廃教会の天井を貫いて落ちて来たのは黒い化物であった。この局面に置いて、多大な魔気を蓄えた思念体は王子の憑きモノとしか考えられない。
化物は人の形をしていて両手で頭を抱えて、苦しんでいる様子を表している。
「な、何だ?! アレは何をそんなに苦しんで……」
アンドルセル王も護衛兵も、敵の様子を理解出来なかった。この時、ドルグァーマの守護壁内に居るために気づいていないが、化物が現れてからというもの、空気の質が一変している。それは緊張するものでもなく、重く暗くもない、息が詰まりもしない。ただ、なぜか、寂しく切ない感情にさせる。それは匂いでも温度でも陽光の光加減でもない。
そういった状況にさせた原因を突き詰めるなら、恐らく魔気であろう。としかいえない。
「……? ドルグァーマ殿、どうしたのだ?」
剣を持ち、相手の様子を伺ったまま一向に動きを見せない彼の姿を、アンドルセル王は気に掛けたが、当のドルグァーマはこの心に響く魔気に影響され、相手の心意を汲み取ろうとしていた。
「……憎い、憎い、憎い憎い憎い――」
顔の部分から魔種族の顔が見えると、化物は驚くドルグァーマ目掛けて突進した。
ドルグァーマは剣を立てに相手を受け止めると、化物の顔はさらに別の、今度は人間の顔を見せた。
「――お主?! 一体」
「憎い憎い憎い憎い!! ――!?」アンドルセル王に気づいた。「……――王、に――!!」
化物は高速で、今度はアンドルセル目掛けて突進した。
守護壁内の三人は反射的に防御姿勢を見せたが、ドルグァーマの守護壁が強力で化物は指一本も中に入れない。
「王よ――憎い憎い! 王よぉぉぉ!!」
化物は何度も出現させる顔を変え、何度も何度も素早く連続して守護壁を斬りつけたが、壁に変化は起きない。
「な、ワシが其方に何をしたというのだ!」
護衛兵の前へ出て訴えるが、化物は何度も恨みの孟をぶつけるだけである。ただ、顔は何度も変わるが、その両目からは涙のような白い光が漏れている。
「いい加減にしろ!」
背後からドルグァーマは体術をもって化物をどけようと攻めるも、最初の一撃をすんなり躱されて距離をとられた。
「ドルグァーマ殿、ア奴は……一体」
「さあな。ただ、我々共々に恨みを持っている事は確かだ」
アンドルセルとドルグァーマは今日が初対面であり、共通と言われても思い当たる所が無い。
「そして奴が放った周辺の魔気」
「それ程危険なのか?」
「酷く切ない。毒性は無い分、お主でも安心だが、長く触れると心を病む。知りたくば止めぬが、知るのも良いやもしれんな」
そう残し、攻めて来た化物に立ち向かっていった。
アンドルセルは生唾を飲み、どういったものかを感じ取りたいがために一歩踏み出した。
護衛兵の呼び止める声も聞かず外へ踏み出すと、一瞬にしてそれは入って来た。
”それは光景ではなかった”
この言葉が正解なのかアンドルセルにも分からないが、言葉が、想いが、自身の中に流れ込んできた。
別れ、心身の喪失、死、奪う、失う、殺す、願い、祈り、命乞い。
あらゆる感情が流れ込み、最後に、まるで強く訴えるが如く、大切な者達との楽しい思い出を、破られ、燃やされ、引き裂かれ、踏みにじられる。そんな感情が流れた。
――もう見たくない。逃げたい!
衝動が守護壁内へアンドルセルを戻した。
「王、大丈夫ですか!?」
アンドルセルは無事だが、涙を流している事に心配されてようやく気付いた。そして唐突に理解した。化物達の正体を。
「ドルグァーマ殿! ソレは、いや、『その者達』は先の戦争における戦死者達だ!」
先の戦争、それは先代の魔王時代中期まで続いた、人間と魔種族間の争いである。この戦争は領地争奪を主としたのではなく、強力で悪性の高い魔種族が人間世界へ進軍し、手当たり次第に人間を襲っていた。
現代における七王制が無く、一部の魔種族の王達が悪性の強い魔種族を討伐していた時である。
歴史上、その当時の王達が協力すると立ち上がり、始めは四王制で仕上がったが、徐々に魔種族の抑制もはかどり、次第に王達も増え、その時代の中期に七王制が完成した。
しかしまだ悪性の高い魔種族の進軍は治まらず、現七王達の時代の初期まで続いていた。
この影響と誤解から、ドルグァーマはマルクスと対峙する事態も起きた。
驚きのあまり、相手が高速で駆け寄ってくる事に反応が遅れたドルグァーマは、寸前の差で相手の一振りを躱すことが出来た。しかし距離をおいても相手が攻めて来るので、一方的に不利な事に変わりない。
何度も何度も叫んで斬りつけて来る化物の動きに、どうにか対応しきれていると思っていたドルグァーマは、化物の動きに違和感を抱いた。
相手はどんなに異質な存在であれ思念体に変わりは無い。現状では弱まる一方であり、眼前に現れた時もすでに魔気が減っているのを感じた。それなのにここに来て弱まる気配を見せない。いや、攻めている時点で強くなっている。
化物の強さに比例して、顔の種類も頻度も増している。
「こ、のぉ!」両腕に王力を込めた。「いい加減にせぇぇいっ!!」
相手の胴に両手の掌打を打ち込み、さらに王力が爆発して相手を吹き飛ばした。
「無事か!」
息切れするドルグァーマに、アンドルセルは気遣った。
「ああ。しかし面倒な事になった」
事情を伺った。
「奴はワシの王力……力を吸っておる。どうりで一向に弱まらんわけだ」
「なぜ分かる?」
「今は竜王のアルガが掛かっている。分かりやすくいうなら奴には弱体化し続ける最悪の環境だ。その中で一向に弱まらず、ワシを圧しておる。何度か奴の斬擊を受けたが傷は無い。という事は、奴がワシの力を吸うておると思えば辻褄が合う」
冷静な分析ではあるが、それは相手に中々勝てない事態を明確にさせていた。
「ただの思念体と思うて気を抜いておったのが仇となったな」
「勝てるのか!」
「分からん。純粋な力比べなら一撃で済むが、王力を吸うとあらば、技も考えねばならん。手の打ちように困る所だ」
二人の会話の最中、化物は再び姿を現した。
その姿に、ドルグァーマもアンドルセルも絶句した。
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