「いい? 昨日のことはなかったことにするわよ」
教室で集まるなり、龍美は僕と虎牙に向けてそう命令した。僕は困惑気味に、虎牙は眠たそうにそれを聞いている。
「と、言うと」
「もし、誰かに鬼封じの池のことを聞かれても、知らないことにするってこと。そんな可能性、ほぼゼロだと思うけどさ。やっぱり、聞かれるようなことがあったら怖いじゃない」
「秘密を知った奴は消す……とかかよ?」
「もー! さらっとそういうこと言わないでよ、虎牙」
割と本気で龍美が怖がっているので、虎牙もそれ以上追い打ちはかけなかった。
「あと、満雀ちゃんにも言わないこと。いつも話してるから、つい口を滑らしちゃうかもしれないし、気をつけてほしいの」
「それはどうして?」
「あの子を怖がらせたくないし、ひょっとすると興味を持っちゃうかもしれないじゃない。どっちに転んでも嫌だから、言わないほうがいいと思ったのよ」
「ふむ。まあ、それはそうかも」
怖がって体調を崩してほしくないし、逆に好奇心から、満雀ちゃんに鬼封じの池まで連れていってほしいと言われるのも嫌だしね。
「ま、そういうわけで。さっぱり忘れて、今日から試験に集中することにしましょ。それが正しい学生生活だものね」
「お前に正しい学生生活とか語られても」
「うるさい」
そう言うが早いか、龍美は虎牙の額にデコピンをお見舞いした。小気味いい音が響き、虎牙が撃沈する。
……彼女の一発なら、デコピンでもダメージは大きそうだ。
教室に掛かっている時計の時刻は、八時二十八分。もう生徒は、満雀ちゃんを除けば揃ったころだろう。僕は教室を軽く見まわしてみた。その中に、理魚ちゃんの姿はやはりなかった。
「やっぱ、いないか」
「理魚ちゃんのこと?」
龍美に聞かれ、僕は慌てて頷く。
「仕方ないんじゃない? あの子は多分、満雀ちゃん以上に体が弱そうだし。あと……喋ってるのを見たこともないし」
「だね。ひょっとしたら、精神面の病気ってこともあるんだよなあ」
クラスメイトの病気を、皆が把握出来ているわけではない。むしろ、知らないことの方が多かった。ここには満生総合医療センターがあるから、通っている人は大体何かの病気とかを患っている、というのは想像がついても、それ以上は深入りしないのだ。その方が、お互いのためでもある。定期健診に行っているだけで、健康な人も勿論いるのだし。
「双太さんも理魚ちゃんのことくらい理解してるし、自宅で試験を受けるとか、そういう措置はとってるわよ」
「うん。そうだね」
気になったのは、そういうことではなかったのだが、僕はとりあえず頷いておいた。
そこで、朝礼のチャイムが鳴る。同時に教室の扉が開いて、双太さんと満雀ちゃんが入ってきた。双太は普段通り、満雀ちゃんを席まで案内してから、教卓に戻って挨拶する。
「おはようございます。さて、みんな。今日からいよいよ試験だから、頑張るんだよ」
「センセイ。赤点だったらどうする?」
「ど、どうするって……まあ、成績が悪くなるし再試験があるし、だね」
「……仕方ねえか」
虎牙、それはどういう意味の仕方ない、なんだ。多分、赤点になったらこの学校の第一号だぞ。というか、前回の彼の点数は、どれくらいだったのだろう……。
双太さんは、簡単に出欠を取ってから、準備のため、一度職員室へ戻っていく。理魚ちゃんのことを気にかけないあたり、やはり彼女が来ないのは自然なことのようだ。
……とりあえず、今は試験に集中することにしよう。
ここへ来たからと言って、試験をサボっていいわけではないのだから。
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