいいのに。その笑顔がどんなに歪んでいるか、自分ではわかっていないのか。ほんの僅かでも均衡が崩れれば、壊れてしまいそうなほどに、その笑顔は儚くて、脆いもので。
「……堪えなくて、いいんですよ。だって、堪えられるわけないじゃないですか。……ねえ、双太さん……」
「……うん、……うん……」
一粒、涙が頬を流れて落ちる。それから後は、雪崩れるように止まらなかった。
双太さんは、早乙女さんの為に声を殺して泣いた。
長い時間、泣き続けた。
彼女と過ごした日々に比べれば、あまりに短すぎる時間ではあるけれど。
彼女のために、ずっと泣き続けた。
「……ごめんね、玄人くん」
幾分か落ち着きを取り戻すと、双太さんは僕に謝ってきた。何一つだって、悪いことなんてしていないのに。
双太さんは、優しすぎるんだ。もっと、自分のことだけを考えていればいいのに。
「……立てますか」
僕が手を差し伸べると、双太さんはそっと潤んだ目を拭ってから、手を取って立ち上がった。
「ありがとう。はは、情けないね」
「そんなこと、ないです」
「……ん」
双太さんは、泣き顔を見られたくないのだろう、少しだけ僕から顔を背ける。
「……病院、戻らなきゃ。僕も……立ち合いたい」
「……無理はしないでくださいね」
「分かってる」
双太さんは僕らの先生である以前に、医者だ。
だからこそ、大切な人の死に向き合うため、立ち合いたいのだろう。
それから逃げてしまう方がきっと、辛いことなのだろう……。
足取りは重そうだけれど、双太さんは病院へ向かって歩き始める。僕も、見送るわけにはいかず、隣についていくことにした。
先ほどまでの喧騒とは打って変わって、周囲は静寂に包まれている。野次馬が引き払ってくれて、本当に良かったと思う。残った僕らも好奇の目で見られていたら、耐えきれなかったに違いない。
「……必要のないことだと思って、話はしなかったけれど。優亜ちゃんと僕は、生まれたときから一緒と言ってもいいくらい、長い付き合いでさ」
「……そうだったんですね」
「うん。お互いに人見知りな性格だったから、最初からずっと仲良くしていたわけではないけれど。同じ施設で、僕らはよく喋って、遊んで、過ごしてたんだ」
「……施設?」
「平たく言ってしまえば、僕も優亜ちゃんも、孤児だったんだよ」
孤児。
それはつまり、親のいない子供だったということ。
……双太さんと早乙女さんが、そんな生い立ちだったなんて、まるで知らなかった。
優しい笑顔の裏に、そのような翳を持っていただなんて、知らなかった。
二人が背負っていた過去。その重さは、自分の記憶とも重なって、痛いほどに理解できた。
「今、その施設は閉鎖してしまったんだけど、あまり環境のいい場所ではなかった。だから、子ども同士が心を支え合って過ごしていた。優亜ちゃんは僕よりも一つ年上だったんだけど、僕以外に信頼できる友人を作れなかったから、僕を頼ることが多かった」
「双太さんが二十五だから、早乙女さんは二十六歳だったんですね」
「そうだね。あまり外に出る機会はなかったけれど、一緒に出掛けたときには兄妹みたいって言われたこともある。頼りない兄に見えたことだろうけどね」
そう言って苦笑する双太さんは、けれども兄妹と言われていたことを誇らしく思っているのが見て取れた。
「高校に進むころ、僕らは一度離れることになった。二人とも別々の高校で、寮生活を送ることになったからだ。寂しい気持ちはあったけれど、施設で暮らしていくよりは格段に良い生活ができる。お互いの幸せを願って施設を出た僕らは、それからしばらくの間、連絡をとることもなく年を重ねていった」
「……はい」
「再会したのは、偶然のことだった。進学した先の大学で、彼女とばったり出くわしたんだよ。まあ、同じ県内で暮らしていたから確率はそう低くなかったのかもしれないけれど、学部も同じ医学部だというのには驚いたよ。その懐かしさから、僕らはまたすぐ仲良くなった」
「同じ医学の道を、志していたんですね」
「僕らのいた……というかそれ以外の児童養護施設でもだけど、孤児よりも、親から虐待を受けた子どもや、育てるのが困難で預けられたっていう子どもが多いんだ。だから、栄養失調とか難病の子とか、周りはそういう子ばっかりで。僕は大人になったら、そんな子たちを救えるような生き方をしたいと思って医療を学ぶ決心をした。そしてそれは、優亜ちゃんも同じだったんだ」
周りで苦しんでいた子どもたち。双太さんも早乙女さんも、同じくらい境遇は辛いものだったはずだけど、それゆえに、救わなくてはと思ったのだろう。痛みや苦しみを、理解していたから。
「更に偶然は続いた。僕らは同じ研究室に配属となったんだ。緊張しながら向かった研究室。そこには、久礼という名前があった」
「……研究室の教授が、久礼貴獅さんだった……」
「そう。僕らがここへ来ることになったきっかけ、だ」
貴獅さんは、双太さんが通っていた大学の教授だったのか。単に仕事上の上司部下の関係ではなく、師弟のような繋がりがあったわけだ。
「僕と優亜ちゃんは、大学生活の後半二年間、久礼さんの下で医師としての知識を身につけていった。そして晴れて医師国家資格を手にして卒業することができたんだ。そのころ丁度、久礼さんは満生総合医療センターで医師として働くことが決まり、僕らは半ば呼ばれるようにして、一緒にここへやって来た……」
「じゃあ、貴獅さんも四年前くらいに、この満生台へやって来たんですね」
そう言えば、満雀ちゃんは四年くらい前からここに住んでいると話してくれていた。つい最近のことなのに、忘れてしまっていたな。
「元々は牛牧さんが建てた病院だけど、永射さんが『満ち足りた暮らし』のために支援したから。久礼さんが来たのも指名らしいし、病院の増築は久礼さんが十分に力を発揮できるようにっていう意味合いもあったんだ」
「なるほど……」
「……ともあれ、そうして僕らはここでずっと働いていたんだ。今日までずっとね」
「……」
今日までの約四年間。ずっと一緒に働いてきて。
そしてその日々は今日、突然に断たれた。
それは、あまりにも、理不尽な……。
「……だからね。僕だけが、こんな情けないままではいられないんだよ。貴獅さんだって、胸を痛めてるに違いないんだから。表には、出さないだけで」
「……そうなんでしょうね。でも、悲しみ方は人それぞれです。情けないとか、そんなことは絶対にないです」
「……はは、僕は君の先生なのになあ……慰めてくれてありがとう。付いてきてくれて、ありがとうね」
「そうしたかったんです。……気にしないでください」
「優しい生徒を持って、良かったよ」
涙の痕はまだくっきりと残っていたけれど。双太さんは、そう口にして微笑んで見せた。
永射邸から病院までは、街の北東から南西に歩くので距離があったが、双太さんの話を聞いているうちにもう目の前というところまで来ていた。
病院前の駐車場には、三、四人のお年寄りが、中へ入るわけでもなく集まっていた。ひょっとしたら、さっきの野次馬が流れてきたのかもしれない。目をあわせたくは無かったが、向こうはこちらへ気付いたようで、双太さんの白衣姿に関係者が来たぞというような囁きを交わしていた。
「……さっさと入りましょう」
「……うん」
何となく、ここで別れることも出来なくなったので、僕は双太さんと一緒に病院内へ入っていった。
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