赤い満月が昇る夜。
それは、全ての鬼に祟られた、終末の夜。
瓶井さんが最後に語ったそれが、僕の頭の中にいつまでも残り続けていた。
信じたくない話なのに、それを完全に拒絶してしまうことが、出来なかった。
「……信心、か」
本当に、その気持ちが薄らいだせいで、祟りが起きているというのか。
そして、人々が鬼を畏れる気持ちを取り戻せば、祟りは終わるというのか。
……鬼が怖いと思い始めたのは、事実だ。
でも、それは実体のないものに対する恐怖でしかない。
瓶井さんのおかげで、鬼の伝承については十分に理解できたと言っていいだろう。もっと曖昧模糊としたものだと勘違いしていたが、実際は、かつて村で起きた悲劇になぞらえた、具体的な内容だった。道標の碑についても、知られざるその設置目的を聞くことが出来た。収穫は、多かったと思う。
しかし……結果として、その情報は僕に、更なる恐怖を植え付けただけなのかもしれなかった。
「……でも」
瓶井さんは、こう言った。しっかりと向き合える人は、無事でいてほしいものだ、と。ならば何故、僕や龍美に鬼の声が聞こえてくるような、そんな不可解なことが起きるのだろう。鬼の声を聞くべきは、祟りを忘れて生きる住人たちではないのか。
……本当に、分からない。
「もしかしたら……」
僕らがそれを広めろと、そういうことなのだろうか。
……馬鹿馬鹿しい。そんな風にも思うのだけど。
「……?」
どこか、遠くの方から声が聞こえてきたような気がした。勘違いかと思い、僕は周りを見渡してみる。すると、街の出口側、つまり東の方が、僅かに明るく光っているのに気付いた。
「何だろう……」
出口側からということは、ひょっとすると警察の人が来たのかもしれない。土砂崩れの現場は中々酷いらしいけれど、途中から徒歩で来れなくもないだろう。そうしてやって来た警察官を、誰かが迎えているところという可能性が考えられた。
だが、その考えが間違いであることは、近づいていけばすぐに分かった。
そんな考えは、甘かったのだ。
「……な、……」
何人かの住人達が、集まってきている。傘しか持っていないところからして、野次馬に違いない。僕がその場所に近づいていく間にも人は増え、いつの間にか周囲は騒然となっていた。
「どうなってるんだ、これは!」
「分からんよ、俺が見たときにはもう、とんでもない勢いだったんだ!」
「どうしてこんな……」
「危ないから下がりましょう!」
幾つもの声が飛び交う。その中心にあるのは、日常からかけ離れた光景。
人が溺れ死んで。それだけでも、非日常的なものを目にしたというのに。ここにまた、現実とは思えないことが、起きている。
僕の頭は、それを認識することを、拒絶していた。
「熱ぃっ! お前ら、もっと下がれ!」
「雨のおかげで、これ以上被害は出ないでしょうけど……」
人々は、その非現実的な、そして幻想的な光景に、目を奪われていた。
僕もまた、その一人に違いなかった。
轟々と、音を立てて。
炎が、飲み込んでいく。
主を喪った邸宅。
その空っぽの邸宅が今、後を追うようにして、消え行こうとしていた。
「……そんな、馬鹿な……」
白昼の、惨事だった。
永射孝史郎の邸宅がその日、焼け落ちた。
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